ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
僕はこの表現者のことを語らずに創作をすることなどできないでしょう。
そのくらい、僕にとって重要な人なのです。
今回は僕にとってモーツァルトがどんな存在なのかについて表現してみましょう。
アマデウス・モーツァルトがマンガアート芸術家にとってどんな存在なのかを激白!
これまでいろんな音楽を聴いてきましたが、その中でまぎれもなく僕に最大の感動を与えた存在がアマデウス・モーツァルトなのです!
あのローリングストーンズよりも、ジョンレノンよりも、ベートーベンよりも、マイルスデイヴィスよりも、誰よりも僕の心をうつ音楽を作り出した人がモーツァルトなのです!
モーツァルトの音楽を聴くたびに、胸がふるえるほどの感動があるのです!
モーツァルト(1756年1月27日~1791年12月5日)はオーストリアのザルツブルクに生まれた音楽家です。
モーツァルトは天才の代名詞的な存在ですが、それを象徴するように奇人変人だったことでも有名です。
大人になっても子供のような無邪気さを持ってた人で、意外と下品だったりします。
子供っぽいモーツァルトの逸話はたくさんありますが、いくつになっても子供の純粋性を失わなかったモーツァルトの人間性が僕は大好きです。
というより天才に多い奇人変人のような人たちに、僕は大いなる共感を感じるのです!
モーツァルトの音楽はシンプルで、子供のように純粋です。
そして比類なく美しい!
僕はモーツァルトの音楽に、これ以上ないほどの崇高な響きを感じます。
人生を謳歌するような明るい音楽の中に、たまにあらわれる哀愁を秘めた響き。
この音楽による光と影の抑揚が、心を洗い流すように感動的なのです!
モーツァルトの音楽には人間の喜怒哀楽が感じられて、純粋無垢な輝きがあります。
時にはどこまでも崇高な旋律を奏でて、人間精神の深みをかいまみせてくれます。
僕は確信をもっていいましょう。
モーツァルトの音楽は芸術の極致であると!
モーツァルトのたくさんある名曲の中でぼくが最も好きなのが「交響曲第38番ニ長調プラハ」(1786年ころ作曲)です。
3楽章でできたこの交響曲プラハの中に、モーツァルトの魅力がつまってると思います。
僕はこれらモーツァルトの曲を聴くたびに最大の感動を覚えると同時に、無限大な創作パワーを得ているのです。
創作に対するやる気というのは、感動から生まれるのです。
僕は常日頃から自身をふるいたたせてくれる作品に触れているから、揺るぎない創作への情熱があふれだしてくるのです。
僕はクラシック音楽が大好きなので、このブログでもいろんな作曲家について取り上げるでしょう。
その中で音楽を語る時、絶対に欠かせない人物がモーツァルトなのです。
モーツァルトの素晴らしさを語らずに創作などできないくらい、永遠の輝きをもつ音楽を作った人なのです。
僕はベートーベンも大好きで、素晴らしいと思います。
しかし僕の感性からするとベートーベンは深刻すぎるのです。
人生の苦悩を叩きつけるような重々しい音楽で、これ以上ないほどの感動がありますが、日常的に聞くにはちょっと…となる。
クラシックの演奏会上でバチっと音楽と向き合うような時には良いかもしれませんが、生活のBGMとしてベートーベンは重たすぎるのです。
その点モーツァルトは人間精神の深みをえぐるような曲もある中で、日常生活のBGMとして溶けこむようなソフトな曲がたくさんあります。
なによりモーツァルトの音楽には、人生を最高に楽しんでる人のさわやかさを感じるのです。
ここが素晴らしいと思うのです!
冗談好きで子供っぽいモーツァルトならではの、「人生を楽しんでる感」が音楽からおおいに感じられるのです!
そういう意味で僕の中でモーツァルトは、ベートーベンをはるかに上回る音楽家です!
モーツァルトは晩年になるにつれて人生の逆風にさらされ、37歳の若さで亡くなります。
晩年は演奏会での人気が下がって借金を重ねたり、妻が病気になったり、まだ子供の息子が亡くなるなど苦難続きになるのです。
そんな人生の荒波の中で、なぜかモーツァルトの音楽は純粋な輝きを増していきます。
死の間近ころに書いた曲は、まるで人生の苦難を突き抜けたかのように、どこまでも透明で崇高な響きがあるのです!
人生を生き、その苦悩や喜びを音楽に昇華して、人類史上に残る永遠の音楽を生み出したのでしょう。
なんという感動でしょうか!
表現者は人生を生き、その感銘を表現するのです!
僕はいつの日かモーツァルトのような至高の輝きをマンガアートによって実現したいと、心から願っているのです!
クラシック音楽の素晴らしさについては以下の記事にも書いてあります。
前後のエッセイ漫画は以下リンクに~