2010年頃、筆者が当時の心境を描いた、狂った漫画があります。
「狂った」と書いたのは一般の方々から見た時、明らかに誇大妄想狂のように映る漫画だからです。
筆者は漫画アート芸術家ですが、漫画を描いてお金を頂いた経験もあるので、ここでは漫画家と呼ばせてもらいましょう。
ぼくは漫画を描くとき、そこに自分を投影させます。
なので恥ずかしげもなく、当時の心境を描いた漫画を紹介します。
大好きな小説家エドガー・アラン・ポー(1809年1月19日~1849年10月7日)の「黒猫」をもとに、漫画を描きました。
漫画のタイトルは、「黒猫」。
筆者は尻焼温泉の旅の途中、ある生物と出会い、それがきっかけで黒猫の漫画を描くことになったのです。
この記事では漫画家の粕川が、黒猫の漫画を描くことになった奇妙な体験をお話しましょう。
Contents
金のないフリーターの漫画家がなぜ黒猫の漫画を描いた?
僕は2009年にデザイン系の専門学校を卒業するとき、正社員になって働かねばという周囲からの洗脳に支配されていました。
親、先生達が、正社員にならなければいけないという圧力をかけてきます。
今考えると驚くけど、僕も当時は正社員にならないといけないものだと思っていました。
ぼくほど、正社員という言葉の似合わない人間はいないのです。
僕は正社員の仕事が受かったけれど、結局そこへ務めることはありませんでした。
フリーターとしてとして働きながら、細々と漫画や絵を描く生活を続けていたのです。
20代の筆者の特徴は、金に縁がありませんでした。
あまりにお金に縁がないので、お金がないというネタで漫画を描いたこともあるほどです 笑
外で働いてお金を稼ぎ、欲しいものを買うという欲求が、ほとんどありませんでした。
粕川の全意識は「漫画や絵を描きたい!」という点に、集約されていたのです。
当時の僕は、描いた絵や漫画を販売することさえしませんでした。
完全に自己満足で創作を行っていたのです。
働いて金を稼ぐ時間があったら、一本でも多く線を引きたい、物語を作りたい、絵を描きたい…
そう考えていたから、必要最低限の仕事しかしていませんでした。
おかげで万年金のない状態だったけど、心は喜びに満ちていました!
なぜなら、漫画や絵の制作が出来るからです。
好きな本や映画を、あびるほど観れるからです。
僕にとってお金以上に、漫画や絵の創作をすることの方が大切でした。
この心境は、表現者じゃないと分からないと思います。
創作以外にすることがなくなると、頭が研ぎ澄まされていきます。
創作の発想は、より自分の心を反映した、正直なものに変わっていきました。
表現者は逆境におちいると、その反動でより自分らしいものが生まれてくるのだと思います。
例えばモーツァルトは自分の音楽に聴衆が飽きて、コンサートに人が集まらなくなったことがあります。
モーツァルトは浪費で借金を重ね、子供を病気で亡くし、妻が病気で療養するという、悲劇的な晩年を過ごしています。
しかし逆境の中でモーツァルトの音楽は、至高の輝きを放ちました。
こうしてモーツァルトは「アイネクライネナハトムジーク」や「交響曲第39、40、41番(ジュピター)」「魔笛」など、不滅の名曲を生み出します。
逆境が、表現者の創作に磨きをかけるのかもしれません。
粕川にとって「生きること」は即「創造」です。
自分が生き、感じ、体験した全てを、漫画アートの創作に結びつけるのです。
友人との温泉旅
2010年、僕は地元でアルバイトをして、まもなく東京へ上京しようと考えていました。
そんな頃友人から温泉旅をしようという話が持ち上がります。
僕は小学校からの友人と一緒に、群馬県にある四万温泉へ行くことになりました。
僕たちは夜中に車で出発し、四万温泉に到着します。
そのとき冬だったので、とても寒いものでした。
とりあえず四万温泉街をぶらり歩きして、夜が明けるまで友人の車の中で過ごすことになります。
四万温泉までいって旅館に泊まらず車で寝るって、ギャグに見えますよね 笑
それくらい僕は、金がなかったのです。
しかし時は真冬、車内で布団をかけていても、寒さが半端じゃない!
呼吸をするために開けていた窓から寒い風が入ってきて、さすがに寝ていられなくなりました。
僕たちは仕方なく、真夜中に車で移動することになります。
僕は両親によく連れて行ってもらった「尻焼温泉」へ行こうと提案し、そこへ向かうことになりました。
尻焼温泉とは、川が温泉になっている、自然に囲まれた温泉のことです。
尻焼温泉は群馬県吾妻郡中之条町大字入山(〒377-1701)にあります。
尻焼温泉は川そのものが温泉になっている、巨大な露天風呂です。
尻焼温泉の入浴料は、無料。
まわりは山林に囲まれており、人通りも少なく、天井は見上げる大空が広がっている。
自然を愛する粕川から見れば、「幻想世界以外の何物でもない」独特な空間が尻焼温泉なのです!
川がそのまま温泉になっているので、足場は岩がごつごつしています。
服を着替える場所や体を洗う場所はなく、脱いだ服は岩場に置いておき、何時間でも大自然の中で温泉を楽しむことができます。
尻焼温泉は、裸で入る人もいれば水着で入る人もいます。
当地で着替えるのが難しければ、あらかじめ水着を着用して尻焼温泉に向かうのが良いでしょう。
尻焼温泉の近くには、無料で泊められる駐車場もあります。
川底から湧きだす源泉で温められた岩に座り、痔を直したというエピソードがもとで、「尻焼温泉」という名前がついたそうです。
尻焼温泉は、自然と温泉の結びついた秘湯中の秘湯。
なので温泉が好きな方は、是非とも訪れて頂きたい場所なのです。
ただし大雨や大雪が降って増水している時は閉鎖されてしまうので、尻焼温泉へ行く際は天候をよくチェックしましょう。
ってな事で友人と僕は寒さに負けて四万温泉を去り、無料で入れる尻焼温泉でゆっくりくつろぎました。
それは素晴らしい時間でした!
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尻焼温泉の帰り際に出会った生物とは?
尻焼温泉に浸かって夜明けを迎えたので、帰り支度を始めました。
着替えて、山道を駐車場まで向かいます。
その途中、僕はある生物を見かけてしまったのです!
それが…
「黒猫」!
人里離れた山奥で、とつじょ現れた黒猫は、僕の注意を激しく引きました!
ただ見かけたというだけで、何かあったわけではありません。
黒猫の印象があまりに強く、漫画家の脳裏に残りました。
ちょうどそのころエドガー・アラン・ポーの「黒猫」を読んでいた事もあり、発見した黒猫が印象深かったのでしょう。
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エドガー・アラン・ポーの黒猫の魅力!
エドガー・アラン・ポーの「黒猫」は、大好きな小説です。
ポーの「黒猫」とは短編怪奇恐怖小説で、ざっくり概要を書くと以下となります。
酒飲みで動物好きな男が、酒におぼれて動物虐待を始める。
やがて精神のバランスを失った男は、大切にしていた黒猫の目をくりぬいて殺してしまう。
まもなく男の家は、火事になった。
その後、自分が殺した猫にそっくりな黒猫が現れて、男にまとわりつく。
やがて男は、黒猫によって破滅することになる。
筆者が感じる、ポーの「黒猫」の素晴らしさとは何か?
「自分(ポー)を主人公に投影させて、天邪鬼という衝動から、黒猫殺害へ至る動機を描く迫真性」がすばらしいのです。
ポーは自分の天邪鬼な性格をテーマにして、黒猫を殺す動機をリアルに語り、これを不気味な恐怖物語に仕立てあげました。
僕はこれまでたくさんの恐怖小説や映画を見てきましたが、ポーの「黒猫」は最高峰の作品だと思います。
ポーの「黒猫」を知らずして、ホラー好きは語れない!
そんなエドガー・アラン・ポーの「黒猫」を僕はこれまで何度も読んで、オーディオブックでも購入しました。
黒猫の不気味な世界を、夜寝る時に流しているのです。
そんな漫画家だから、尻焼温泉で見かけた黒猫が強く印象に残り、頭から離れなくなってしまったのです。
2010年、筆者がポーの「黒猫」を基に漫画を描いたのは、この体験が原因でした。
「尻焼温泉から、駐車場へ戻る途中で見かけた黒猫」
ただこれだけのことです!
しかしアンテナを常に張っている漫画家にとって、何気ない体験が創作につながります!
漫画家はちょっとした出来事から生まれる発想を活用して、創作を行うのです。
頭にこびりついた黒猫の印象をそぎ落とすために、温泉から戻った漫画家は、ポーの「黒猫」を基に漫画を描きだしたのです。
ちなみに僕と友人は尻焼温泉の帰りにまた四万温泉に向かい、無事四万の温泉に入って帰ってくることができました。
漫画家が黒猫と出会ったエピソードの最後に
2010年に粕川がポーの「黒猫」を基にして描いた漫画は、僕の狂った心境を描いています。
面白くはないかもしれないし、漫画としてのまとまりもないでしょう。
しかし2010年頃の粕川の内的告白としての価値は、あると思います。
注意書きをしておくと、僕が漫画で描いたような行動をしたわけではありません。
僕は動物が好きだし、漫画の主人公のような事態におちいったわけでもないのです。
しかし当時の粕川の内的な雰囲気、心情的なものが、ポーの「黒猫」の空気感とマッチしたために、こういう漫画を描きました。
僕は以前この漫画を4回に分けて、とあるWeb漫画投稿サイトに載せました。
以下の記事では、4回分の漫画をまとめて全部読めるようにしてあります。
狂気の漫画家の頭の中がのぞいてみたいと思う方だけが、漫画をご覧ください。
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