「芸術とは何?」
芸術ってあいまいで分かりづらい言葉ですよね。
ここでは漫画とアート組み合わせて創作を行う漫画アート芸術家が、芸術とは何かについて書いていきます!
芸術の定義は人それぞれだと思います。
まずは一般的に芸術がどういう意味で捉えられているかについて見ていきましょう。
2021年10月16日追記
「芸術とはなにか?」に関する4コマ漫画を描きましたので、まずはそちらをどうぞ!
前後のエッセイ漫画は以下リンクに♪
Contents
芸術とは?
wikipediaで調べますと芸術とは
「表現者あるいは表現物と鑑賞者が相互に作用し合い、精神的ないし感覚的な変容を得ようとする活動」
とあります。
面白い言葉が出てきました。
「表現者、表現物と鑑賞者が相互に作用しあうこと」。
要約すると
「表現者が作品を作る。
その先に鑑賞者がいて、お互いが作用し合い完結する体験」
これが芸術のようです。
この定義、非常に面白い。
「作用させる」という言葉の広がりが芸術を感じさせますね。
芸術作品は作る人だけでなく、それを受け取る人が必要だということ。
芸術を作る側と受け取る側が何らかの作用をおよぼし合うのです。
芸術を作る人は、その作品を通して伝えたい思いがあるでしょう。
芸術作品で誰かを驚かせたい、美しさを感じて欲しい、ほわっと温かい気持ちになってほしいなど…色々伝えたい思いがあると思います。
ひょっとしたら伝えたいことなんて何もないってこともあるかもしれない。
どちらにせよ芸術を作った人の思いが鑑賞者に伝わり、何らかの内的体験が発生したときに芸術となるのです。
内的体験とは感動や驚き、笑い、悲しみ、怒り、落ち着きなど…作品によって鑑賞者が感じるものは異なります。
作者の意図をもった作品があり、芸術作品をみて観客に何らかの心の動きがあったとき、そこには芸術体験が存在したのです。
ともかくも
芸術とは表現者と鑑賞者とが作品を通して体験を与え合うものだといえそうです。
芸術とは高尚なもの?
芸術と聞くと高尚そうな、お堅い、難しそうなイメージを持つ人がいるかもしれません。
その分かりにくそうな感じがいかにも芸術って感じがします。
例えばベートーベンの交響曲のように、重々しく崇高な理念を表現した作品は芸術らしく見えますね。
偉大そうな、崇高そうな作品が芸術なのかしら?
いや、権威から認められた高尚そうな作品だけが芸術なわけではないんだ。
芸術作品に着せられる権威の目的は、その作品を世の中に広く認知させたり、皆の芸術活動を促進してもらうことにあるようです。
●すばらしい芸術作品をたくさんの人に知ってもらいたい
●芸術作品を世に残し、人々に芸術に関する活動をしてほしい
このような理由のため、芸術に権威をきせる諸組織があるようです。
芸術に権威を与えている組織が、芸術の存在意義を決めているわけではないのです。
高尚だから芸術ってわけではありません。
高尚そうな芸術作品もあるけど、まだ権威の殻をかぶっていない芸術もあるということです。
まだ権威の殻をかぶっていない芸術とは?
まだ権威の殻をかぶっていない、世の中で認められていない芸術ってどんなものなんでしょう?
この分かりやすい例がファン・ゴッホです。
芸術も時代によって流行があります。
例えばバロック絵画が流行った時代、新古典主義絵画が流行った時代などいろいろあります。
バルビゾン派の絵画が流行ったら印象派がきて、その次は後期印象派の絵画が流行り出す…
芸術も時代によって潮流が変わるのです。
その時代の芸術の潮流に合わせて作品を作れる人は、周りから芸術作品と認めてもらいやすいでしょう。
しかし中には時代を先取りしすぎる芸術家もいるのです。
それがファン・ゴッホでした。
ファン・ゴッホは後期印象派に属する画家ですが、彼が生きた時代は印象派が流行っていた頃です。
ゴッホは印象派の枠に収まるような画家ではなく、時代の先を行く独自な絵を生み出しました。
しかしゴッホの革新性は同時代の人には理解できなかった。
芸術家としての評価を十分に受けることが出来ないうちに、ゴッホは亡くなったわけです。
しかし人々から理解されなかったゴッホの絵画は、その当時芸術ではなかったのか?
いや、まぎれもない芸術でした!
その証拠にゴッホの死後、彼の描いた絵画の価値が分かる人が世界中に現れています。
ゴッホの絵画は死後偉大な芸術作品として認められましたが、ゴッホの絵画が描かれた当時からそれは芸術だったのです。
このように権威の殻をかぶっていなくても、芸術作品は存在する。
でも難しいですよね、何が芸術か芸術じゃないかって。
子供が描いた落書きのような絵でも芸術作品といわれたり、描き込まれた上手い絵でも芸術作品と言わなかったりする。
この違いは何なのか?
この深遠さに僕は芸術性を感じますよ!
スポンサードリンク
芸術とは自己の魂の表現である
かつて パブロ・ピカソは「芸術とは発見である」と言い
岡本太郎氏は「芸術は爆発だ」と言いました。
ところで僕はこう言います。
「芸術とは自己の魂の表現である」と。
魂とは何か?
●その人をその人たらしめる何か
●その人の最も本質的なもの
●その人にとって最も深いところにあるもの
●その人が世界を認識する時のフィルター
●その人の心に灯されている炎
いろいろ言えるでしょうが、確かなことは~
「自己を発見し、自身を強烈に表明すること」。
その手段が、画家だと絵を描くことになる。
自分が感じた何かを表現したい、だから僕は絵を描きます。
この表現したいという欲求が芸術作品の源にあるのです。
内なる表現欲求を表わすために画家は絵を描き、作曲家は曲を作る。
芸術家の生み出す作品は、結果です。
芸術作品を作らせるものは、芸術家の内なる表現したいという思い。
芸術を生み出したいという衝動がなかったら作品は作れません。
そして芸術作品を作らせる内なる思いが、その表現者の魂です。
芸術作品は表現者の魂を作品化したものなのです。
以下の記事には、芸術(アート)とは何か?のネタで描いた四コマ漫画が載っています♪
芸術とは生きることそのもの
ぼくの考えでは芸術作品とは、芸術家の人生全体をもさすのです。
生み出された絵や彫刻だけが芸術作品なのではありません。
生まれてから死ぬまで全ての体験が、芸術家の作品だということです。
人生体験は芸術家が生み出す作品に影響を与えています。
人生で体験したこと、思い、感動は作品を生み出すための原動力になるのです。
例えば失恋をきっかけに芸術作品が生まれた場合、失恋という体験は作品に影響を与えています。
ゴッホがアルルで強烈な太陽と出会ったとき、作品の様相は変わりました。
このように芸術家にとって、人生体験と作品は切り離せない関係です。
さらに芸術作品は、芸術家がどう人生を生きたかも含めて評価されます。
ゴーギャンが35歳にして妻子も仕事も捨てて、不安定な画家に転じたエピソードは、ゴーギャンの作品や人生を考える時に切り離せないインパクトがあります。
人生がショッキングだから良いというのではなく、どう人生を生きたかも含めてその芸術家の作品として見られるのです。
だから芸術家は人生全体が芸術作品なのです。
芸術家はこの世から亡くなったときに初めてその全体像が分かり、作品が完成します。
芸術家は自分の在り方を作品という形で世の中にぶつけます。
芸術家は人生全体で創作するのです。
芸術家は時々の感覚を、作品として表明するのです!
芸術とは自己主張である
芸術とは作家が世の中をどう見たのかを、作品を通して示すことでもあります。
マルク・シャガールの絵は幻想的ですが、シャガールは世界をあのような画像で感じたのです。
ファン・ゴッホは原色の色と渦巻くような線で下界を認識したから、絵に描いたのです。
芸術家は、世界をどう見ているかを作品を通して表わします。
芸術家は芸術作品を使って自分を主張するのです。
例えば同じリンゴを描くにしても、優しい色で暖かく描く人もいれば、どぎつい色で醜く描く人もいるでしょう。
どちらも、その芸術家がリンゴをどう捉えたかという自己主張です。
芸術家は作品を通して、自らの在り方を表明するのです。
芸術とは何かの最後に
芸術とは何かについて、ぼくなりの考えを書いてきました。
けっきょく芸術とは、それを作る人の数だけあるのです。
高尚な作品の中にも芸術はありますが、権威に認められていなくても芸術作品は存在します。
芸術とは作品を作る人と鑑賞する人とが何らかの作用を及ぼし合うもの。
芸術とは人と人のコミュニケーションなのかもしれません。
漫画アート芸術家の僕は芸術とは自らの魂を強烈に表明することだととらえています。
またその芸術家の人生全体を含めて芸術作品だと考えます。
芸術家の人生体験と作品は結びついているからです。
芸術家は「自分が世界をどう見たのか?」「どう世の中を認識しているのか?」ということを、作品を通して表明します。
この点で芸術家は芸術作品を使って自己主張をしているのです。
なにやら分かりづらい芸術という言葉ですが、あなたは芸術をどう捉えるのか?という話です。
芸術はあなたが定義すればよいのです。
あなたが芸術の創造者なのです!
アートとデザインの違いは何なのか?については以下の記事に書いています♪
芸術作品として描く絵とは何なのか?については以下の記事で書きました♪
筆者が独特な芸術観を持つに至ったのは、ゴッホ兄弟の影響がありました!
ゴッホの弟が書いた、感動的な手紙のなかに芸術の本質があったのです!