押し入れの中に眠っていた作品を引っぱりだして感じたこと!
今回は実家の押入れに眠っている作品を発掘しているときに感じた、発見について書きます!
今回のエッセイ漫画で描いたように、筆者は18歳~30歳代にかけて、当てもなくひたすら漫画アートを作ってました。
アルバイトをして生活する資金を稼いでは、創作に没頭していたのです。
漫画や絵画(水彩や油絵)、イラストや物語など…誰に頼まれたわけでもないのに、ひたすら創作し続けていました。
作った作品はどこかに展示するわけではなく、たまに友人や親兄弟などに見せていただけ。
当時の粕川は展覧会を開きたいとか、作った作品をたくさんの人に見てもらおうとはしていなかったのです。
完全に自己満足のために、創作をしていました。
作った漫画アートは誰にも見せることなく、押し入れのなかで眠る作品となっていったのです。
粕川はそれでも、満足してました。
ぼくは漫画アートを創作することが、なにより好きなのです。
だから人に見てもらおうともらえまいと、評価が得られようと得られまいと、全然問題なかったのです。
粕川が精魂込めて作った作品たちは、作品ファイルにおさめられ、押入れのなかで眠ることになりました。
いま考えると、驚くんですよ。
作品を人に見てもらおうとせず、自身の満足のためだけに描き、押入れの中に眠らせておいたことが!
そんな粕川に、押入れの作品群は大切なメッセージを伝えてきたのです。
押入れの過去作品が作者に伝えたメッセージとは?
先日ぼくは実家の押入れのなかをのぞき、過去作品を見返していました。
押入れのなかには、粕川が作ってきた大量の作品ファイルが眠っています。
ぼくは過去に自分が作った作品を見返して、強烈な疑問を感じました。
「なぜ、おれは誰にも見られることのない作品を、ひたすら作り続けていたのか?
押入れのなかで眠ることになる作品を、作り続けていたのか?」
筆者は今回、上の疑問の答えを発見したのです。
「すべては、いまこの時のために制作していたのだと」!
当時の粕川は、自分の作品を公開する場所をもっていませんでした。
しかし今僕は、作品を公開する場所を持っています。
この、ブログです。
20代当時の粕川はブログを書いていたけど、自作を編集してネット上に投稿することが難しすぎてできなかったのです。
だから作った作品は、みんな押入れに眠ることになりました。
しかし、今は違います。
粕川が書いているこのブログが、筆者の作品を公開する場所となっています。
それどころかブログはいまや粕川にとって、漫画アートを描くキャンバスそのものとなっているのです。
このブログが押入れの中で眠っていた作品群を世にさらす場所だったのだと、気がつきました。
あのころの粕川は、発表するあてもない創作を続けていた。
それを不思議とも思ってなかった。
でも、今ならわかります。
あのときの粕川は、いつか押入れに眠らせてきた作品群を世にさらせる場所を持つことになると、無意識に感じていたのです。
だから、押入れに眠らせることになる作品を、ひたすら作り続けてきた。
創作は、それ自体が最高に楽しいもの。
しかし作品たちは、一人でも多くの人の目に触れたいと願っている。
そんな押入れに眠っている作品たちの意思を、感じたのです。
押入れのなかに眠っていた作品を世に公開できる場所…それがブログだったのです!
誰に知られることもなく続けていた創作が、ようやく人目に触れられるときがやってきたことになります。
現在ぼくがこのブログで公開している過去作品は、ほんの一部にすぎません。
ぼくは過去に作った作品を大きなゴミ袋で3つ分くらい、捨ててしまったこともあります。
それでも、押入れのなかの作品群はたくさんあります。
昔作った作品やエスキースなどを、すべてブログに公開するつもりはありません。
しかし日の目を見たいと感じている押入れの作品群がいることを、筆者は直感したのです。
だから、筆者はこれから過去に作ってきた漫画アートのうち、まともそうなものに限り、このブログで公開していきたいと思います。
これから筆者が公開していく押入れの作品群は、筆者の魂のかたまりです。
物心ついたころから現在にいたる粕川が歩んできた人生や、思いの結晶といえます。
インターネットがなかったら、永遠に押入れのなかで眠ってたかもしれない作品群の一部を、これからブログに投稿していきたいと思います。
以下記事でも、押し入れの中に眠る作品群について語っているのでどうぞご覧ください♪