人生生きてると嫌いな人があらわれて、頭から離れないことがあるかもしれません。
この記事では 「あ~、どうしよう!嫌いな人が頭から離れないよ~!」なんてことになった時のために、宇宙的視点からみた対処法を書いていきます。
「宇宙的視点からみた対処法?」と思われた方には、ちょっとぶっとんだ内容になるかもしれませんが、そんな捉え方もあるんだな程度にお受け止めください。
「不足(嫌なこと)は存在しない」という観点からみたら、「そもそも嫌いな人なんて存在しないよ」という話になります。
でもこの記事では「不足は存在しない」とは別の観点からの対処法を書いてみます。
まずは「嫌いな人が頭から離れない」というネタで描いた4コマ漫画をどうぞ♪
嫌いな人は本当は…
前後の「もっとがんばれ!バカオくん」は以下リンクから~
嫌いな人が頭から離れない時の宇宙的視点からの対処法
まず初めに筆者の大前提を書きます。
「自分=宇宙」なので、他人は自分です。
「他人は自分!まずそこが理解できないよ~!」ときそうですね。
筆者がとらえる宇宙的視点からみたら、自分と他人の間に境界線はありません。
自分以外の他人がいるという発想は「分離」の思考ですね。
本質をみるとき「分離は嘘」で、「すべては一つ」なんです。
「でも目の前にAさんがいる。Aさんは自分とは違う意識を持った生命体だ」と思うでしょう。
確かにAさんは独立した個人として生きる生命体です。
でもAさんは、Aさん自身の宇宙を生きてます。
いまあなたの目の前にいるAさんは、あなたの世界におけるAさんなのです。
本当の自分は肉体ではなく意識体。
あなたの世界においては、あなたが存在するすべてと一つなのだから、Aさんは自分ということになります。
自分というフィルターを通してしかAさんを認識できないのです。
だからAさんは、あなた特有の見え方で現れることになります。
そのAさんに対して「この人嫌い」と思うとは、どういうことでしょうか?
これはつまり、「自分自身が嫌い」といっているのです。
ここは理解が難しい部分だと思います。
なにかの対象に対して「好き」でも「嫌い」でも感じる時、それは自分自身の一部をみてそう感じているのです。
自分自身の中にないものは、認識できません。
例えば夜明け空から顔を出す太陽をみて美しいと感じたとしましょう。
この「美しい」という感情は、本当のあなたである実像の中に「美しい」が既に存在するので、「美しい」と感じます。
「美しい」という充足を体験したということです。
反対に嫌な気持ちになる不足は、実像においては存在しません。
「ない」は存在できない。
実像をみたとき、不足は存在しないのです。
でも、Aさんをみて嫌だと感じてしまう。
ということは、自分の中に「嫌だと思うこと」「許せないこと」があるのです。
これまで生きて体験したあらゆる思い出、自身に対する認識の中に、自分を受け入れられない部分があるのです。
「許せていない自分」、「嫌いな自分」があるから、他人や外の現象にそれを投影して「嫌い」だと感じてしまいます。
自分と外側には、本当はなんの境界線もないので、自分の中に感じる嫌な部分を外側に投影してみてしまうのです。
だから「Aさんが嫌い」ということは「自分の中にAさんに関連するような嫌な部分が存在する」ということになります。
他人の何らかの要素が気になる時、そこには自分と関連するなにかが隠されています。
自分が興味もないし関係もないようなものに、人は意識を向けないからです。
道を歩いてて、下にある小さい石ころに注意を止める人はそういないでしょう。
何かが気になるというのは、自分もその要素をもってるから気になります。
例えばAさんが、歌のうまい人をみて嫉妬したとしましょう。
この場合Aさんは、歌がうまい人なみに歌唱能力を持ってる可能性があります。
Aさんはその能力があるから、現時点では能力が発揮できてない自分を感じて嫉妬するということがあるのです。
自分の内側と外側はつながってるから、外にあるものに自分を投影して感情的に反応してしまうのです。
誰かを嫌いになるというのも、これと同じ。
誰かが嫌いと表面では思ってますが、その裏では自分自身に対する「嫌い」をみていることになります。
では嫌いな人がいて頭から離れない時、どう対処したらよいのでしょうか?
自分のすべてを無条件に許し、愛する【自愛】
誰かを嫌いになるというのは、本当は自分自身の中にある「嫌い」をみているのだから、答えはひとつです。
自分自身のすべてを、無条件に許し、愛する。
つまり「自愛」です。
意識にのぼってこないかもしれませんが、 人は自分自身を気づかない内に否定していることがよくあります。
「自分のあそこが良くない、だからこうなったんだ」とか「過去に自分がしてしまったあの行為が許せない。あの行為のせいですべてが台無しになったんだ」みたいな自己否定です。
「不足は存在しない」という観点からみたら、上の自己否定は思考のウソということになります。
しかしこの記事では「自愛」という観点から書くので、自己否定はあるということにしておきます。
自分に対して否定の言葉を浴びせ続けていると、向きが不足に向いてしまうので、外側にも嫌なことをみるようになります。
結果的に、他人に自分の嫌な部分を投影させて「あの人嫌い」になってしまうのです。
自分以外の誰かが嫌いだと思ってるようですが、あなたの宇宙においてはあなたが存在する全てなので、嫌いなその人は自分自身ということになります。
だから「無条件に自分を許します」。
「無条件に自分を愛します」。
自分に対して「無条件でOKをだします」。
一切自分を責めたり、攻撃しません。
どんなことをしようと、なにが起こってしまっても、そんな自分に対してOKをだします。
「大変なことをしてしまったかもしれないけど、そんな自分でも大丈夫だよ」と、許します。
例えば「今日は丸一日しっかり勉強するぞ!」と決めて取り組んだけど、結局勉強がほとんど進まなかったとします。
「勉強が全然進まなかったかもしれないけど、でもそんな自分でも大丈夫」と許します。
「自分の顔はブサイクかもしれないけど、でもそんな自分も愛してるよ」。
「お金が少ないかもしれないけど、そんな自分も大好きだよ」。
~などのように。
なにか良いことをしたから自分を「愛する、許す」ではありません。
何をしようとしまいと、あるがままの自分をただありのままに「許し、愛します」。
すると、どうなるでしょうか?
嫌いだと思っていたAさんを、許せるようになるのです。
「嫌い」という幻の不足が消え去ります。
ありのままの自分を無条件に愛し、許せているので、外側に対しても同じような見方ができるようになります。
しかし自分を責め、自分を怒って、おとしめ続けたらどうなるでしょうか?
「自分=世界(宇宙)」なので、世界があなたに対して怒りや憤りをみせてくるようになります。
自分と外側は一つなので、自分に厳しいと外側からも厳しいと感じるような現実を体験することになります。
なぜかわからないけど他人から責められたり、嫌なことがあったりという形で、あらわれてくるのです。
でも無条件に自分を愛し、許し、OKを出すとどうなるのか?
世界からもあなたに対して愛や許しのような、充足を感じる出来事が見えてくるようになります。
自分の内側と外側はつながってる。
他人に対して何かを感じた時、それは自分の中にある一要素をみています。
世間では自分に厳しくして、苦しいことに挑戦し、乗り越えてこそ人は成長するみたいなとらえ方がありますね。
ぼくはこれを否定はしません。
でも人が成長することと「自分に対して苦しさや厳しさを与えること」は、なんの関連性もありません。
むしろぼくなら「人生激甘で大丈夫だよ!」と大声で叫びますねw
人は気づかない内に自分を責めてしまいがちなものです。
知らないうちにため込んでしまった自分に対する否定を、外側に投影して「嫌い」を感じてしまっている。
それなら、どんな自分だろうと無条件に許せばよいのです。
無条件に自分を愛するのです。
なにをしようとしまいと、自分だけは自分にOKを出すのです。
これが自愛です。
自愛をすることで、自分だけでなく他人に対してもOKを出せるようになります。
「嫌い」という幻の不足が消えていきます。
最後に
嫌いな人がいて、その人のことが頭から離れない。
そんな時は自分自身と向き合って、「どこか自分を許せていない部分はないか?過去、肉体、性格、対人関係でもなんでも、自分を責めて否定してる部分はないか?」と思いをはせてみてください。
そしてもし自分に対する否定の念を感じたら、「あるがままの自分を許し、愛し、認めます」。
「どんな自分であろうと大丈夫だよ」とOKを出します。
人生を生きてて、あらゆることに「自愛」をしていくと、外側の世界からも愛や許しなどの充足が感じられるようになるでしょう。
そして、嫌いだと思っていた人を許せるようになります。
「嫌い」という感情が知らないうちに消えていたということになるでしょう。
そして、幸せに生きていけるようになるのです。
今回は自愛という観点から書きましたが、そもそも嫌なこと(不足)は存在しないことについては以下記事に書きました。
最後までお読みくださりありがとうございました!