筆者は、絵を描くことは自己表現だと思っている。
商売で絵を描く時は、クライアントの要望に応えるものを描くので、自己表現ではない。
「絵を描くことは自己表現」は、自分を強く打ち出したいときに描くアートとしての絵のことである。
そもそも、自己表現とは何か?
●自分の思いを、そのまま周りに伝えること
●自分が望む人生を、その通りに歩むこと
●自分自身の思いを、作品にこめて表現すること
とある。
絵を描くことが、すべての人にとって自己表現である必要はない。
好きだから絵を描く。
画力を向上させたいから絵を描くという人だっている。
でも少なくとも僕にとっては、絵や漫画を描くことは自己表現なのだ。
筆者は漫画アートを生み出す表現者。
この記事では「絵を描くことは自己表現」について、表現者である筆者の考えを激白しよう。
Contents
なぜ絵を描くことが自己表現なのか?
なぜ筆者にとって、絵を描くことは自己表現なのか?
それは自分自身の存在を絵や漫画にこめて、自己表現したいという欲求があるからだ。
絵や漫画は、ぼくの手で描くことで生まれる。
絵を描くというのは、筆者が生きているときに残した痕跡だ。
絵を描けば、作品が残る。
絵は、この世に粕川という人間がいた証明みたいなもの。
その人間がこの世にいたということを証明するとき、あなたは何を残すだろうか?
写真、住民票、免許証、その人が使っていた道具、などいろいろあるだろう。
しかし筆者は、自分が生きた証を絵や漫画として残しておきたいと考える。
筆者が描いた絵や漫画を、自分がこの世に存在した最大の証としたいのだ。
筆者にとって自作の絵や漫画は、この世界に残していく形見といえる。
自分がこの世にいたことを証明するものが、絵や漫画なのだ。
自分そのもといえる形見の絵を描くとき、どうして自己表現せずにいられるのか?
ただ目の前にある対象を描くだけなら、写真を撮ったほうが早い。
他の人でも描くような絵なんて、形見にしたいとは思わない。
どうせ筆者がこの世に遺産として漫画アートを残すなら、強烈に自己表現をして絵を描く。
自己表現で絵を描くなら、それだけ粕川という個性が絵に付与されるからだ。
絵に粕川らしさが入れば入るほど、その絵は筆者の形見にふさわしくなる。
何よりも自分らしい漫画アートをこの世界に残すには、自己表現で絵を描くしかないのだ!
このような理由から筆者は、自己表現で絵を描くことにしているのだ。
自己表現で絵を描く理由:強烈すぎる表現欲求
筆者が自己表現で絵を描く理由は、強烈すぎる表現欲求があるからだ。
筆者は昔から、抑えがたいほど強く表現したい気持ちがあった。
自分はこうなのだ!ということを、世間に表明したいのだ!
自分を表明したところで、なにかいいことがあるわけではない。
しかし意味があるないに関わらず、筆者は強烈に自分はこうなのだ!ということを叫びたい。
自己表現する方法は、必ずしも絵を描くことだけではない。
ブログを書く、ツイッターでつぶやく、歌をうたう、詩を書く、漫画を描く、動画を作る、しゃべる…どんな方法でもかまわない。
とにかく、自分はこうなのだ!ということを、強く訴えたいのだ!
自己を強烈に表現する。
これが人生をかけて、筆者が行いたいことなのだ!
自己表現をする方法はたくさんある。
その中でも一番好きなのが絵を描く(漫画を描く)こと。
絵を描くことが、すべての人にとって自己表現だとは思わない。
しかし筆者にとって絵を描くことは、まぎれもない自己表現なのである!
ただし、商売として絵を描くときは別だ。
クライアントがいて描く絵に指定があるとき、筆者は絵を描く商売人に徹する。
そこで必要なのは自己表現ではなく、クライアントの望みをかなえるものを描くことだ。
だから自己表現として絵を描くというのは、アートとして作品を作る時のことを言っているのだ。
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自己表現で絵を描くとは、自分と対話をすること
自己表現で絵を描くというのは、自分と対話をすることだ。
何かを表現するというのは、自分自身と真正面から話しあうことなのだ。
「自分とは何か?」を見つめることから、自己表現は始まる。
世の中にはたくさんの人がいる。
何十億といる人の中で、自分は一体何者なのか?
多くの人は、こんなことあまり考えないだろう。
「自分とは何か?」の答えを見つけたところで、1円も儲かるわけではない。
しかしあえて「自分とは何か?」と問える感性を持つ人は、表現者としての素質があるのだ。
「自分とは何者か?」の答えが、表現者の個性だからだ。
芸術を作るというのは、経済的効率性とは真逆にあるように思う。
無意味な放浪も、芸術においては役に立つ。
僕は人生で、ずいぶん遠回りをしてきた。
様々な表現を試し、様々な仕事を体験し、一見ムダと思えることをやってきた。
しかし、表現者にとってムダな経験など一つもないということが分かった。
経験は、全て表現に生かせるからだ。
自己表現で絵を描くなら、ありのままの自分を肯定せよ!
自己表現で絵を描くなら、まずは自分を肯定することから始めよう。
今まで生きてきた人生の道のり、人との出会い、成功と失敗、無意味だと思える行動…
それらはあなたを作る要素であり、他とあなたを分ける明確なラインだ。
自分の生きてきた人生を絶対肯定し、それを創作で自己表現するのだ!
こうすることで、創作にゆるぎない個性が宿る。
どんなに目を背けたい過去があっても、それを絶対肯定する。
つらい過去ほど、むしろ100パーセント創作に生かすべきである!
一番恥ずかしい自分をさらして、強烈に自己表現すればいい。
恥ずかしい自分をさらすことが、そのまま自己表現につながっている。
つまらないプライドなんかたたき捨てて、一番恥ずかしい自分を痛烈に自己表現するのだ!
そのとき、自分のなかの小さな殻がぶちこわされるだろう。
それでいいのだ。
もはや失うものは、何もない。
この精神が、人間を強くする。
タフな心が身につき、強烈無比な自己表現で絵を描く人物になれるだろう。
生きてきたすべての人生を良いことも悪いことも、みんな含めて絶対肯定するのだ!
開き直るのだ!
その時、不滅の自己表現力が身につくに違いない!
それは独りよがりな行為だというかもしれない。
たとえ独りよがりだろうと、一向にかまわない。
むしろ独りよがりに見えるくらい突き出ることだ。
日本人は自分を主張しなさすぎる。
独りよがりだと言われたら、開き直ればいい。
私はそれでいいと、宣言すればいいのだ!
目立つ杭になれば、叩いてくる者がいるかもしれない。
しかし一向気にせず、目立つ杭になり続けたとき、だれもその杭をたたけなくなるだろう。
中途半端に目立つ杭になるから、的にされるのだ。
鬼のように徹底した杭である時、だれもそれをたたくことはできないのだ。
筆者は、自分が生きてきた全人生を絶対肯定した。
もはや失うものなど何もないと、腹をくくった。
だから今ではなりふりかまわず、自己表現で絵を描くことができるのだ!
人間社会に寄生する、くだらないプライドなんか、たたき捨てよ!
そして、唯一無二の自分自身でいるのだ!
このとき、恐るべき自己表現力が身につく!
自己表現として絵を描くなら、誰とも違う人間でいるんだ!
あなたが自己表現として絵を描くなら、他のどんな人間とも違う存在であれ!
誰かと一緒なんて思って、安心感を感じている場合ではないのだ。
大丈夫。
素の自分でいれば、それがすでに個性なのだから。
無理に変わった人になろうとしなくても、ありのままの自分でいればそれがオリジナリティなのだ!
人と変わっているというのは、価値である。
本来人間は、誰とも違った存在なのだ。
人と違うから、そのぶん強烈な自己表現で絵を描く人物になれるのだ。
他と自分の違いを知ることで、自己表現はより強烈に行われる。
日本人は、みんなと違うことを恐れる傾向がある。
しかしだからこそ、誰とも違った存在でいろ!
人と違ったことをすると恐れる日本人の前だからこそ、より強烈に自己表現をしてやるのだ!
自己表現で絵を描くとは、どこまでも純粋な自己に到達していく行為だ。
人と違っているところが、あなたなのだ!
周りと自分の違いを明確にすれば、それだけ自分の個性が見えてくる。
自分の個性がみえたらそれを表現することで、あなたオリジナルになる。
自己表現で絵を描くことができないときは?
もし自分にはたいした個性がないと思うなら、自身と向き合ってほしい。
表現者が作品を作るとき、自己と向き合うのだ。
自己と向き合うとき、表現者は孤独になる。
それで、いいのだ。
偉大な作品は、孤独なときにこそ生まれる!
ナポレオンが言ったではないか。
「天才は孤独から生まれる」と!
いつも誰かと一緒にいては、深い自分と向き合うことはできない。
自分の心の奥深くに入っていき、自己の魂と向きあうためには、孤独な時間を作るのだ。
そして、本当の自己と向き合う。
自分自身と深く対話し、真実の感情、感覚を知るのだ。
それが分かれば、自己表現で絵を描くことで、強烈に表現すればいい。
あなたにとって真実な感情は、どこかの誰かにとっても真実な感情だ。
深く共感したときに、人は感動する。
あなたは人の胸を打つ表現者になれるだろう。
自己表現で絵を描くことを、難しく考えなくていい。
一人の時間を持って、素直な自分と向き合うことだ。
自己の魂と対話して得たものは、あなたの真実だ。
あなたの真実をこそ、強烈に自己表現する。
楽器を演奏する人なら楽器で、詩を書く人なら詩で、絵を描く人なら絵で表現すればいい。
「自分とは何か」を考えられる人は、表現者の素質を持っている。
自分自身と向き合い、自身の本質を見つけるのだ。
そしてあなたの魂を、強烈に自己表現せよ!