筆者にとってアートを作るのは、自身の異端さを表明することだ。
その証拠が上の油絵である。
上の画像は、筆者が2016年に描いた油絵「大地より生えたる者」のシリーズ3。
キャンバスのサイズは18cm×14cm。
僕はシンプルなものが好きなので、複雑さをアートのなかから排除したい。
だから雲も山も象徴として、単純化して描いた。
この記事ではアートを通して異端さを表現しようとする、筆者の絵に対する考え方を書いていこう。
生命体の異端な形はアート?
僕は絵を描くとき、自身を強く表現することを考える。
絵を描く時々の感覚を、アートを通して表すのだ。
絵を描くその時に何を感じているかが、アートの中に反映される。
絵を描くとき、そのアートのテーマを決めることで、描く絵の方向性が定まる。
テーマに深く切り込むために、様々な手法で描いてみる。
僕はアート作るとき、絵の存在としての強烈さを大切にしたい。
見た人が「何これ?」「どういう意味?」「ええ!」というような、異端さを感じさせるようなアートにしたい。
絵は壁に飾って、鑑賞されるだけのものではない。
アートは人の心に衝撃を与え、魂を揺さぶり、打ち砕くような異端さが欲しい。
アートは、異端さによって人に新しい価値観を提示する役割を持つのだ。
既存の価値観をぶち壊し、新たなる視点を提示するのがアートなのだ。
アートが強烈なインパクトで、人の心に刻み付けられるような体験。
僕はそういう異端なアートが好きだ。
「あらまあ、この絵素敵ね」とか「綺麗に描けてますね」なんて言う絵を描くことは、自分の役目ではない。
だから僕はまず第一に「うまく描くことをぶち壊す」。
なぜかと言うと、絵を描く人の大半は「絵をうまく描こう」と考えるから。
僕は天邪鬼な人間だから、多くの人が行く方向と逆路線を行く。
僕が絵を描く目的に「きれいに、美しく」は存在しない。
それならば「強烈に、激しく、革命的に」表現することを選ぶ。
だから筆者は大地よりはえたる者の絵を、異端な形の生命体アートとして描いた。
上の絵を身内の人に見せたとき「頭おかしくなった?もっとちゃんと描きなよ」と言われた。
しかしこれは成功の証である。
なぜなら筆者は、異端なアートを作りたかったからだ。
人の心に異端さを感じさせることができれば、その絵は成功しているのだ。
ちゃんとした絵なんて、僕でなくても描ける。
僕の役目は、漫画アートで強烈に自己を表明することにある。
異端さを表現するためにデッサンをし続ける
上手さをぶち壊すと書いたけど、デッサンをやらないというわけではない。
デッサンは大切だ。
でも絵のうまさは破壊する。
これは、どういう意味なのか?
対象を正確にとらえるデッサンの練習は、絵を描く基本。
これがないと、子供の落書きになってしまう。
対象を変形させて描くのでも、元となる対象がしっかり捉えられている必要がある。
その上で変形させることに意味がある。
デッサンは対象を観察する目を鍛えてくれる。
観察し、見えている通りに描くデッサン。
観察から、変形は生まれる。
観察したものを、誇張して描くのだ。
どう誇張して描くかは、自らの感覚に従えばいい。
僕は激しく絵を変形させるために、デッサンをしている。
変形し、歪ませる効果を引き立たせるために、デッサンをする。
僕は外にいる時いつもスケッチブックを携帯しており、時間があると何かを描いている。
日頃スケッチをする理由は、絵を激しくゆがませて自己表現するためだ。
絵で自己表現するための大前提として、デッサンがある。
デッサンをして絵の基本を確認しながら、その上で自己表現として絵をゆがませるのだ。
最後に
筆者はうまく、キレイに描くために漫画アートを作っているのではない。
人の心に「何だこれは!」「異様だ!」「頭おかしい!」と思わせるくらい異端な、理解不能な漫画アートを作りたいと思っている。
なぜなら、それが僕という人間だから。
人の心をわしづかみ、覚醒させるような体験をもたらす異端なアート。
そんなアートが素晴らしいと思う。
最後までお読みくださりありがとうございました♪