どうも、自称「天才漫画アート芸術家」のカスカワです!
先日ツイッターにて、要約すると以下のようなご質問がありました。
「天才と自称されていますが、なにか実績はおありですか?」
今回は、このご質問にお答えしましょう。
筆者が天才と自称する裏には、ぜひとも表現したい重要なメッセージがあるのです!
自称天才表現者に実績は必要?
自称天才表現者のぶっとんだ認識とは?
以下の記事にも書きましたが、筆者は18歳の時、自分は天才に間違いないと思うようになりました。
とはいっても天才と呼ばれるような実績があったわけではありません。
当時筆者はヴァン・ゴッホやジョン・レノン、モーツァルトやミケランジェロ、ゴーギャンやピカソのような表現者に胸を打たれたのです!
彼らの素晴らしい作品群、そして生き様は、筆者の心に不滅の刻印を刻みました!
そして、決めたのです。
「私は世紀の天才クリエーターになろう!」と。
そう決めた瞬間から、誰がなんといおうと、筆者は世紀の天才クリーエーターでした。
実績とかこれまで何をしてきたとか、スキルが足りてるのかとか、一切関係ありません。
筆者がそう決めたのだから、もうすでにそうなのです!
今になって気づきましたが、筆者のこの認識は潜在意識の「なる」でした。
天才というからには、それなりの実績が必要だと普通は思うでしょう。
この心理の裏には、以下の思いがあります。
「たいした実績もないのに天才なんて言っちゃっていいのか?」
実績や裏付けがあれば自信が持てるけど、それがないと自信が持てない、ということですね。
このような他者と比較して得る自信は、非常にもろいんです。
自分よりすごい人を見たり、周囲から批判の声を受けたら、簡単に崩れてしまう自信なんです。
そんな儚い自信なんか、必要ないんですよ。
周りがどうだろうと、誰が何をいおうと、ただその人はすばらしい!
その人がその人であるだけで、無条件にすばらしい!
これが、本当の自信です。
自信に根拠など必要ないのです。
叶えたいものがあるなら今その自分になる
何かを叶えたい人、何者かになりたい人は、今この瞬間、臨む自分になるのです。
いつかではなく、今なるんです。
極端な話、実績ゼロだろうと、スキルが足りてなかろうと、かまいません。
本当にそれになりたいのなら、今、なるのです。
今望む者になり、それになり続けた時、その人の現実には望むものがあらわれてくるでしょう。
僕はこれを宇宙の法則だと思ってます。
自分の属性を決めるのは、自分自身ですよ。
誰か他人に、世間に決めてもらうのではないのです。
「自分が誰か?」は、あなたが決めるのです。
そして決めた自分でい続けるのです。
僕は漫画アート表現者として生きていこうと決めた時から、「天才」を自称しようと考えてました。
なにごとかを成したから天才なのではなく、初めから天才の立ち位置でいようと決めたのです。
天才と呼べるような作品があろうとなかろうと、絵が未熟だろうと、かまいません。
いかなる条件づけとも関係なく、ただ自らが望む存在であればいいのです。
でも実際に筆者が天才と思えないと、人が言ったとします。
人がなんと言おうと、いっこうにかまいません。
筆者がそう決めたから、そうなのです。
筆者は20世紀を代表するボクサーのモハメド・アリに感銘を受けたのです。
モハメド・アリはまだ無名の頃から、ビッグ・マウスをたたくことで有名でした。
「俺は偉大だ!」
「俺は美しい!」
「俺は世界最高のボクサーだ!」
アリはこのような言葉をテレビなどメディアでも言い放ち、やがて世界王者となりました。
僕は、モハメド・アリの揺るぎない確信に感銘を受けたのです!
そして自分も、実績があろうとなかろうと、望む自分に初めからなろうと決めたのです。
人は誰もが、望む存在になれます。
その力を持ってます。
それなら今、なってしまいましょう。
「~ができるから」、「世間が評価したから」、「これこれの実績があるから」などの条件付けとは無関係に、今この瞬間、それになるのです。
そして「望む自分でい続けるのです」。
その時、僕たちが生きているこの幻想世界においても、望む現象が起きてくるでしょう。
20世紀を代表するスペインの画家サルバドール・ダリが、非常に感動的な言葉を残しています。
「天才を演じよ。さすれば天才になる」~ダリ
僕はこの人生で、ダリの言葉を実践しているのです。
奇想天外な表現者のぶっとんだ認識は、以下記事にも書いてあります♪
前後の「漫画アート芸術家のフリーランスな日常」は以下リンクから♪
最後までお読みくださりありがとうございました!