果たして画家とはどのような人のことを言うのか?
画家を構成する条件とは何か?
この記事では真に画家の条件に一致していた、3人の人物も紹介している。
画家である条件とは何かが気になる人は、是非この先を読んでみよう!
画家の条件
画家とは何か?
「自分の中にある表現欲求を絵を描くことによって表し、継続的に活動をしており、本人が画家と名乗る意思がある」
僕はこの状況にある人を画家の条件とする。
こういう意見がある。
「絵を描いてお金を稼ぎ、それによって生計を立て続けられる人だけが画家なのだ」
一見まっとうそうな意見に見えるが、僕は違うと思う。
なぜなら画家であるための絶対条件は「生計が立てられている」こと以上に「自分の表現欲求を絵を描いて継続的に表す」ことにあるからだ。
この条件を踏まえたうえで、絵によって生計が立てられているなら素晴らしい。
しかし仮に一円も稼げていなかったとしても、表現欲求に従って信念に基づいた絵を描き続けている限り、その人は画家である。
それ以外の何物でもない。
絵の販売による収入だけで生活が出来なければ画家でないと言うなら、生前のファン・ゴッホは画家ではなかったのだろうか?
ゴッホは晩年になってようやく、描いた油絵が一枚売れたという。
それもわずかな金額で。
ゴッホは、それまでに何年も絵を描いており、一枚売れたころには才能も全盛期に差し掛かっていた。
では、一枚の絵が売れる前のゴッホは画家ではなかっただろうか?
彼は紛れもなく画家であった。
それはなぜか?
自分の描いた絵がお金になったかどうかではなく
「強烈な自己の表現欲求に従って継続的に絵を描き続けていた」から彼は画家だったのだ。
ヘンリー・ダーガーも画家の条件を満たす偉大な表現者
僕の大好きな芸術家にアメリカのヘンリー・ダーガー(1892年4月12日~1973年4月13日)がいる。
ヘンリー・ダーガーはアウトサイダーアートの代表的存在。
アウトサイダーアートとは
「美術の専門的な教育を受けたことのない人が独学で表現を学び、様々な手法を使って行うアート作品」のこと。
ヘンリー・ダーガーは若いころに両親を亡くし、幼くして障害者施設に入った。
しかしヘンリー・ダーガーは障害者施設の人間関係になじめず、脱走してしまう。
その後病院の掃除夫として働きだしたヘンリー・ダーガーは、19歳のとき「非現実の王国で」という作品を描き始める。
「非現実の王国で」は、約300枚の挿絵と15000ページ以上の文章で作られた絵物語だ。
ヘンリー・ダーガーは誰とも交流を持たず、友達は一人もいなかった。
掃除夫の仕事をこなしながらただ一人、部屋にこもって作品を描き続けたのだ。
ヘンリー・ダーガーの死の直前に発見された作品群は彼の死後に評価され、20世紀を代表するアウトサイダーアートティストとなった。
ヘンリー・ダーガーは誰にも知らせず、絵を売ることもせず、ただ一人黙々と半世紀以上にわたって作品を描き続けたのだ。
ぼくはヘンリー・ダーガーの生き様に、凄まじい感銘を受けた!
では作品が発見されるまでのヘンリー・ダーガーは、画家ではなかっただろうか?
ヘンリー・ダーガーはまぎれもなく画家であり、表現者であった。
なぜかと言えば
「自己の強烈な表現欲求に従って継続的に絵を描き、創作活動を行っていた」からである。
ヘンリー・ダーガーは、偉大な画家の条件を満たしていたのだ!
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画家と宣言できるか?
その人が画家であるかどうかを判断するとき、自らを画家と宣言できるかどうかも大切だろう。
いくら素晴らしいものが描けても、自分が画家であるという情報発信をしなかったら誰にも気づかれない。
画家であるかどうかを決めるのは自分だから、そう在りたいのなら自信を持って主張すべきだ。
画家になるための免許など存在しない。
人の数だけ画家はある。
絵を描いてお金を稼ぎ生計を立てられる人、何か仕事を持ちながら絵を描いている人であっても、もちろん画家と言えるのだ。
画家の偉大な条件を満たした山田かまち
僕が大好きな表現者に、群馬県高崎市出身の山田かまち氏がいる。
山田かまち氏は幼いころから絵を描き、物語を描き、詩を書き、音楽を演奏した。
若さゆえの迷い、夢、愛などの内的葛藤を、絵や詩をメインに表現し続けた。
山田かまち氏の絵や詩は日記のように、ノートや紙に書き殴られている。
山田かまち氏のストレートで率直な表現には、心を打たれるものがある!
彼山田かまち氏は、17歳のとき自宅の部屋で一人エレキギターを演奏中に感電死してしまう。
あとに残された詩や絵や物語群が発見された。
若い魂の、荒々しい思いがつづられた詩や絵は 評価が高まってゆく。
やがて群馬県高崎市には、山田かまち氏を記念する美術館が建てられた。
山田かまち氏は画家や表現者に絶対的に必要な、ある一つの要素を持ってる。
それが何かお分かりだろうか?
山田かまち氏の偉大さは「自分の思いを、絵や詩という表現に託して、無条件に表現し続けた」ことにあるのだ!
実はこれこそが画家や表現者において最も重要な要素であり、芸術家の本質なのだ!
お金が稼げているかどうかではない。
技術的に優れているかどうかでもない。
自らの表現欲求にしたがって、絵で継続的に自己表現できる人こそが、画家の絶対条件である!
画家の条件の最後に
ここまで画家の条件とは何かについて見てきた。
「自分の中にある表現欲求を絵を描くことによって表現し、継続的に活動をしており、本人が画家と名乗る意思がある」
もし上のような条件を満たしているのならば、その人は紛れもなく画家である。