![表紙フリーランス](http://arthiro.net/wp-content/uploads/2023/07/表紙フリーランス.jpg)
こちらは実生活を営むなかで生まれたアイデアを元に描きます。
マンガアートで一切を表現する人の、頭のなかをのぞき込めるコンテンツとなっています!
![目の前の人をみて](http://arthiro.net/wp-content/uploads/2025/02/shihasonnzaishinai完成001.jpg)
![目の前の人をみて](http://arthiro.net/wp-content/uploads/2025/02/shihasonnzaishinai完成002.jpg)
![目の前の人をみて](http://arthiro.net/wp-content/uploads/2025/02/shihasonnzaishinai完成003.jpg)
![目の前の人をみて](http://arthiro.net/wp-content/uploads/2025/02/shihasonnzaishinai完成004.jpg)
死は存在しない。
死ぬというのは、本来の状態へ戻ること。
この肉体で生きる世界が夢。
この肉体の世界がイレギュラーなことで、死んだあとの状態が本来の姿。
僕はこれを知ってる。
だから人は誰一人死んでないということを、理解している。
なので、いつでも死んだ人とコンタクトがとれる。
死んだ人は明確なメッセージをくれる。
彼らは僕が意識を向けると、いつでも反応してくれる。
彼らは僕の意識を、いつどこでも受け取ることができるから。
そして深い視点から、なにかしらを伝えてくれる。
死を怖がるのはナンセンスである。
肉体を持って生きる、この夢の世界の方がよっぽどホラーだ。
死は本来の状態に戻ることで、最も輝かしい体験だと、ここで明確に書いておこう。
例えると「長いマラソンを走りきり、苦しいなかでようやくゴールをむかえた瞬間」である。
そこにあるのは「かわいそう」ではなく「おつかれさま、よくがんばったね♪ゆっくり休んで」である。
「死は最も輝かしい体験」だと、僕は念を押して書いておく。
それがたとえどんな終わり方であっても、である。
人の常識でとらえると「かわいそう」にみえる死に方でも、それは一つの役割だから。
ここでは観念を一切抜いてみることが大切。
あらゆる存在が役割を果たし、マラソンのゴールをきるのだ。
死は、最も輝かしい体験である。
死に関する僕のとらえ方については以下記事に。
前後のエッセイマンガはこちら~