「囚人牢獄」は、漫画アート芸術家粕川の創作人生で重要な作品です。
なぜなら漫画アート「囚人牢獄」には、以下の要素があるからです。
●粕川の人生で重要な人生の転機を漫画化したもの
●初めて漫画とアートの融合に挑戦した
●漫画専用の原稿用紙を使って本格的に描いた初めての作品
●「囚人牢獄」は粕川が生涯をかけて描くライフワーク的な創作テーマである
筆者は人生のある時期に、「囚人牢獄」に入ったような心境を体験しました。
「囚人牢獄」のような心境に、空想をまじえて漫画アートを作ったのです。
粕川は人生のある時期にうつ病的な症状を体験し、これがきっかけで「囚人牢獄」という創作テーマが生まれました。
「囚人牢獄」とは、筆者にとって生涯をかけて描き続ける創作テーマなのです。
現在はうつ病などの症状はまったくなく、健康この上ない状態です。
ここでは漫画アート「囚人牢獄」の制作経緯や、「囚人牢獄」の元になったうつ病的な人生体験を書いています!
Contents
「囚人牢獄」とは?
「囚人牢獄」とは、粕川が2002年~2006年ころ体験した心境をもとに描いた漫画アートであり、創作的概念のことです。
囚人牢獄は幻想の森のなかに存在します。
囚人牢獄は、人生をあきらめた者が入る施設です。
また社会に適合できなかった者たちが、最後の最後にたどりつく場所でもあります。
だから囚人牢獄には精神疾患のある者、生きる気力をなくした者、犯罪者なども入居しているのです。
囚人牢獄に入居すると、囚人が入るような牢獄の部屋をあてがわれます。
そして毎日労働をする代わりに、食事をもらえ、生活する場が与えられるのです。
囚人牢獄は幻想の森の奥深くにあり、地盤がゆるくなっています。
そのため囚人牢獄の周辺では、昔から大きな地震がよく起きていたのです。
囚人牢獄は、人生をあきらめた者たちが入る不思議な施設なのね。
わたしはあまり入りたくないわね 笑
なぜ漫画アート「囚人牢獄」は生まれたのか?
漫画アート「囚人牢獄」は、粕川が体験した人生体験に空想を交えて作りました。
ぼくが牢獄に入ったわけではなく、囚人牢獄にはいっているような心境を体験したのです。
ここでは漫画アート「囚人牢獄」を作るきっかけになった、粕川の創作人生を書いてみます。
筆者は小、中、高の学校時代で、小学校時代が一番楽しく活気にあふれた時期でした。
その後中学、高校と進む中で、だんだん自分の世界にはいっていくようになります。
高校時代の終盤は学校にもほとんど行かず、創作をしたりアニメや映画を観たりして、自分の創作世界にひたっていきました。
僕にとって学校は、労働者を生み出すための画一的な教育機関に感じられたのです。
筆者は、自身の創作世界を生み出すことに喜びを感じる人間です。
そんな人間にとって、学校は退屈な場所になっていきます。
だからはやく高校生活が終わってくれるよう、いつも願ってました。
高校卒業後18歳の粕川は、社会との接点をほとんど絶ち、実家に引きこもるようになりました。
引きこもった理由は、自分の創作世界にとことん浸りたかったから。
粕川は物心ついたころから絵を描き、7歳のころから漫画を描き始めて、創作に没頭する人生を歩んできました。
ぼくはいつも思っていたのです。
学校もなにもかもなくなって、ひたすら創作世界に浸れるときがきたらなぁ
僕にとって学校やアルバイト、就職は、自分の創作世界へ浸ることを邪魔する存在でした。
粕川は創作をするとき、自分の世界に入り込みます。
自分の世界に没入し、空想を羽ばたかせることで漫画アートの創作を行うのです。
しかし学校やアルバイト、就職などは、自分の世界から意識をそらせ、外の世界に意識をむけさせます。
だから僕からすると、創作の世界にひたるのを邪魔する存在だったのです。
創作世界に没入するのを邪魔するすべてのことから離れるために、引きこもったのです。
社会との接点をほとんどなくした粕川からすれば、「囚人牢獄」に入ったような心境に等しかったのです。
「囚人牢獄」は、引きこもって自身の創作に没入する粕川が、内心で感じていた世界だったのです!
引きこもった漫画アート芸術家がしていたこと
粕川は実家に引きこもってから、とことん自分の創作世界にひたりました。
以下のようなことに没頭しました。
●漫画を描く
●絵を描く
●ギターを弾く
●詩を書く
●本を読む
●映画やアニメ、特撮作品を観る
●図書館に通う
●散歩をする
●一人旅をする
例えばアニメ「アルプスの少女ハイジ」や「フランダースの犬」、「ベルサイユのばら」を全エピソード見ては感動にひたりました。
「フランダースの犬」とか「ベルサイユのばら」って、ほんとに泣ける!
あの頃の感動は忘れられない。
図書館に毎日かよっては大量の本を読んでました。⇒粕川の図書館時代についてはこちらの記事に書いてます♪
トーマス・マンやロマン・ロラン、ドストエフスキーや、ダンテなど、古今東西の名作文学を読み浸りました!
ホラーや西部劇、SFなどの映画を浴びるように観ました!
油絵を描き、漫画を描きました!
ビートルズやローリングストーンズの楽譜を買ってきては、エレキギターでコピーをしていました!
このようにして、粕川は自身の創作世界にとことん浸る生活を送っていたのです。
創作世界に没頭する毎日が、粕川の脳裏に「囚人牢獄」の概念を生み出したのです!
引きこもり生活から抜け出したころのことは、以下の記事で書いています♪
スポンサードリンク
囚人牢獄の裏側:うつ病的な症状が出ていた18歳のころ
粕川は18歳当時、うつ病の症状がありました。
長いこと学校やアルバイトの生活が続き、自分の世界に浸りきる時間がもてなかったことが原因だったと思います。
うつ病の症状におそわれ、創作以外すべての事にやる気をなくしていたのです。
18歳から20代前半にかけて、うつ病的な症状は続きました。
この時期の粕川は、人生をあきらめたような心境にありました。
18歳から20代前半といえば、多くの人にとって青春華やかりしころ。
しかし筆者の場合、自分自身の内面に意識が向かい、創作世界を探求する修行僧のように生きていたのです。
当時の粕川にとって、若さは敵でした。
20代前半だというのに、気持ち的には60代老人のようになっていたのです。
当時の俺は人生に、絶望していたのだ…
そ、そこまでだったのか…
うつ病的症状にとらわれた粕川が見ていたのは、自身の創作世界でした。
絵を描き、漫画を描き、空想をする。
これが粕川にとって最大の救いであり、生きる希望だったのです!
うつ病的症状に襲われた表現者が芸術と出会って得たものとは?
うつ病的症状に襲われた粕川はある日、重要な出会いを果たします。
芸術との出会いです!
ファン・ゴッホやジョン・レノン、ミケランジェロ、セザンヌ、ベートーベンやバルザックなどの存在を知ったのです!
うつ病的症状に襲われた粕川にとって、芸術は救いでした。
当時から俺には表現したいことがたくさんあった。
そのはけ口が芸術によって見つかったのだ!
芸術と出会ったおかげで、内面の複雑な心境を表現する手段を得たのです!
このとき俺のなかで「芸術とは自己の魂の表現である」という言葉が生まれた
芸術は人生をあきらめていた粕川にとって、もう一度生きる希望を与えてくれた救いだったのです!
漫画アート「囚人牢獄」で描きたかったテーマは、これなのです!
筆者はうつ病の症状により、18歳にして人生をあきらめる心境にいたりました。
一時は、生きることに絶望していた。
しかし、芸術との出会いが粕川を変えたのです!
芸術は一度死んだ粕川を、不死鳥のようによみがえらせたのです!
芸術が、筆者に不滅の創作意欲を与えたのです!
「囚人牢獄」は、粕川にとって重要なこの体験をもとにして描きました。
「人生をあきらめた者が芸術との出会いによってもう一度生きる希望を見出し、再度人生に挑戦する!」
囚人牢獄で描きたかったのは、これなのです!
当時の粕川の心境は、囚人牢獄に入っているようなものでした。
空想のなかで粕川は、囚人牢獄を体験していたのです!
そんな人生体験に空想を交えて作ったのが、「囚人牢獄」なのです!
芸術との出会いのエピソードは以下の記事で書いてます♪
囚人牢獄を描いた時期
筆者が「囚人牢獄」を描いたのは、25歳のとき。
囚人牢獄は、粕川がはじめて漫画の原稿用紙につけペンやインクで正式に描いた漫画アートです。
それまでも筆者はつけペンやインクを使い、コピー用紙や画用紙に漫画を描いてました。
しかし漫画の原稿用紙に本格的に描いたのは、「囚人牢獄」が初だったのです!
「囚人牢獄」は、専門学校の課題制作として作りました。
漫画アート「囚人牢獄」を作った2008年ころ、筆者はデザイン&アート系の専門学校に通っていたのです。
筆者はこの学校でアートやデザインに関する勉強をしていました。
この学校には選択授業のなかに漫画制作をするクラスがあり、筆者はそこにも入ってたのです。
スポンサードリンク
ドストエフスキーの「罪と罰」からヒントを得た「囚人牢獄」
囚人牢獄にはアーナン・ミロやイワン・クリスティ、ニーナ・ゴーロといったキャラクターが登場しますが、これは当時粕川が読んでいた小説の影響があります。
当時筆者は、トルストイやドストエフスキーなどの文学を読んでました。
なので当時描いていた筆者の漫画には、文学からアイデアを得ていたものがよくあります。
筆者はこれまで、ドストエフスキーの「罪と罰」を5回ほど読んでます。
「罪と罰」では金貸しの老婆を殺したラスコーリニコフが、自身が犯した罪に葛藤する物語が描かれます。
人間の深い精神性を描いた「罪と罰」に、筆者は恐ろしく感動したのです!
「囚人牢獄」では、そんな「罪と罰」のエキスを入れてみました。
「囚人牢獄」にある金貸し殺しの話は、「罪と罰」を読んだことがヒントで生まれたのです。
囚人牢獄は漫画とアートの融合に挑戦した作品
筆者は「囚人牢獄」で、漫画とアートの融合を試しています。
ぼくにとって、漫画とアートは一つなのです。
粕川は7歳のときに漫画を描きだし、18歳でアートと出会いました。
漫画とアートはどちらも大好きな表現であり、切ってもきれない関係にあります。
だから漫画とアートを合体させようと思いました。
こうして出てきたのが、漫画アートなのです!
⇒粕川が漫画アートに挑戦した「幻想の森」についてはこちらの記事に書いてます♪
囚人牢獄では、漫画のなかにアートの要素を投入しました。
例えば背景を、ファン・ゴッホの絵画のような風景にして描いたり~
漫画のコマ割りを、アートっぽく崩して描いてみたり~
粕川(アーナン・ミロ)が、芸術と出会った瞬間を漫画アート化してみたり~
「囚人牢獄」のところどころに、アートの要素を加えて漫画を作ったのです。
また筆者は「囚人牢獄」で、自己の魂を表現しました。
自らが生きてきた人生を元に漫画を描き、そこに自身の思いをぶつけたのです。
筆者のなかで「芸術は自己の魂の表現」なので、「囚人牢獄」はアートの要素を持つということになるのです。
これらの理由から粕川にとって「囚人牢獄」は、はじめてつくった漫画アート作品ということになります!
囚人牢獄は生涯をかけて描く創作的な概念である
「囚人牢獄」は、粕川が生涯をかけて描こうとしている創作テーマです。
僕がライフワークとして描く創作テーマは「囚人牢獄」のほかにも、「幻想の森」や「大地と理香」、ホラーやSF、西部劇などいろいろあります。
「囚人牢獄」は、そんな人生をかけて描きたい創作テーマの1つなのです。
筆者は25歳のとき、人生体験に空想をくわえて「囚人牢獄」を作りました。
しかし、これは囚人牢獄のすべてを描いたわけではないのです。
囚人牢獄というテーマで描きたいことは、まだたくさんあります!
25歳のときに描いた「囚人牢獄」は、数あるバリエーションの一つにすぎなのです。
また筆者は、「囚人牢獄」というテーマで油絵を描きたいとも思ってます。
このように「囚人牢獄」は、創作のきっかけになるテーマなのです!
粕川が考える創作的テーマとはどのようなものなのか?以下にその例を挙げてみます。
アメリカのホラー小説家H.Pラブクラフトは、自身の創作から「クトゥルフ神話」という一大ジャンルを築きました。
ラブクラフトの各小説作品は、クトゥルフ神話のなかの一つとして位置づけられています。
またフランスの小説家オノレ・ド・バルザックは、自身が書いた小説を集めて「人間喜劇」という名前でまとめました。
バルザックの「谷間の百合」や「ゴリオ爺さん」などの小説は、「人間喜劇」を構成する作品の一つなのです。
筆者が考える創作テーマ「囚人牢獄」や「幻想の森」も、上に近いものがあります。
粕川が描くすべての作品が、創作テーマ「囚人牢獄」や「幻想の森」の一部になっていくような感覚です。
ではなぜ「囚人牢獄」が、そんなに重要な創作テーマになったのか?
筆者が18歳~20代前半ころ、「囚人牢獄」に入ったような生活をしていた時期があったからです!
この体験が、一生ものの創作テーマ「囚人牢獄」と出会うきっかけになったのです!
漫画アート「囚人牢獄」を読みたい人はこちらから
ここまで漫画アート「囚人牢獄」について書いてきました。
「囚人牢獄」は、粕川が18歳~20代前半のころに体験したことに空想を加えて作りました。
「人生をあきらめた者が芸術との出会いによって希望を見出し、もう一度人生に挑戦する姿を描く」
筆者が「囚人牢獄」で描きたかったのは、これなのです!
粕川は、一時はうつ病の症状に悩まされて人生をあきらめた人間でした。
しかし彼を救ったのは、芸術との出会いだったのです!
この重要な人生体験を漫画アートにしたいと思い、「囚人牢獄」を作りました。
「囚人牢獄」は作品というより、創作的なテーマです。
「囚人牢獄」は粕川にとって、生涯をかけて作り続けるライフワークなのです!
筆者ががはじめて取り組んだ漫画とアートの合体作「囚人牢獄」(全39ページ)を読みたい方は、以下のリンクをクリックしてください。
絶望して人生をあきらめた人間が、芸術によって希望を取り戻す過程が描かれています!
以下記事には僕の創作テーマ「囚人牢獄」の概念を決定的なものと感じさせた、本の内容について書いてあります。
最後までお読みくださりありがとうございました♪