幸せな体験のことを「旅行したり大金使ったり、特別な物を食べたり、憧れの人と出会ったり」など、おおげさなことに結びつけることが多い。
違うのだ。
それらの体験は、一時的な刺激による幸せである。
こういう「刺激」を幸せと錯覚すると、幸せのハードルが高くなり、人との比較でしか幸せを感じられなくなる。
「幸せ」とは、ありきたりな日常のなかにあるのだ!
いつも食べてる食事の美味しさや、窓から眺めるありきたりな景色のなかに、恒久的な幸せがある。
特別な行事や旅行や大金を使った幸せというのは、メディアが大衆にお金を使わせるために作り出した錯覚の幸福である。
このような幸福しか感じられないようだと、毎瞬間満たされた、宇宙一幸せな僕のようには、とうていなれまい。
広告が作り出した特別感のある幸福を味わうのも、良いだろう。
しかし、それが「幸福」の全てだととらえるようだと、広告の搾取の対象となることを覚えておくことである。
幸せに条件はないのだ。
幸せは無条件であり、今この瞬間に存在するものである。
僕はベランダからありきたりな光景を眺めることに、最大級の幸せを感じた。
そしてその時、気づいたのである。
「僕は景色を眺めていると思ったけど、実は瞑想をしていたのだ!」と。
【エッセイ漫画】漫画アート芸術家のフリーランスな日常 マインド 漫画作品集
至福の楽しい体験!
投稿日:2024年7月1日 更新日:
執筆者:ARThiro