今回はご質問をいただいたので、こちらの記事にて筆者なりの考えを書いてみますね。
潜在意識の既にあるの概念は理屈としてはわかるけど、なかなか現象化しない。
願った時点で既に願いは叶ってるはずだけど、叶ってない現実が気になってしまい、意図を取り下げてしまう。
このような時、どうしたらいいのか?
それではいってみましょう♪
Contents
既に在るの理屈は分かるけど現象化しない時どうしたらいいの?
既に在るのに現象化しない時はどうしたらいい?
すべて叶った世界が既に在るといわれても、人はそれぞれがその人の世界における創造主(神)だといわれても、願いが現象化しないから思いがぶれてしまう。
願いが現象化するまではどのように過ごせばいいのか?
これに関して筆者なら以下のようにします。
1:その願いが既に叶っている自分になる
2:自分のホンネの快に従って動く
一つ一つみてみましょう。
1:その願いが既に叶っている自分になる
潜在意識について調べていくと「願望=実現」という概念がでてきます。
これは願ったことは既に叶った状況があるということです。
「なぜ願ったことが既にあるのか?」を思考で理解しようとする必要はありません。
ただそういうものなのだと受け入れて、今、すべてが叶った自分になります。
例えばお金持ちになりたい人なら、自分が望む額を手にしたらどのように感じるのか?
願いが叶った自分だったら世界はどのように見えるのか?
など、今願望が達成した後の安心感を感じます。
その感覚で生活をします。
でも、現実をみると「やっぱり叶ってないんだ」と「なる」を取り下げてしまいますよね。
これは現実に反応して自分の立場を決めてしまっている状態です。
願望が叶った自分に「なる」はしたけど、現実が証拠を見せてくれるまでは信用ならないという心理状態だと思うのです。
このような疑いまじりの「なる」は、ホンネでは叶うかどうか分からないという立ち位置なので、現実も認識した通りにふるまうでしょう。
叶った状況が既にあるの認識に本当に入っていたら、現象化がどうかは気にならなくなるのですよ。
なぜなら現実がどう見えていようと、自分の中でそれはすでに叶ってることなのだから。
こう聞くと「願いが叶ったと自己満足しろってこと?」と思う方もいるでしょう。
「人はその人がホンネの部分で認識している通りの現実を体験する」と筆者は感じています。
仮に100歩譲って実現したということが自己満足にすぎなかったとしても、既にあるの認識にいる人は、満たされています。
いくらエゴの思考が実現していない証拠を見せても、それが嘘だということに気づいているからです。
これは願望に対する執着を手放した状態にあるといえます。
願望に執着しているその心理状態が、願望を願望のままにしているものの正体といえるでしょう。
願望に対する執着を手放した時、願望は別の領域に解き放たれます。
そして宇宙の叡智が人間に作用し、必要な時に自然な形で動くことになり、知るべきことは自然に知ることになり、出会うべき人とは自然に出会います。
こうして気が付いたら叶っていたという形になるのだと筆者は思うのです。
現実が気になって証拠探しをしている内は、エゴの力で物事をどうにかしようとしているのです。
自力で願望を叶えてもいいのですよ。
エゴの思考で考え抜いて、できる行動は全部して、気合と根性で叶えることだってできます。
でもあえて潜在意識を活用して願いを叶えるなら、見えない力にゆだねる姿勢が大切になってきます。
願望に対する執着を手放して、今叶った自分になるということです。
現実がどうふるまおうと、叶った自分の立ち位置を変えないということです。
はじめから既に叶った自分である以上、現実はそれが本当であることを証明してくるでしょう。
願いが叶いやすい心理状態とは?
以前僕の大願が叶った時は、本当に思わぬところからやってきました。
その願いのことを全く考えていない時であり、むしろその願いが今叶ってもあまりうれしくないと思えるような時に、叶ったのです。
ちょうどその時家のことがごたごたしていて、本願のことなど考えてる余裕がない時でした。
でもそんな時に限って、向こうから勝手に叶ってきました。
これは願望に対する執着が完全に抜けてる時に叶ったことなのです。
宇宙に実現をまかせていたら、その人にとって最適な形で叶うんだなとその時わかりました。
願望を自分で握りしめていないため宇宙の力が働きやすくなり、まさにビックリな形で現象化した体験でした。
他にもちょっとしたお金が手に入る時なども、執着のない意図が出ている時がよくあります。
「ああちょっと~円あるといいな」とかフッと思いついて、でもそれほど必要でないから特に考えもしない時、意外なところからお金が入ることがあるのです。
「ステーキ食べたいな」と思いつきそれについて考えもせず忘れると、ステーキを食べられる状況になるなんてこともよくありました。
筆者が行ったとあるスーパーでまだセルフレジがない場所がありました。
それでフッと「このスーパー、セルフレジがあればいいのにな」と思いついたのです。
すると、まもなくしてそのスーパーでセルフレジが出来てました。
これも引き寄せですよ。
最近僕が引き寄せたとても嬉しいことでは「秘密戦隊ゴレンジャーが全話みたい」が叶ってることにあります 笑 。
僕が夜道を散歩してる時、フッと昔から好きなゴレンジャーを全話観たいなと思いついたのです。
でもそれほど重要なことではないから、別に考えを巡らせませんでした。
そしたら2021年初頭あたりからユーチューブで「秘密戦隊ゴレンジャー」の全話配信が始まったのです!
これらは願望に対して執着がなく、叶っても叶わなくてもどちらでもいいという意識にある…だから叶いやすいんだと思います。
でも自分にとって大きな願望に限って、「これ本当に叶うんだろうか?」と不安になってしまう。
この不安を感じさせているのはエゴなので、その不安は幻です。
人は毎日、願望実現の連続で生きてます。
水を飲むのも、職場に行くのも、食事するのもテレビ見るのも、みんな願望実現。
自分にとって大切な願望は執着がはいるから、実現が難しく感じてしまう。
でも本当は大切な願望実現もラーメン食べるのも、難易度は同じです。
難しく感じさせているのはエゴだということに気づき、望むことがあるならただそれを手に入れる…水を飲むことのごとく当たり前に。
そうすると、それが手に入るんだと思います。
意図したことが叶った時、エゴの視点では時間差があって願望実現したように見えます。
しかし時間は存在せず、ただ今だけがあるという見地に立った時、今というこの瞬間に、実現した自分が存在していたということになります。
だから「願望=実現」です。
叶った自分になったけど、それでもエゴが猛反発してきたとき役立つのが、「自愛」や「自己観察」です。
2: 自分のホンネの快に従って動く
では願った自分になるをしたら、現象化するまで何をしたらいいのか?
それは「自分のホンネに沿って、快に従って動く」です。
「なんとなくこれしてみたいな」「あの本読んでみたいな」「あそこに行ってみたいな」「~さんとお話したいな」「こんな作品作ってみたいな」「~について調べてみたいな」などの、なんとなく快を感じることをしてみます。
もし行動することに快を感じなかったら、何もしなくて大丈夫です。
寝ることに快を感じるなら、寝ることだってその時点では正解です。
あなたが嫌なことはする必要がありません。
自分自身のホンネが感じる快に従ってください。
僕の感覚では、宇宙の力は「なんとなく~してみたい」という形で方向を教えてきます。
ワクワクすること、なんとなく面白そうだなと感じるようなことです。
頭で考えて何かしようとひねり出すのではありません。
むしろ思考は止めて、何も考えてない時の方が、宇宙からのメッセージが届きやすいと感じますね。
なんとなくしたいことがあったら、それをしてください。
もしなんとなくしたいことをしてみて、エゴが失敗したと感じる出来事があったとします。
例えば合コンに誘われて、いい感じがしたから行ってみたけどさんざんだったとか。
その時は「この状況は完璧である」と、すかさず完璧認定をします。
すべては願望が叶うまでの完璧なプロセスであることが、現実的に証明されるような形になると思います。
「自分のホンネにそって快に従って動く」というのは、ホンネこそ自分の源泉からのメッセージだからです。
思考で考え出した快というのは、エゴの範疇で生まれた快であり、自分の源泉からのメッセージではない。
ぼくは以前エゴの思考で考えた快にそって行動した結果、望みが叶ったことがあります。
しかしエゴの範疇からの行動だったためか、望んでいたことではあるけど、どこか納得できない現象化となりました。
頭で考えてこうしよう、ああしよう、こういうのがいいだろうという出発点から行動すると、歯になにかはさまったようなものがゆさが残る印象があります。
そうではなくすべてを宇宙に任せて、なんとなくこれしてみたいなとホンネで思ったことをしてみます。
思考を介在させない。
自分の心が本当にしたいことをする。
例えばホントは歌を歌いたいけど、ネットビジネスなどの方が稼げそうだからアフィリエイトをやるか~だったら、心が求めている歌の方をやるということ。
自分の心からくる欲求は、その人にとっての真、自然なこと、当たり前なことなので、それをやることで幸せになるし、自然な形で道が開かれやすいと筆者は思います。
既に願望が叶った自分になっているので、エゴ視点からみえる実現化のプロセスも楽しいことに感じられます。
「自分のホンネに沿って、快に従って動く」をする時、エゴにだまされて「現実は本当に叶ってるか?」と証拠探しをしないでください。
全てが叶った自分として、ただ自身の快に従って動いてください。
動きたくなければ、その時点で動かないが完璧なプロセスの過程です。
そうこうしている内に、気が付いたら「あ、そういえば叶ってるな」という状態になっていくのだと思います。
最後に
既に在るの認識は分かるけど現象化しないことが気になる時、筆者なら以下のことをします。
1:その願いが既に叶っている自分になる
2:自分のホンネの快に従って動く
本当はもともと誰もがすべて叶った領域にいるのだから、叶ってないという認識は誤りだと僕ならとらえますね。
「え、叶ってない?ちょっと待って…願いが叶ってないっていうその認知は本当なの?」と不足を疑います。
「叶ってないってエゴは言ってるけど、実はもともと叶ってるんじゃないの?」と。
だって願望を実現したうれしい感覚を今感じたのなら、その時点で完了しており、そこが既にゴールだからです。
エゴのウソに気づき、その自分の立ち位置でいればいいだけだからです。
願いが叶った自分と一致していたら、後の行動は示されてきます。
前後のエッセイ漫画は以下♪
最後までお読みくださりありがとうございました♪