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アート要素の入った漫画創作を志向する表現者・漫画アート芸術家。
そんな漫画アート芸術家のフリーランスな日常を、絵日記漫画にして切り取るシリーズです。
漫画アート表現者が普段どんなことを考えているのか?
頭の中がのぞけるかもしれません。
潜在意識的にみて不快に対してどう向き合うのか?
潜在意識的見地から真理をみたとき、この世にあるのは完璧な充足であり、不足はすべて幻ということになります。
つまり不快なことは、ウソだということです。
人間として何かを認知するというのは、不完全な5感(視覚、嗅覚、味覚、触覚、聴覚)を使い、脳のフィルターを通して知覚するということです。
人間の5感は感知できる領域に限界がありますね。
例えば犬ほどには性格に匂いをかぎ分けることができないとか。
そんな不完全な5感で対象をとらえてるんですよ。
脳のフィルターからしても、生まれてからこれまでため込まれた、思い込み、常識、好みなど、その人特有の概念が認知に作用しています。
例えば男とはこういうもので、犬とはこうだ~など、教え込まれたあらゆることが先入観としてフィルター効果をもたらすということです。
人間として何かを知覚する時、対象をありのままに知覚しているわけではないのです。
本来の実像とは異なるものを知覚しているということになります。
実際のところ、万物は粒子であり波動です。
その波動を人間の5感で知覚すると、今のように体験するということなんですね。
不快と感じてるのは、エゴの思考です。
実際にはこの世に不快なものなど存在しません。
なんらかの体験を知覚したとき、これは不快なことだと人が決めるから、不快な現象として現れます。
本来あらゆる現象は良くも悪くもない、ニュートラルな位置にあります。
エゴは世の実像をとらえられないので、あたかも不快が本当に存在していると思ってしまう。
でも、不快だと思ってるそれは、本当はないんですよ。
だから、疑う。
「その不快な現象、記憶、体験って本当にあるのか?」と。
「ひょっとしたら、すべては完璧に満たされてるんじゃないのか?」と。
真理の視点から見た時、すべてが完璧に満たされてるは本当なんですよ。
不足を疑い、充足に視点を移すことで、体験のなかに充足的なものが現れる余地が生まれます。
ただ不足を疑うだけでいいのです。
疑うことによって、その現象はニュートラルな位置に戻ります。
不足は本当は存在してないのだから、疑っている以上、やがて消えざるを得なくなるでしょう。
こう考えると、ぼくは人生ってなんて楽しいものかと思えてきます。
不足を疑うに関する記事は以下リンクにもあります♪
前後の「漫画アート芸術家のフリーランスな日常」は以下リンクから♪
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