この記事では2010年に漫画アート芸術家がゴッホ展に行くまえのワクワク感を描いた漫画と、ゴッホ展の感想について書いています!
まずはゴッホ展へ行く前のワクワクを描いたという漫画からどうぞ!
ゴッホ展は、よかったぜ~!
ゴッホゴッホ、咳がでるくらいにね♪
ゴッホ展の感想!「こうして私はゴッホになった」
この漫画は2010年に粕川が制作した漫画「もっとがんばれ!バカオ君」である。
この漫画は2010年に新国立美術館で開催されたゴッホ展「こうして私はゴッホになった」に行くまえの楽しみな気持ちから生まれた。
僕は2010年「こうして私はゴッホになった展」へ行き、生まれて初めてゴッホの絵画を生で鑑賞した。
さて、ここからゴッホ展の感想を書いていこう!
この展覧会はゴッホが画家になるまでの経緯をたどるもので、まだゴッホが修行時代のデッサンから晩年までの作品が展示されていた。
またゴッホがアルルで住んだ部屋も実物大で再現されており、とても面白い展覧会だった。
僕がファン・ゴッホの生の絵画を初めてみたときの感想はこうだ。
「開き直ったようにシンプルな絵画」!
ファン・ゴッホは27歳で画家を志したときオランダでミレーの影響を感じさせる暗い色調の農民画をたくさん描いていた。
その後フランスに出てきて印象派の絵画を知り、様々な画家の影響を取り入れながら自分の絵画を模索する。
1888年アルルにやってきて、この地でゴッホはファンゴッホ様式の絵画を生み出すことになる。
展覧会でまだオランダの修業時代に描かれたデッサンを見ていると、アカデミックな絵の技術を取り入れようと必死で取りくんでいる様子が感じられた。
初期のゴッホは敬愛していたレンブラントのように重厚なタッチで、自画像や人物を描いている。
ゴッホは独学の画家だ。
弟からバルグの教則本(デッサンの描き方が書かれている本)をもらい、一人自然を前にして美術の基礎的な技術を養っていた。
生で見たゴッホのデッサンからは本気で画家になろうとする男の真剣さが感じられた。
真剣に画家になろうとする男の情熱がひしひしと伝わってくる、そんな感想なのだ。
しかしゴッホがその才能を開花させたアルル時代の絵画からは、修業時代のゴッホとは明らかに違う印象を僕は受けた。
アルルへ行くまで様々な絵画の知識、技術を学び、自分の絵を探していたゴッホがついに本来の自分に立ち戻ったような感じなのだ。
とくに「アイリス」や「ゴーギャンの椅子」を見ているときに「俺はこれでいいんだ!」と開き直ったようなシンプルかつ力強いゴッホの気持ちを感じた。
ゴッホ絵画のシンプルさの原因はフランス時代に知った日本の浮世絵の影響からきている。
他にもゴッホはミレーやレンブラント、ドラクロワやスーラなど、様々な画家の表現を消化吸収しながら自分の絵画様式を作っていく。
様々な作家の影響を受けながらも最終的に「俺はこうだ!」と本来の自分に原点回帰したのがアルル以降のファンゴッホだったんだなと思う。
色んな作品の要素をとり入れながらも最後に重要なのは「自分らしい開き直り」なんだとゴッホ絵画を見て痛烈に感じたのであった。
ゴッホ展の感想、それはなによりゴッホ自身が自らの強みに気がつき「これで行くんだ!」という決意をする様子がとても感動的だった!
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ゴッホ展へ行く前のワクワクを描いた漫画
僕は2010年当時、生まれて初めてゴッホ絵画が見れるのでとても楽しみにしていた。
ゴッホ絵画が生で見れるワクワク感を漫画で描いたのが今回の短編漫画である。
作中にはバカオの友達のスーパーマンというキャラクターも登場している。
このスーパーマンというキャラクターは粕川が小学校のころに描いていた「もっとがんばれ!バカオ君」にもレギュラー出演をしていた。
粕川にとって漫画や絵画を描くというのは自分を強烈に表現すること。
なので生活の中で感じたことは何でも漫画のネタにするのだ。
特に初めてゴッホの絵画が見れるという一大イベントは漫画のかっこうのネタとなった。
この「自分が感じたことを漫画や絵画で表現する」ことでいくらでも作品を生産出来るようになる。
絵画や漫画を生み出すときには自分自身の感覚と向き合い、自分にとっての真実を色彩や線や物語やキャラクターにのせて創作すればいい。
あなたにとって本当のことを漫画や絵画にのせて発信するのだ。
生きる中で生まれるあらゆる思いが創作の種になる。
自分自身に創作の源をおいたとき、枯れることのない創造性があふれだすのだ!
ゴッホとゴーギャン展へいってきた感想を書いた記事は以下のリンクからどうぞ!