ここには漫画アート芸術家が2010年に描いた漫画「閉じこめられた男」(7ページ)が載っています。
この漫画は実家の押し入れに眠っていた創作群の一つで、2019年に発見しました。
漫画の後には「閉じこめられた男」の制作経緯や、表現者に必要な孤独についても書いています。
それでは、主人公が孤独な状況になってしまう漫画「閉じ込められた男」をご覧ください♪
「閉じこめられた男」2010年制作
孤独におちいった主人公が活躍する漫画「閉じこめられた男」は、漫画原稿用紙につけペンや墨汁、ホワイトやスクリーントーンなどを使って描きました。
粕川が手描きしていた時代の漫画なんだな
主人公が孤独におちいる漫画を描いた理由とは?
漫画「閉じ込められた男」(2010年)の主人公のモデルは、筆者です!
筆者は漫画「閉じ込められた男」で、当時の自分の心境を自己表現しました。
「閉じ込められた男」では、本を読んだり映画ばかり観て、漫画アートの創作をしてなかった自分に対するメッセージを描きました。
「閉じ込められた男」を描いていた当時、創作をあまりせず、小説や映画に夢中になっていたのです。
ぼくには、生涯をかけて作らねばならない創作があると感じています。
だから生きてるうちに一つでも多く漫画を描きたいし、1枚でも多く絵を描きたいし、1文字でも多くブログを書きたいと思っています。
創作をしていない状況はNGなのです。
そんな自分に対してサイラス星人を使い、漫画のなかの自分にメッセージを残したのです。
これが漫画「閉じ込められた男」を描いた理由でした!
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漫画で孤独な状況に陥った主人公を描いた意味は?
「閉じ込められた男」は、主人公がサイラス星人のしわざで、孤独になってしまう漫画です。
人は孤独と聞くと、だいたいマイナスなイメージを持ちます。
ぼくは昔から、自分の世界に入って漫画や絵を描くのが好きなせいか、孤独は居心地が良いものでした。
孤独という状況を寂しいと感じる概念がないんですね。
もちろん人と一緒にいることは好きだし、人生を生きるパートナーも重要だと思ってます。
でも孤独だからさみしいとか、嫌だという発想がない。
ぼくみたいなタイプの人間は、無人島に行っても楽しく過ごせると思います。
もしぼくがロビンソン・クルーソーになったら、無人島で漫画アートを作ってるでしょう 笑
とくに表現者の場合、一時的な孤独は重要だと思います。
なぜなら自分らしい創作は、孤独なときにこそ生まれるからです。
いつも周りに人がいる状況だと、自分自身と向き合う時間がとれません。
ということは、自身の奥深い魂から、創作のアイデアを引き出すことができないでしょう。
胸にしみいるような創作は、自分自身と強烈に向き合ったときに生まれます。
自らを孤独な状況におき、自身と対峙するところから、何ものかが生み出されるのです。
同時に、人とのコミュニケーションも大切です。
遊ぶときは遊ぼうね~
ぼくは断言しますが、孤独に強い人は漫画家に向いてます。
なぜなら漫画を描くのは、孤独な作業だからです。
室内でひたすら描き、アイデアをだし、創作世界を作る漫画家。
話やキャラクターを考え、ネームを作り、絵を描き、仕上げを行う。
何より創作の最重要な部分は、自分自身と深く向き合うことでつかめます。
一人が苦手と言っていたら、これら作業を続けることは難しいでしょう。
表現者は人と関わる時間と、創作のための孤独な時間を、バランスよく持つ必要があると思います。
「閉じ込められた男」の好きな場所とは?
筆者は漫画「閉じ込められた男」で、とても好きなシーンがあります。
それは以下の画像です。
このシーンのどこが良かったの?
漫画のなかの自分が、自分の作ったキャラクターたちに出迎えられているという状況がすごくうれしかったのです!
上の画像にはぼくが作ったキャラクターの勇者バカオ、栗のマロロン、愛野すず、もろ星ハヤト、猫のチッティがいます。
「閉じ込められた男」は、主人公が創作をしないために、サイラス星人から漫画を描いてくれと頼まれる話です。
主人公は創作をしなかったから、サイラス星人に閉じ込められたのです。
しかし主人公はサイラス星人の言葉で、創作することの大切さに気がつき、また漫画アートを描きだしました。
すると、閉じ込められていた部屋の扉が開きます。
主人公が扉から出ると、自分が作ったキャラクターたちが待ってくれていました。
この部分が、うれしかったのです!
漫画家は、ドリーマーです。
ぼくという漫画描きは、空想家なんですよ。
だから自分が作ったキャラクターは、ぼくの世界の中では、存在します。
そんな自分のキャラクターたちが、漫画アートの創作を再開した主人公を迎えてくれた。
ぼくはこの漫画のシーンを見た時、命の続く限り、漫画アートの創作をし続けようと思いました。
漫画のキャラクターは、作りごとだと考えるクリエーターもいるでしょう。
しかし僕の世界では、すべてが存在しています!
カボンも鬼太郎も、キカイダーも郷秀樹も、ジョン・コナーも猫のチッティも!
空想から漫画アートが生まれ、自らが空想世界に住むのです。
世間の人が聞いたら、狂気のように聞こえるかもしれません。
しかし、それでいいのです。
創作は、現実と幻想のハザマから生まれます。
主人公が孤独な状況におちいる漫画は、このような空想家のイメージから誕生したのです!
このシーンの後、自分が作ったキャラクターたちと、壮大な世界を旅してこようと思います!
以下の記事では筆者が思う「現実は幻想」であるということについて、語りました。
空想世界こそ、ぼくが生きる世界なのです。