昔描いた絵や漫画が下手過ぎて恥ずかしい!見返せない…なんて思っている方はいないだろうか?
僕はこの記事で「昔描いた下手過ぎる絵や漫画が恥ずかしい」と思っている全ての方の常識を打ち破るようなメッセージを書かせて頂く。
それは
「昔描いた下手過ぎる絵や漫画こそ素晴らしい!」という事だ!
なぜ粕川は自信満々でこんなことを言い張れるのか?
昔描いたド下手な絵や作品が恥ずかしいと思う間違った洗脳から解放されたい人だけが、この先を読み進めていってほしい。
Contents
昔描いた下手な絵も人生の軌跡である
まず初めにあなたが生み出す全ての落描き、絵、漫画、作品はあなたの人生の軌跡である。
あなたはかつて幼かったころ物事の分別が分からず、恥ずかしい体験をした事はないだろうか?
人生を振り返った時、思い出したくない過去が誰にでもあるだろう。
しかしどんな過去があったとしても、その過去を消し去る事は出来ない。
あなたは過去の辛かった経験から学び成長し、今ここに存在しているはずだ。
今ある自分は過去に経験した辛い、恥ずかしい体験を土台にして作られている。
過去の辛い体験をした者にしか気づけない事というのがあって、様々な体験によって磨かれながら人は成長していく。
だから辛く恥ずかしい過去の体験は、今のあなたを構成する重要な基礎である。
その体験がなかったら今あるあなたは存在していないだろう。
という事は「過去の辛く恥ずかしい体験」は、あなたにとっての宝物なのだ。
これはあなたがこれまでに生み出してきた全ての絵や漫画、作品に対して同じことが言える。
自分が未熟な頃に描いたこっぱずかしい絵や漫画を押し入れから見つけた時、やぶり捨てたい気持ちになった事があるかもしれない。
しかしかつて描いた下手な絵は、今あなたが描ける技術、発想を培った土台なのだという事を思い出してほしい。
これら下手過ぎる絵や漫画を描いていなかったら、今あるあなたの実力は存在しない。
これだけでも過去に描いた下手な絵という黒歴史には価値があるけど、僕が本当に訴えたいのはこんな事じゃない。
昔描いた下手な絵や作品にはもっと大きな価値がある!
絵に対する誤った先入観を破壊せよ!
絵は上手いことが良いことだ
絵は上手いほど価値がある
世の中にはこのような間違った洗脳が働いている。
僕は上のような洗脳に対してこう断言しよう。
「絵は上手くても下手でもどっちでもいい。むしろ絵はド下手に描け!」
これは粕川が天邪鬼だと言いたいわけではない。
「絵は上手いものが良い」という他人が作った価値観に縛られて本来好きな事を劣等感として捉えるのはもったいないよ!という事なのだ。
すでにある価値観の延長線上で自分の創作を考えていたら、その他大勢の人とキノコの背比べをする事になってしまう。
「あの人より自分の方がここら辺がちょびっとうまい!」なんていうバカらしい優越感に浸っている場合ではないのだ!
特に自分が何らかの表現者になろうとする人にとって、すでに存在する創作の価値観なんて破壊すべき対象そのものである!!
創作における価値観というのは人が作ったものを見習うのではなく、誰もやらない事を率先して行い、自分のやり方こそをスタンダードにするものなのだ!!
自分がスタンダードになるという意識を持たずして何が表現者だ!
表現者ならば上手さなんていう価値観を乗り越えた、自分という不滅の価値を築くべきである!
そして自分をスタンダードにするために上手さが必要ならばそれを必ず身につけていくのだ。
大切なことは「上手い絵は良いことだ」という世論に流されるのではなく、自らと向き合い、生み出すべきものを見定め、自己を作品に投影させていく事である。
粕川は性質上「反逆者」としての要素を持っている。
「絵は上手いものが良い」という常識に対して噛みつくけど、絵の基礎を練習する大切さは分かる。
自分の作品のスタイルを作る上で、ある程度の上手さは必要だと思っている。
だから見たものを正確に写すような絵の練習もする。
「絵はド下手に描け」という人間が「絵の上手さの基礎であるデッサンを大切にする」というのは相反すると思うだろう。
僕が言いたいのは上手い絵が良くないというのではない。
「絵は上手いものが良い」という他人が考えた常識を疑う事もせずに皆がこの価値観を信じ込んでいる状況に対して切り込んでいるのだ。
特に自らが作品という形で自分を打ち出す表現者が、何の根拠もない「上手いから良い」という安易な常識に縛られて本当の自分を出せずにいたらおしまいだと思ったのである。
表現者ならば自分が信じられない洗脳に対してハッキリNO!と言い、あなたにとっての真実を強烈に打ち出し、あなたをこそ世の中のスタンダードだと認識させるのだ!!
これを行うのが本当の表現者である!
以上のような考えを持つ粕川にとって昔描いた貴重な絵が、ただ「下手だから」という理由で恥だと考えるのはもってのほかである!
「ある表現者がまだ未熟な頃に描いた貴重すぎる一枚!」
これがあなたが昔描いた下手過ぎる絵に対する評価なのだ!
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昔描いた下手な絵は人生という作品の一部
あなたがかつて描いた下手な絵を否定するというのは、あなた自身の過去を否定する事である。
どんなつらい体験もそれがあったからこそ今の自分があるのと同じく、ド下手な頃描いた絵はあなたの人生を構成する一部だ。
そして作品とはある一つの作品タイトルではなく、作家の人生遍歴を含めた体験全体を指すのだと粕川は思っている。
だから作品とは作家そのものだ。
人生という作品の中で、まだ未熟な頃に描いたド下手な絵というのは比類なく価値がある!
なぜならその作家を形作った基礎となる絵だから。
例えばまだファン・ゴッホがデッサンを始めた頃の未熟な絵にものすごい価格がついたり、ある漫画家がまだ作風を築く前の迷走していた頃に描いた作品に価値が付く事があるだろう。
これは作家が有名無名に関わらず、その作家の基礎を作った未熟な頃の作品として価値があるのだ。
それだけではない!
描き始めの下手な絵にはまだ大きな価値が眠っている!
昔描いた下手な絵の無邪気な線の価値
「成熟した上手い絵こそ良いもの」という洗脳に侵されている人には、絵が未熟な頃にのみ生まれる「無邪気な線」の価値が分からないだろう。
漫画は面白く構成がしっかりしているものが素晴らしいと思っている人には、未熟な頃に作る「勢いで描いた無邪気で支離滅裂な漫画の魅力」は分からないだろう。
これらは「上手さを磨き上げ、構成を学んだ人には出せない魅力」である。
上のような例は未熟な創作者だけが生み出せる、無邪気で初々しい線、新鮮さ、面白さを確実に持っている!
そしてこの無邪気な感覚が素晴らしいのだ!!
成熟した技の魅力も素晴らしい。
しかし同じくらい子供のような心で描かれた未熟な絵のみが持つ純粋さにも価値があるのだ!
この未熟さゆえの純粋性を忘れた表現者は技の探求のみを追い求め、やがて魅力を失っていくだろう。
なぜなら創作にとって必要不可欠な「心」の存在を忘れているからだ。
心は技術で磨く事は出来ない。
そして心は純粋なほど人を魅了する。
表現者は心を常に子供のような純粋さに磨いておこう。
大人になるにつれて心に様々な先入観が入り込み、子供の頃に持っていた自由で無邪気な感覚を失っていく。
しかし絵や漫画を生み出す時に本当に必要なのは「純粋無垢なあなただけの感性」であり、そこに技を重ねて作品化していくのだ!
「下手な絵には価値がない」という、狂った洗脳に侵された頭からは自由な発想は生まれない。
誰かが表現における常識を語ったら、まずはそれを疑うようにしよう。
「本当にそうなのか?」
「自分にとってはどうなのか?」
そしてあなたが違うと思うなら、他の皆が右に行こうともあなたは確信に満ちて左に行けばいい。
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昔描いた下手な絵を認めるためには
昔描いたド下手な絵を認めるというのは、「あなたが歩んできた人生を絶対肯定する」という事である。
自分が生きてきた人生を否定していたら力が湧いてこないだろう。
しかし良い事も悪い事も含めてあなたが歩んできた人生を絶対肯定する事で、意識が前向きになるだけでなく創作を行う為のパワーにも繋がる。
「何があっても結局はバッチOK!」
バカボンのパパではないが「これでいいのだ!」に繋がる究極の前向き思考は創作パワーを上昇させるだけでなく、人生を幸せに生きるために必要な思考回路である。
このような意識に立つ時、昔描いたド下手な絵や作品というのは恥どころか、もう二度と生み出す事の出来ない純粋無垢な魂の表れとして、最高の価値を持つ作品である!
だから僕はド下手で未熟な絵や漫画でも粕川が生き、歩んだ伝説の軌跡として、ちゅうちょなくブログに載せているのだ。
僕は絵の技術や成長具合をブログで見せる事には何の興味も感じない。
なぜなら絵や作品は下手な頃も上手い時もどちらも同じように価値があると考えるからだ!
作品が上手かろうと下手だろうとどっちだっていいのだ。
僕が見せたいのは技術ではなく、粕川の魂である。
魂は技術で偽る事ができない。
だから下手でも上手くなっても必ず作品に現れる。
僕は自らの魂を語る表現者になるのだ。
だから僕は、昔描いた絵や今描いている絵、作品がド下手で恥ずかしい全ての人に言わせていただこう。
「あなたが今、あるいは昔描いたド下手な作品には、創作を続けている限り最高の価値がある!」
「絵や作品はド下手でもいい。ただし自分を偽るような表現者にはなるな!」
あなたの生み出す全ての創作物は人生の作品である。
どんな作品もあなたという作家が歩んだ通過点としてこの上ない価値がある。
上手いとか下手なんて価値観ではとてもくくる事の出来ないほど、あなたという生命が躍動した証として貴重なのだ!