ぼくは不足(嫌なこと)は嘘であるとみえたので、不足に対する免疫があります。
しかし多くの場合、人生生きてると不足(嫌なこと)にとらわれがちなものです。
不足が気になって現実の嫌な面にばかり意識が向いてしまい、どうしたらいいかと思うこともあるでしょう。
この記事では上のような方に向けて、あらためて筆者がとらえる不足について、現実と思われているこの世界について考察するとともに、 不足を感じた時の対処法も書いていきます。
不足にとらわれてしまった時は、このようなとらえ方もあるのだなと思い出していただけたら幸いです。
根本的な不足を疑う人が新型コロナ騒動をみて…
潜在意識の概念すら必要ない~不足は嘘
現在のぼくは潜在意識の概念さえ必要ないと考えてます。
宇宙的な視点からみて、根本的真理は以下ととらえます。
●すべてが既にある(なりたい自分を選ぶだけ)
●不足は嘘(幻、錯覚)
●いつも完璧な充足の中にある
ぼくのとらえ方の根底にあるものは「現実は幻想」ということです。
人間の体をまとっている時点で、限られた領域しか認識できない5感(触覚、味覚、視覚、聴覚、嗅覚)で世界をとらえることになります。
人間の5感では、物事の本当のあり様をとらえることができません。
宇宙的視点からみた時すべてが既にあり、完璧な充足の中にあり、欠けてるものなど何ひとつない。
本当の自分とは宇宙を含めた一切だから。
すべての人が宇宙そのものとして、それぞれの世界に存在してるから。
その一切である自分が、人間の衣をまとって一時的に地球へ遊びに来ている。
人間になるということは知覚を遮断され、限られた知覚で捉えることしかできない、幻の世界を体験するということです。
人間であるということは、バグの中で世界を体験していることになります。
人間という制限された存在として世界をみるとき、宇宙の本当の姿(実像)を歪んだ虚像としてみることになるからバグなのです。
さらに人間世界でいわれる様々な約束事や常識などがからんで、実像が見えなくなり、虚像が虚像を結びます。
虚像が何重にもからんだ末に、実像(本当)の状態が何も見えなくなりました。
この状態が「ない」です。
お金がない、欲しいものが手に入らない…などの欠落感、不足です。
でも宇宙的視点から実像をみた時、すべては既にあるのです。
全て在るから、「ない」状態が存在できない。
「ない(不足)」は嘘ということになります。
あなたの望みが叶った状態がすでにある。
望みが叶った自分の方向を向くことにより、現実世界でもそれが見えてきます。
時間など本当は存在しないので、今この瞬間(別次元)に既にあります。
でも人間という限られた知覚から物事を認識するので、すでにある完璧な充足がわからない。
人間であることがすでにバグの状態なので、人間世界でいわれるあらゆることが、「バグの世界上での出来事」ということになります。
つまり「現実は幻想」です。
例えばぼくは、本当の自分とは人間の肉体ではなく「意識そのもの」ととらえてます。
この宇宙的視点からみた時、人間世界で言われる「死」は、本当は存在しないことになります。
死とは肉体という幻を脱ぎ捨てただけで、ただ本当の自分に戻ることなのです。
これと同じように病気や加齢、新型コロナ騒動や天災など、あらゆる不足と思われる状況は、宇宙的視点からみたら幻であり、存在していないということになります。
本当に存在するのは、充足だけです。
あなたが「これいいな!」と安心感や幸福感を感じた時、それは実像の状態を体験しているのです。
充足が本当にあることで、不足は嘘です。
人間として生きてると病気はあるし、時間がたてば年を取り肉体が劣化していくみたいに思ってしまいますよね。
でもこれは当人が「そうなのだと」当たり前なこととして認識することによって、人間の幻想世界でそれがあるように見えるだけ。
すべての人はその人の世界における創造主なので「そう認識することによって」現実でそれを見ているということになります。
人間世界でいわれるあらゆることが「バグの世界の上での出来事 」です。
歴史とか時間、哲学や芸術、あらゆることがそうです。
この観点からみると、潜在意識も概念の一つにすぎなくなります。
「メソッドをして、潜在意識を活用することによって願望を実現する」という発想自体が、バグの世界での設定になるんです。
本人がそれに力があると思えば、それは力を持つのです。
潜在意識の存在を否定はしませんし、それはあると僕も思ってます。
ただ潜在意識という発想がすでに、「バグの世界上での概念」にすぎないのです。
潜在意識や引き寄せの法則とかいう概念を持ち出すまでもなく、根本的真理とは~
●すべてが既にある(なりたい自分を選ぶだけ)
●不足は嘘(幻、錯覚)
●いつも完璧な充足の中にある
なのです。
でも潜在意識とか引き寄せの法則などを意識しすぎるあまり、「ちゃんと気分よくいられたかな?」「ちゃんと意図は出てるのかな?」「アファメーションが足りないのかな?」などと条件づけをして、完璧な充足をさえぎってしまうことになります。
僕ならこういった自分に課される重荷を、すべて降ろします。
重荷を感じた瞬間に捨て去ります。
「こんなものいらない!」と。
重荷とはあらゆる嫌なこと、欠落感を含めた不足もです。
潜在意識を活用してどうにかする必要さえなく、ただ既にある充足とつながっているだけでいいのです。
そうすれば、すべてがうまい具合に回っていく。
なので、潜在意識というバグ世界上での概念にさえとらわれる必要がないと思うようになりました。
人間であることが既にバグであり、我々が知覚するあらゆることが幻想(バグの世界上でのできごと)なのだから、不足も嘘ということになります。
あなたが感じるあらゆる嫌なことは、本当の視点からみた時、なにひとつ存在していない。
それどころか、もともと自分は完璧な充足の中にいたのです。
宇宙はYESとしか答えません。
あなたが認識したことに対して「いや、それは違う。こっちの方がいいよ」とはいいません。
あなたがそうだと認識するのなら、そうだと思うことを無条件に与えてくれるのです。
これは宇宙の無限大な愛です。
親が子供の欲しがるものを与えるように、あなたがリクエストすることを、ただただ見せてくれるのです。
すべてが在る領域から不足があると錯覚したあなたが、それを現実に投影させて、あたかも本当のことにように体験している。
不足とは、当人が不足があると認識することによって姿を見せる幻です。
本当は不足はないのです。
だからぼくは以下の記事で、「あ、そうだ。不足って存在してないんだった」と思い出してくださいと書きました。
ぼくは死や病気、加齢による衰え、新型コロナや天災なども含めて不足ととらえます。
それら不足は、本当は存在していない。
でも創造主である自分がそこに意識を向ければ、不足も存在できる。
例えばある国で戦争が起きたとします。
自分がそこに意識を向け、当地に行ってみれば、戦争を体験できる。
こういう意味では「存在するけど存在しない」という矛盾が同時に混在できる不思議な世界です。
あらゆる事柄がすでにある中で、自分がどこに意識を向けるかによって、体験するものが決まるということですね。
これが筆者の物事のとらえ方であり、前提です。
ではこの前提の上で、人生で不足とみえる出来事に出会った時どう対処するかについて以下から書いてみます。
不足を疑う
上にも書いたように、本当は不足は存在しません。
不足は、自分が嫌なことがあると意識で支えることによって見えてくる幻です。
なので不足と感じることがあったら、なんであれそれを疑います。
「今自分は不足を感じたけど、それは本当に存在してるのかな?」
これだけです。
「不足を疑う」は不足を消すためにするのではありません。
もともと不足は存在しないのだから、実際のあり様に意識を向けているだけです。
「不足を疑うことによって、不足を消そう」と考える時、不足がすでにあることを自分自身で認めてしまっています。
嫌なことがあるという、幻の重荷を抱えてしまっています。
幻の不足を抱えることで、それを体験しているのです。
その嫌なことがあると感じている知覚そのものを疑います。
「自分は嫌なことと感じているけど、それは本当なのかな?」
「この不足、本当かな?」
不足と感じる精神的な重荷を降ろして、どうにかしようというのではありません。
重荷をおろして「ああ、ホッとした」と感じたら、それがゴールです。
充足を感じている時、実像とつながってます。
もう他にすることはありません(したければしても大丈夫ですが)。
重荷をおろしてホッとしたとき、充足とつながっているので、それが体験としてあらわれてきます。
不足はもともと存在しないのだから、あなたがそれを支えなければ、不足は消え去ります。
例えば「職場で口もききたくないくらい嫌なAさんがいる」とします。
「自分はAさんを嫌な人だと思ってるけど、それ本当なのかな?」
不足が浮かぶたびに、これを思い出してください。
不足を疑うことによって、現実をどうにかするのではありません。
ただただ、自分が存在してると思っている知覚、不足を疑うだけです。
なにか精神的に重苦しいものを感じたら、それをただ降ろすだけです。
「本当にそれ、存在してるのかな?」
背中になにか重いものを背負ったら、疲れるので地面にほっぽりだしますよね。
そんな風に、「この不足、本当にあるのかな?」と思い出す感じです。
これはあらゆる不足に使えます。
ぼくも不足を疑うをやってます。
思考で嫌だと思ってたことが、本当はそうではないことに気づいた体験が何度もあります。
不足なんて、元からなかったんだと気づきました。
不足を消そうとするのではなく、そもそも不足はないのです。
だから疑います。
不足は存在しないのだから、あなたがそれを意識で握りしめないかぎり、あなたの世界に不足が入ってくることはできないのです。
不足を疑うについての記事は以下リンクにも載ってます♪
前後のエッセイ漫画は以下リンクから♪
最後までお読みくださりありがとうございました!