漫画アート芸術家のぼくは引きこもり生活をするなかで、本当の自分を見出すことができた。
ここでは引きこもりになったことで、自分の創作世界を見つけ、本来の自分らしさを発見することができた漫画アート芸術家の体験談を書いていこう。
Contents
引きこもりになった芸術家は空想世界に生きていた!
20歳前後の僕は、アルバイトをしながら空き時間に漫画アートの制作をする生活を送っていた。
就職という選択肢はなかった。
就職だと時間の拘束が長く、組織に属すことにどうしても抵抗感があった。
当時のぼくはアルバイトをして、アート系の専門学校へ行くお金をためていた。
僕は漫画アートの制作や、素晴らしい本や芸術に触れる生活が出来れば他に何も望まないような人間だったので、お金はほとんどかからなかった。
表現者にとって最大の喜びは「創作」をしているときにある。
漫画アートを作っているとき、僕は幻想世界をさまよっているのだ。
これが一番豊かな時間だ。
しかし生活をするためには、現実と向き合わねばならない。
幻想世界をさまよう芸術家にとって、現実世界に戻るのは別世界に来るような不思議な感覚。
現実世界に戻るというのは例えば~
●車の教習所へ行く
●アルバイトをする
●友達と遊ぶ
など、社会や人と関わることを指す。
ぼくにとって本や芸術を楽しみ、創作をする行為は、内部世界の体験だった。
漫画アート芸術家は、外部世界と内部世界を行ったり来たりしていたのだ。
ぼくは実家で引きこもり生活をしていたとき、自分は空想世界に住んでいると考えていた。
実家の家を、「海の見える丘の上の下宿」と考えていたのだ。
「海の見える丘の上の下宿」とは、僕の空想上の世界のこと。
「海の見える丘の上の下宿」のまえには、海が広がっており、青い空や幻想の森がある。
そんな「海の見える丘の上の下宿」にぼくは住んでいると、空想していたのだ。
このように空想していたおかげで、ぼくは漫画アートを創作する意欲に満ちていた。
ぼくの空想世界では愛する映画やアニメ、小説のキャラクターが生きており、筆者が生み出したキャラクターもそこに存在している。
ただ実家に住んでいただけなのに、自分の中では「海の見える丘の上の下宿」に住んでいると思っていた。
ちなみに、僕の実家の周辺に海はない。
僕は普段から空想する習慣が身についており、他の人とは違った現実の見方をしていた。
この空想の習慣こそ「漫画アートの創作」に役立っているのだ。
漫画を描く時、物語やキャラクターが思い浮かばないという人がいる。
僕はその人たちに「自分の空想世界に徹底的に入りこむことで、漫画創作力は生まれる」とお伝えしたい。
現実世界にいながら空想するのだ、あなただけの理想郷を!
目を閉じて、さあ…
あなたの周りには、何が見えるだろう?
見慣れた部屋や景色?
空想を働かせよう。
あなたが描きたいと思う漫画や絵の世界を、明確に思い描くのだ。
そこにはどんなキャラクターがいて、何を話しているだろう?
どんな風景がひろがっているのか?
その世界にいるあなたは、何をする?
空想世界をイメージできるようになると、それを漫画にしたり一場面を絵画として描いたりできるようになる。
まずは、日頃から空想をする習慣を持とう。
例えば皆が目の前の木を見てるなら、あなただけはその木を「ジャックと豆の木」として空想し、豆の木を登った物語を想像してみよう。
このような空想の習慣から、漫画や絵を作るために必要な創造力が養われるのだ。
周りに流されて生きてきた漫画アート芸術家の日々
僕は高校卒業後、本来の自分を取り戻すために引きこもり、自己の創造世界に没頭した。
それまでの僕は、外部世界に流されて生きる人間だった。
●本当はやりたくないけど皆がしてるからから自分も
●まわりと調子を合わせて偽りの自分を演じる
みたいに、本来の自分じゃない人を演じていた。
こういうことをしてると段々疲れてきて、「俺は一体何をやってるんだろう?」という気持ちになる。
なぜ偽りの自分を演じるかと言えば「皆と一緒じゃないとおかしい」という暗黙の空気を感じていたからだ。
僕は太宰治氏の「人間失格」を読んでいるとき、「これは自分のことを書いている!」と感銘を受けたことがある。
「人間失格」は「みんなの前では道化(ピエロ)になって人を楽しませてるが、心底では偽りの自分を演じることに苦悩する」主人公の物語。
太宰治氏は作品に自分を投影させるので、「人間失格」を読んだとき、すごく共感を感じた。
そして自分の恥ずかしい部分をさらけ出して、作品に昇華する技に心から感動した!
この手法は、ジョンレノンやファンゴッホも行っている。
僕は彼らのように、自らをストレートに表現する人でありたいと思う。
だから漫画アートでも、ありのままの自分を描くのだ。
一切を包み隠さず、暴露するのだ。
苦しい時は苦しいことを、楽しい時は楽しいものを表現する。
だから僕にとって漫画アートを作ることは、自己表現なのである。
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「皆がしているから私も」の日本的な圧力
日本社会には「皆がやってるから私も」的な考え方があるように思う。
これは協調性を持てるメリットはあるけど、暗黙に行動を強制させる力もあるように感じる。
例えば「皆が右に行ってるんだから、あなたも右に来ないとおかしい」のような空気感があり、その圧力で無理やり右に来させるような力だ。
僕は、これが嫌いだった。
だからあえて人と違うような生き方をして、普通よりは異端な人間であることを選んだ。
しかし芸術と出会う以前の僕は流されるままに生きてたから、「皆と一緒」の圧力で大きなストレスを味わった。
このストレスが最高点に達したのが、高校卒業あたりのころ。
そのため僕は就職も進学もせず、自分の創造世界への引きこもりになったのだ。
引きこもりになって世の中から隔絶して生きていた芸術家
20歳前後の僕は引きこもり、ほとんど世の中から隔絶して生きていた。
例えれば、仙人が奥深い山にこもって修行をしているイメージだ。
まだ若く人生の夜明けという時に、僕は自らの創造世界に引きこもって自分の世界を探求した。
しかしこれは、最高に素晴らしい時間だった!
この時期に自分の世界を探求することで、生涯をかけて生み出したい創作を発見できた。
そして今この瞬間も、尽きることのない創造意欲を感じている。
全てはあの時、徹底的に自分の世界に引きこもり「表現したい何か」を見つけたからだ。
表現者は人生のある時期に、「自分の世界に引きこもる」時間を必要とするのだろう。
自分に眠る表現世界を見つけるためには、外部の雑音を排除して、自己の内部に深くもぐる期間が必要だ。
これは、孤独な時間である。
一人の時間に自分と向き合ったとき、表現すべき大切なことが見つかったのだ。
自分を孤独の極限状態に追いこんだときに、達成したい目標や創作したいものを見つけた。
引きこもり生活が、芸術家に本来の自分を取り戻させたのだ。
ナポレオン・ボナパルトは言う。
「孤独は、天才の学校」~ナポレオン
多くの人は、孤独な状況を恐れる。
しかし表現者にとって本当に大切なものは、一人になった時に訪れるのだ。
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引きこもりになって本当の自分を見つけた時に芸術家が得たもの
僕は、まわりに流されて生きてきた人間だった。
しかしある時期を境に、物事に動じない性質を身につける。
実家に引きこもり、自分自身と向き合ったときからだ。
まさに僕が芸術と出会った、18~20代前半ころのこと。
それまでは何も考えず毎日を、流されるままに生きていた。
しかし「皆と一緒」の圧力から出て引きこもりになった僕は、愛する創作の世界に没頭できた。
この体験により、本来の自分を取り戻すことになる。
それまで皆に合わせて、偽りの自分を生きていた日々とおさらばしたのだ。
これを後押ししてくれたのがファンゴッホやセザンヌ、ミケランジェロなど個性の強い芸術家たちだった。
ぼくは彼らの伝記を読んで、大きな感銘を受けた。
異端であるがゆえの個性。
彼らの存在は普通になり切れない異端児の僕にとって、共感がもてた。
その時だ、芸術を生み出そうと思ったのは!
漫画アートを通して、ありのままの自分を打ち出すようになったのは!
日本人が持つ「皆がしてるから私も」的な価値観に、反逆するようになったのは!
僕はこのことをお伝えしたい。
「あなた自身に忠実であれ」
●本当はどう生きたいのか?
●何を作りたいのか?
●何を発信したいのか?
これらに正直な気持ちで答え、それを実践するのだ。
まわりの目を気にした生き方ではなく、本心が望む人生を生きよう。
それは難しいと言うかもしれない。
しかし皆と同じ方向を歩いていたら、その他大勢と変わりない人生を歩むことになるだろう。
パッケージ化された人生が生きたい人は、それでいい。
しかし少しでも自分らしく生きたいと願うなら、心の声に耳を傾ける必要がある。
僕の場合「皆に流される人生」を抜けられたのは、外部と接触を断ち、創作世界に引きこもりになったのが原因だった。
人によって気づき方は違う。
「みんな一緒」の圧力から、本当の自分らしさに軸を移すことから始まる。
この歓喜に満ちた人生を素晴らしいものにするか、決められたレールの上を歩むのか?
これを決めるのは、あなたを置いて他にない。