今回は不足を疑うについてのご質問をいただいたので、筆者が解釈する不足を疑うで、お答えさせていただきます。
ちなみに不足とは、あなたが嫌だと思うことすべてのことです。
引き寄せ系のご質問については、すべてを記事化できるわけではないのでご了承くださいませ。
またこの記事で書く不足を疑うが正解なのではなく、あくまでぼくがとらえる不足を疑うであることをご了承ください。
Contents
不足を疑うができない少女みりんちゃん
前後のエッセイ漫画は以下リンクに載ってます♪
不足を疑うについて考察
まず初めに不足は存在しないですね。
不足はないのだから、不足を感じた自分の知覚はおかしいということになる。
だから不足を疑います。
僕たちはいつどの瞬間も、完璧な充足のなかにあります。
思考を止めて、今この瞬間に意識を置いてみてください。
しばらくすると安らかな、今ここに自分があるという確かな充足に気が付くと思います。
今この瞬間にある自分の豊かさに意識を置くと、不足は入ってこれません。
なぜなら不足は、思考が作り出す幻だから。
でも人間として生きてるとあたかも現実が本当に存在するかのように見えて、自動反応でいろんな不足の思考がでてきます。
そして多くの人は不足を消すために、不足を疑うをしようとします。
「不足を疑えば消えるんだ。だから不足を疑ってやるぞ」と。
この意識状態の時、その人は自らの意識によって不足を作っているのです。
不足に抵抗しようとすればするほど、本来は存在しない不足が強力に姿をあらわします。
そして不足が消えたり消えなかったりするゲームを始めるのです。
不足を疑うは、不足を不足と認定しないためのものではありません。
不足はもとから存在してないのです。
例えば「いや、でも現実にわたしは今金欠だ。この事実は揺るがない」と思うでしょうか?
金欠というのは今この瞬間、現実がそのように見えているだけで今後も不変なものではありません。
金欠という不足は、あなたの選択次第で今後どのようにでも変わる部分です。
一時的に不足が存在するかのように見えているだけなのです。
ぼくは不足を疑うに限らず、根本的に大切だと思う以下のとらえ方があります。
●すべては既にある(すべては今この瞬間に叶ってる)
●不足は存在しない
●いつも完璧な充足のなかにある
存在するのはあなたが今この瞬間に「ある」という充足だけであり、その他すべての不足は幻だととらえています。
不足に限らず現実と思ってるこの世界そのものが、実態のない立体映像のようなものととらえています。
だからいくら現実世界でリアルに不足とみえることが起こっても、冷静に一歩引いて、不足を幻だと思い出しやすいのです。
ぼくは不足を疑うというのは、本来ある真理に思いをはせることだと感じました。
「完璧な充足が通常の状態であり、不足は存在しない」
なにか不足を感じた時、この真理がふっと頭をよぎることで、抵抗なく不足が疑えるのです。
というようなことを書きましたが、上に書いたことを理解してないと不足を疑うは効果がないというわけではありませんよ。
もともと不足はないんです。
だから、不足が消えるかどうかはどちらでもよいのです。
だって、不足なんてハナからないのだから。
不足とみえているものは幻にすぎないから。
この状態は、自分の意識で不足をつかんでいません。
不足は元から存在していないので自分自身で不足をささえない以上、あなたの現実から不足は消えていくのです。
なぜ不足を疑うのか?
僕の感覚では「不足を疑う」というより、「不足はもともと存在しないことを思い出す」の方がしっくりきます。
ただこれだと、人によっては「不足がないなんてそんなこと信じられない」と自動反応がでて、かえって不足に対する抵抗反応がでてしまうでしょう。
そうなると不足に意識が向いて荷を背負うことになってしまいます。
ならばもっとソフトに「ひょっとしたらこの不足はないのかもしれない」と考慮する(不足を疑う)ことで、自動反応思考の抵抗にあわずに荷を降ろせるでしょう。
不足を疑った時に気が少しでも楽になったら、そこがゴールなのです。
気が楽になるってことは、本来ある完璧な充足とつながっているのだから。
本来ある完璧な充足を、幻の不足感がさえぎっていただけなのだから。
現実は自分の内側の投影なので、あなたが気が楽になったならその充足が見えてきます。
Q.不足を消すことはせずただ疑うの意味について
これについてぼくのとらえ方は以下ですね。
「不足を消す」というのは、その人の意識が不足がある前提で成り立っています。
不足を感じていなかったら、消そうとは思わないはずです。
その人の意識というのは、その人の世界における現実です。
その人が不足があるととらえているのだから、不足が現れてくるのは当然のこと。
その人は、その人の世界における創造主なのだから。
不足を消そうとすることによって、本来存在しない不足を作り出していることになります。
「ただ疑う」というのは、不足を感じたらとりあえずほっぽりだしておく感じです。
不足を感じた⇒本当にそんなものあるのかな?⇒ほっとく
この状態だと意識は不足に焦点を当てていません。
そして、真理をご覧ください⇒「不足はもともと存在しない」
不足という幻の霧をあなたが握りしめなければ、元々空に輝く太陽(完璧な充足)が姿をあらわすのです。
「不足を握りしめなければ」と書きましたが、不足に焦点を当てようと当てまいと、完璧な充足領域にいつもあなたはいることを思い出してください。
だからすべては完璧なのです。
マンガアート芸術家はどんなことで不足を疑う?
ぼくは不足と感じることなら、あらゆることを疑いますね。
例えば「早く仕上げなければいけない作品がある。そのためプレッシャーという不足を感じた」時。
「ひょっとしたら仕上げなければいけない作品は今、最短で完成したんじゃないかな?」と疑う。
このように疑うと、すらすら作業がはかどることがよくありました。
作品の構想が浮かび、それを形にする段階になった時なら~
「作ろうと思ってる作品って、今完璧な形で仕上がってるんじゃないのかな?」とか。
こう疑うことでリラックスして制作に取り組めるのです。
ほかにも過去に嫌な思い出があったとします。
「その現実って本当にあったことなのかな?」と疑います。
こう疑うことで気が楽になるんですね。
さらにいうと時間の概念は幻なので、過去はどうにでも変わると僕は考えてます。
お金の不足を感じたら「自分ってもともと大金持ちなんじゃないのかな?」と疑う。
「世間では~歳になると健康がどうのこうのとか言うけど、そもそも年齢って存在するのかな?時間がたつと体が老いるというけど、それ本当なのかな?」とか。
時系列も無視して、死や病気などの根源的なことも疑います。
不足を疑ってどうこうしようというのではありません。
不足なんてもともとないんだから、いかなる重荷も背負わない、ほっぽりだすということなのです。
人間世界にあると思われている、あらゆることが幻。
だからどのようにでも変わりえると僕は思います。
かつてイエス・キリストが奇跡を起こしたと言われていますが、普通の人に奇跡が起こせないわけがないと思うのです。
奇跡なんて言葉じたいがおかしい。
奇跡は起きて当たり前なんです。
奇跡が通常なのです。
最後に
不足は存在しない。
なので、不足を感じたらとりあえず疑ってほっぽり出しておく。
では、なにがあるのか?
完璧に満たされてるんです!
今この瞬間、パーフェクトな充足の中にあるんです!
誰もが。
本当にあるのは「完璧な充足」、ただそれだけなのです。
最後までお読みくださりりがとうございました!