ノルウェーの画家エドヴァルド・ムンクの「叫び」。
一度見たら忘れられない不安と狂気に満ちた「叫び」の世界観は、絵画史上に残る傑作!
表現主義絵画の先駆者ムンクは、自分の心の内に潜む不安な心境を「叫び」で表現したといわれています。
かつてサザビーズのオークションにて史上最高落札価格を出したことのあるムンクの「叫び」。
複数のバージョン違いが存在する「叫び」をムンクはどのような意図で描いたのか?
ムンクの芸術を心から愛する漫画アート芸術家の粕川が、ムンク絵画の特徴、「叫び」の制作背景や値段、ミイラのモデルなど「叫び」の解説をしていきます!
Contents
叫びの作者エドヴァルド・ムンクとは
エドヴァルド・ムンクは(1863年12月12日~1944年1月23日)19世紀から20世紀にかけて活躍したノルウェー出身の画家。
ノルウェーでムンクは国民的な画家と呼ばれています。
ムンク絵画の特徴は「魂の告白」ともいえる、画家の内的な思いを絵画に反映させるところにあります。
ムンクはゴッホ、ゴーギャン、ホドラー、アンソールたちのように、「表現主義絵画」の先駆者と言われているのです。
ムンク絵画の特徴とは
絵画における表現主義とは画家の主観的な観念を絵画に反映させて描いた人たちのこと。
19世紀後半にでてきた印象派や自然主義に対抗する勢力として現れたのが、象徴派やアールヌーボー、そして表現主義の先駆者たちです。
ムンク絵画の素晴らしさは、「画家の内的観念」を事物に反映させて描くところにあります。
ムンクの「叫び」を見るとわかるように、事物がゆがんだ形で、不気味な色彩で描かれています。
これは画家ムンクの内的な表現なのです。
印象派といえば、事物にあたる光をそのまま捉えて描くような、画家の目に映る客観性を描くものでした。
ムンクは目にうつるものをそっくり描き映すのではなく心の内を見つめ、自己のありのままを対象にのせて描く画家でした。
まさに「絵画による自己表現」を行ったのがムンクやファン・ゴッホなのです。
ムンクやファン・ゴッホの上のような特質が本当に素晴らしいと思う!
愛と死と不安をテーマに描いたムンク
ムンクの長い生涯の中で、「叫び」や「マドンナ」など代表作となる絵画が描かれたのは1890年代。
年を取るにつれてムンクは画家としての名声を確立し、同時に作風はやや変わっていきます。
晩年のムンクは穏やかな風景画、人物画などを描くようになりました。
初期のような緊張と狂気のスレスレを描く絵画の生命感は、晩年に行くほど少なくなっていきます。
ムンクは1890年代というまだ若い時期に、画家としての黄金時代を迎えたといえるのです。
「愛」、「死」「不安」をテーマとしてムンクは絵画を制作していきました。
ムンクは幼いころにお母さんが死んでしまい、思春期のころには姉までなくすという経験をしています。
ムンクは幼くして大切な人の死に出会い、落胆したことでしょう。
このような経験からムンクは創作のテーマとして「愛、死、不安」を取り上げるようになったと考えられます。
「愛、死、不安」という概念の元に制作した一連の作品をムンクは「生命のフリーズ」と呼びました。
今回ご紹介するムンクの「叫び」は「生命のフリーズ」の中で一番有名な作品です。
ムンク絵画の特徴:連作
ムンクは絵画を制作するとき「連作」という手法を使いました。
連作とはあるテーマに沿った内容の絵画を連続的に描くことで、より深くテーマに切り込もうとする表現手段です。
ムンクは絵画一点一点を別作品として描くのではなく、連作という形でテーマを共通させて制作をしていきます。
ムンクは連作の手法で絵画を作ることで、統一感のある芸術的テーマを全面に打ち出す方法をとったのです。
そのムンクのテーマとなったのが「愛」、「死」、「不安」であり「生命のフリーズ」でした!
連作によって深くテーマに切り込むムンクの創作法は斬新であり、僕も大きな影響を受けています!
ムンクの描いた「叫び」の原題
ムンクが「叫び」に対してつけた原題はドイツ語で「Der Schrei der Natur」といいます。
日本語に訳すと「自然の叫び」。
「自然の叫び」…なんてムンクの「叫び」を的確に表した言葉だろう!
「叫び」は「The Cry」と言われることもあるようです。
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複数存在する「叫び」シリーズ
ムンクの代表作「叫び」シリーズは複数のバージョン違いがあります。
最も有名なムンクの「叫び」は1893年に油彩で描かれたもので、ノルウェーのオスロ国立美術館に所蔵されています。
エドヴァルド・ムンク「叫び」
画材:油彩、キャンバス
サイズ:91cm×73.5cm
オスロ国立美術館所蔵
他にムンクの描いた「叫び」シリーズは以下があります~
●1893年と1895年にパステル版の「叫び」
●1895年にリトグラフ版の「叫び」
●1910年にテンペラ版の「叫び」
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これに1893年の一番有名な油彩「叫び」を合わせて、全部で5点の「叫び」があるわけです。
心の不安を、ダイレクトに色彩と形態を用いて描いたムンクの「叫び」。
西洋美術史を見渡しても、「叫び」のような個性ある絵画はなかなか見つかりません。
一目見た人の頭に強烈に刻み込まれる色と形。
シンプルに描かれた「叫び」ですが人の心に与える印象は尋常でなく、まさに「芸術」と呼ぶにふさわしい傑作!
ジャーナリストのアーサー・ルボーはムンクの「叫び」を見て以下のように語っています。
「近代美術のイコン。わたしたちの時代のモナ・リザ」
~アーサー・ルボー
2021年2月28日追記
ムンクの叫びの落書きは本人が書いた?
1893年にムンクが描いた「叫び」には、キャンバスの左上に落書きが書かれています。
ノルウェー語の落書きは1904年に発見され、鉛筆で「狂気的な男にしか描くことができない」と書かれています。
この落書き、120年の時を経て、ムンクが自分で書いたことが判明しました。
これまでは「叫び」を見た誰かが、絵の雰囲気に影響されて落書きしたと思われてましたが、実はムンクが書いていたのです。
ノルウェー国立美術館で赤外線調査をしたところ、ムンク本人の筆跡だとわかったとのことです。
ムンクの叫びは発表当時、周りから酷評されたといわれています。
批判されたムンクが苦し紛れに書き込んだのが、今回発見された落書きだったのかもしれません。
世紀の傑作絵画に、落書きするなんてイカしてますね!
しかも「 狂気的な男にしか描くことができない 」だなんて、僕はムンクのいかにも表現者らしい落書きセンスに感銘を受けました!
ムンク「叫び」の制作背景
ムンクはインスピレーションを受けて、そのイメージを「叫び」として描いたと伝えられています。
「叫び」を描くきっかっけになった体験をムンクは以下の日記に記しています。
「わたしはある夕べ、道を歩いていた。
一方に道が横たわり、フィヨルドがわたしの前にあった。
わたしは疲れ果て、気分が悪かった。
わたしは立ち止まり、フィヨルドを見回した。
日が山に入り、雲が赤く染まった。
血のように。
わたしは自然を貫く叫びみたいなものを感じた。わたしには叫びを聞く思いがしたのだ。
わたしはこの絵を描いた。雲を本当の血のように描いた。色彩が叫び声を上げた」
~ムンク
引用:集英社 世界美術全集21より
ここで出てくるフィヨルドとは学校の教科書に出てくる地理学用語ではなく、ノルウェー南東にある港湾の「オスロ・フィヨルド」のこと。
日記の言葉を読む限りムンクは非常に感受性が鋭く、感覚を絵で表現できる人だったことが伺えます。
ムンクの「叫び」は特定の人物が叫んでいる様子を描いているのではありません。
「自然を貫く叫び」に対して恐怖するものが、両手で耳をふさいだ所を描いた絵なのです。
「叫び」はムンクがフィヨルドを見回した時に感じた、不気味な感覚を描いた絵。
ムンクが「叫び」を世間に公表したとき、評論家は冷たくあしらいました。
しかし時が経つにつれて「叫び」の評価は高まり、美術史に永遠に刻まれる作品となったのです。
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ムンクと精神疾患について
ムンクは統合失調症だったと言われており、精神病院に入っていたこともあります。
ムンクが「叫び」を制作している当時妹のローラ・キャサリンは、エーケベルグにある収容所で躁うつ病患者として入院していました。
「叫び」といえば背景や人物が歪むように描かれた絵。
これは離人症性障害の人が体験するイメージと似ていると言われています。
「叫び」はチック症(三叉神経痛)の人が顔神経に痛みを感じる症状とも比較されることがあるようです。
ムンクが見たものが幻覚、幻聴だったのかは分かりません。
しかしムンクの感じた現象が何であれ、人の心を打つ素晴らしい作品であることには変わりない。
芸術家は人と違う異端な感覚により、作品を創造するのだという典型的な例がムンクなのです!
ムンクが描いた「叫び」の驚きの値段とは
ムンクの「叫び」は落札価格において最高記録を出したことがあります。
ノルウェーの実業家ペッター・オルセンが所蔵していた「叫び」パステル画(1895年)が、2012年5月2日にニューヨークサザビーズの競売にかけられたのです。
ムンクのパステル画「叫び」は、当時史上最高の値段1億992万2500ドル(日本円で約96億1000万円)で落札されました。
油彩画ではなくパステル画「叫び」でこの値段がつくのを見ても、「叫び」の評価の高さが分かります。
誰がパステル画「叫び」を落札したかは不明です。
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ムンクの描いた「叫び」のモデルはミイラ?
ムンク研究家で知られるロバート・ローゼンブラムは1978年、ムンクの「叫び」で耳をふさぐ人物のモデルがミイラではないかという説を出しました。
1889年にムンクはパリ万国博覧会に出品されていたミイラを見ており、これに影響を受けて「叫び」の耳に手を当てる人物が描かれた可能性が高いといいます。
ムンクは後期印象派の画家ポール・ゴーギャンと友人であり、ゴーギャンもほっぺたに手をあてたミイラに影響を受けた絵を描いたようです。
1888年、ゴーギャンがゴッホと共同生活をしていたアルルで描いた「ぶどうの収穫、人間の悲劇」。
「ぶどうの収穫、人間の悲劇」前方にいる女性のポーズに、ムンクの叫びと共通するミイラの影響があるといわれています。
ムンクやゴーギャンの絵にミイラの要素が隠れていた可能性があったなんて!
意外なものが創作のインスピレーションにつながるのですな。
「叫び」のクラカトア火山説
ムンクが描いた「叫び」は背景に血のような赤が使われていますが、これは1883年に起きたクラカトア火山噴火事件が関わっているという説があります。
「叫び」が描かれるより10年前、クラカトアの火山噴火により西ヨーロッパのいくつかの地域で、「夕方になると空が赤くなる」現象が起きました。
ムンクは自分が感じたものを絵画で描く、表現主義絵画の先駆者です。
ムンクはクラカトア火山噴火による空が赤くなる現象を覚えていて、その記憶を頼りに「叫び」の背景を描いたとも考えられるのです。
ムンクの「叫び」が描かれた場所は実在した?
ムンクが「叫び」で描いた場所は実際に存在します。
エーケベルグの丘からはオスロの町やオスロ・フィヨルドが見渡せる道があり、そこからの景観を描いたのが「叫び」だと言われています。
エーケベルグの丘を登っていくと頂上に公園があります。
エーケベルグの丘から公園に続く道は、オスロの街を見渡せる場所であり、絵描きが好んで絵を描いた場所でもありました。
ムンクが描いた「叫び」の場所は人々が集まる人気スポットだったのです。
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盗難被害にあったムンクの「叫び」
ムンクの描いた「叫び」はひんぱんに盗難被害にあうので有名です。
1994年2月14日、リレハンメルオリンピック開会式当日に事件は起こりました。
オスロ美術館に所蔵される油彩の「叫び」が何者かに盗難されたのです。
「叫び」を盗んだ犯人はこんな書置きを残していました。
「お粗末な警備をありがとう」
ロンドン警視庁美術特捜班はおとり捜査を使って、無事犯人を逮捕しました。
「叫び」を盗んだ犯人は以前にもムンクの絵画を盗んだ前科者だったのです!
また2004年8月22日、ムンク美術館に所蔵されていた「叫び」のテンペラ画も、「マドンナ」という油彩画と一緒に盗まれたことがあります。
幸いなことに2006年8月31日にオスロ市内で2点の絵画は見つかりましたが、「叫び」には液体の跡がついていました。
2008年5月23日にはムンク美術館で修復が完了した「マドンナ」と「叫び」がまた飾られています。
最後に
ムンクは自己の内的な観念を絵画で表した芸術家。
「叫び」は血のような色彩が印象的で、背景や人物まで激しく歪ませることでムンクの心を強烈に表現しています。
シンプルに処理された不気味な「叫び」の絵柄は、見る人の心を奪うでしょう。
現代においても最も有名な絵画作品の一つとして知られていることがそれを証明しています。
若い頃に母や姉をなくしたというショックが、ムンク芸術に決定的な影響を与えました。
「愛、死、不安」というテーマを!
ムンクの絵画に漂う不安やうつろい、死の影や男女の愛、歪み、幻想性、色彩と形態…
これらはムンク芸術を特徴づける偉大な個性です。
ムンクは精神病院にはいるほどの精神的疾患を抱えていましたが、逆にその異端さが不滅の芸術を生み出したともいえるのです。
人の心の深遠をのぞき込むような絵画…ムンク作品に触れることで得られるインスピレーションは大きい。
ムンクの自己表現が不滅となった絵画が「叫び」なのです!