漫画アートを生涯に渡り生み出すような人は、どんな幼年時代を過ごしてきたのか?
どんな事がキッカケで創作活動は始まったのか?
絵や漫画を描く人というのはどういう性質の子供なのか?
これらの疑問を、僕の幼年時代のエピソードを交えて書いていきます。
僕は幼い頃から絵を描きだし、現在、そして生涯に渡り絵や漫画を生み出し続ける事は間違いありません。
僕は小、中、高校の学生時代、授業中であるにもかかわらずこっそり教科書の裏にノートを隠して絵や漫画を描いていたような人間です。
成人してからも正社員として働きお金を稼ぐことには1㎜の興味も示さず、金がろくにないのも気にせず、ひたすら漫画アートの創作に打ち込んできた人間です。
こんな僕だから今後もずっと生命の続く限り、漫画とアートを生み出し続けると確信を持って断言する事が出来ます。
そんな漫画アート芸術家の筆者が、幼年時代どんな子供だったのか?
無尽蔵な創造性に恵まれる人間が幼い頃どういう事をしていたのか?という事を書いていきますのでご興味のある方はどうぞ最後までご覧ください。
Contents
芸術家の幼年時代
よく歴史に残る芸術家に幼い頃からものすごく絵が上手い、音楽の才能があるなどの人がいます。
ピカソやモーツァルトがその代表ですね。
彼らは親が美術や音楽教師であり、幼い頃から英才教育を施されていました。
幼い頃から飛び抜けた能力があるというのは素晴らしい事です。
しかし僕が本当に凄いと思うのは幼い頃から能力が飛びぬけていることではなく、その能力を生かしていかに不滅の作品を生み出したかという事です。
どんなに子供の頃に絵が上手かったとしても、その人と作品は100年後の人々に感動を与えているのか?
その人の仕事は1000年後の人々にも影響を与えられているのか?
本当の凄さはここにあるのです。
その点ピカソやモーツァルトはあまりにも素晴らしい作品を残し、その生き様は芸術家として不滅の輝きを放っています。
彼らは子供の頃から能力があったからではなく、存在と作品に永遠性があるから凄いのです。
では僕はどうかというと、特別に恵まれた能力を持ち合わせてはいませんでした。
これは僕が幼年時代の写真です。
物心がついた頃、僕は母とアパートで暮らしていました。
当時は母と父は別々に暮らしており僕は母と同居していたのです。
僕が物心ついた頃にはお絵かきをしていた記憶があります。
といっても子供なら誰もが描く程度の落描きをしていたのであり、ピカソのように特別絵が上手いわけではありませんでした。
ただ他の多くの子供よりは長く絵を描いていたはずです。
僕の全ての人生の中で、幼い頃に母と同居していた時代が一番幻想的な時代です。
幻想的とは淡い、楽しい、懐かしい、永遠に色あせる事のない思い出という感覚です。
僕は漫画や絵画を作る時、幻想性というものをとても大切にしますが、その原因は母と二人で暮らしていた幼年時代の幻想性にあるのです。
僕は絵や音楽という面での能力は人並みでしたが、一つだけ飛びぬけた能力がありました。
それを以下から解説していきます。
一日中空想に浸る子供
僕は幼年時代、暇があるとウルトラマンや仮面ライダーの事が書かれた本や雑誌を見ていました。
僕の中でウルトラマンや仮面ライダーというのは初代ウルトラマン~ウルトラマン80、初代1号仮面ライダーから仮面ライダーブラック辺りを指しています。
それ以降のシリーズは以前ほど面白いとは感じられなくなったので観ていません。
僕の特徴的な性質に「空想に浸る」という事が挙げられます。
例えばウルトラマンエースが怪獣と戦っている写真を見ているとします。
すると僕は写真を見ながら
●なぜウルトラマンAは怪獣と戦っているのか?
●怪獣によって壊されたビルの中で働いていた人はどんな人生を送っていたのか?
●ウルトラマンAに変身している北斗星司と南夕子はどんな私生活を送っているのか?
などの事を勝手に空想し始め、独自で物語を考えていくのです。
上の疑問の答えを空想で考え組み合わせていくことで、一つの物語ができます。
僕自身はただウルトラマンエースが怪獣と戦う写真を見ただけに過ぎません。
しかし空想することで、自然とエピソードを思いつけました。
空想力は、漫画を生み出すために欠かせない能力です。
ある一つの体験をすることで空想が広がり、イメージが現れ、前後関係を繋ぐことで物語は誕生します。
漫画はキャラクターや世界観を舞台にして、様々なドラマを描く表現なので、空想力は重要です。
僕は日頃から常に空想に浸っているため、異常に物忘れが激しい性質があります。
現実よりは、空想世界をフワフワ考えて生きているような感じです。
なのであまり現実的な物欲が存在しないというメリットがあります。
正直漫画やアートを創作することが出来ていれば、もう宇宙一幸せな気分になれるのです。
創作に活かす為にニュースや世の中の情報を吸収しますが、世の中の人達がどんな事をしているのかについては全く無関心でいられます。
つまり他人との比較が生まれないので、意識を創作にのみに当てられるというメリットがあるのです。
絵や漫画を描く時、他人と比較して落ち込んでしまう人は思い切って比較するような情報を完全に遮断することをおすすめします。
その業界のリサーチを行う際はとことん周り調べるべきですが、いざ創作を行う時は余計な情報はシャットアウトするのです。
具体的には、インターネットなどで余計な情報を見ないことですね。
これにより、自分の創作世界に100%集中して取り組む事が出来ます。
僕は幼年時代から空想をする習慣があったために、空想からたくさんの物語を生み出す事が出来ました。
以下の記事にはぼくが10歳のときに空想で作った物語について書いてあります♪
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生まれて初めて母にビデオを借りてもらった時の事
僕は幼年時代に母と同居している時、生まれて初めて近くのレンタルビデオショップでビデオを借りてもらい、心底嬉しかったのを覚えています。
当時はまだDVDはなくて、ビデオの時代でした。
レンタルビデオショップに入ると真っ先に興味を引いたのがウルトラマンや仮面ライダーのビデオでした。
当時はビデオをレンタルするのが3泊4日で400円近くした時代。
この時生まれて初めて借りてもらったビデオがウルトラマンエースです。
なぜウルトラマンエースだったかと言うと頭についてる突起物や、丸いデザインでまとめられた姿がカッコよかったという点が挙げられます。
ウルトラマンエースと言えば北斗星司と南夕子がウルトラリングを使って合体変身するのが魅力ですね。
ウルトラマンエースに変身する南夕子というキャラクターは線の細い、どこか神秘性を漂わせる美しい女性で、南夕子は僕の初恋の人です!
生まれて初めて借りてもらったビデオなのでウルトラマンAは僕の中で特別な存在です。
それ以降は特撮ヒーローもの以外に天才バカボンやゲゲゲの鬼太郎などのアニメ、洋画のホラー映画にハマるようになり、数えきれないほどの映画を観るようになりました。
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名作映画は漫画描きにとってのバイブル
有名な漫画家には映画好きが多いのをご存知ですか?
手塚治虫氏、石ノ森章太郎氏、赤塚不二夫氏、藤子F不二雄氏らはものすごい量の映画を観ていたと言います。
手塚治虫氏はどんなに忙しい時でも編集者の目を盗んでこっそり仕事場から抜け出し、映画館で映画を観て研究していたといいます。
つまり観た映画からアイデアや見せ方を研究して自作の漫画に取り入れ、新しい試みを行っていたという事です。
映画には漫画を描く上で非常に大きな学びが詰まっています。
それは新しい映画だけでなくクラッシックと言われる古い映画もそうです。
古今を問わず名作と呼ばれる映画は必ず目を通しておき、何が人々の心を魅了したのかを探る事は漫画創作力を上げる力になります。
僕は多い時は1年の内で200本以上の映画を観ていたことがあります。
面白いシーンやアイデをメモしておき、自分ならこの展開の時こんな風にキャラを動かすのだが…みたいに考えながら。
これら沢山の映画を観てきた経験は漫画を生みだす時のヒント、アイデアに繋がっています。
映画を観ることでキャラクターの人生を追体験し、物語の見せ方が学べます。
そして良い映画を観ることで「本物の感動とはどんなものか?」が分かります。
これら素晴らしい映画を観、自作に生かす習慣があったから上の漫画家達は無尽蔵に漫画アートを生み出すことが出来たのです。
漫画を描く人にとって名作映画を観るのは必須の教養だと思っておいて下さい。
保育園に初めて通った時の心細さ
今でも明瞭に覚えている幼年時代の思い出があります。
それは生まれて初めて保育園に連れていかれた時の事。
それは七夕の時期でした。
幼い僕は母の車に乗せられて、保育園なる場所に連れていかれる事になりました。
それまで家でお絵かきや空想に浸っていた僕にとって、保育園は未知で恐怖な場所に感じられました。
初めての保育園に着くまでの間に母が「きらきら光る夜空の星を~」という歌を歌ってくれた感覚を今でも明瞭に覚えています。
この歌を聞くとあの時の心細い不安感が蘇ってくるくらい鮮明に…
知らない人達が集まる場所に一人で置いていかれる事が初めてだったので、母と離れるのが胸を締め付けられるように怖く、寂しく、心細く感じました。
保育園に入っても周りと中々なじまず、異邦人のように自分を感じていました。
僕は性質的に団体行動で皆と同じ事をするのに強い抵抗感があるので、小中高と通じて学校というものに全く関心が向きませんでした。
小学校の頃はこの上ないやんちゃな子供としてたくさんのいたずらをしましたが、学校は友達と遊ぶ場所くらいに考えていました。
成人後多くの人は組織に入って仕事をする事になりますが、学校に興味がなかったように、会社で働くという事にも米粒一つほどの興味も湧きませんでした
僕の全関心は創作をすることに向いていたので大人になったら会社で働くという常識を全く理解できなかったのです。
その後生きていくために経験した仕事は、僕に創作活動を行わせる大きな原動力となっています。
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自分に向いていない事はするな!
上で書いたようにように僕は組織の中で生きるという事が体質的に向いていないのです。
これは生まれて初めて保育園に行った時に感じた「違和感」を考えれば簡単に予想のつく事でした。
現在ではアルバイトや正社員のような働き方をしていませんが、これは自分の直観に従ったのが良かったのです。
僕は経験上明確に言える事があります。
「自分に向いてない事はするな!そういう事をしていると自分にとっても他人にとっても良くない事が起こる。心の底からしたい生き方を見つけて何としてでもそれで生きていけるようになれ!」ということです。
自分に向いていない事を渋々やるのがいかに悲惨な現実をもたらすかということを、僕は痛いほど経験しているから、断言できるのです。
「組織での活動が合わない」という保育園に初めて行った時に感じた僕の直感は当たっていました。
直感というのは潜在意識という心の深い所から出てくる叡智なので、素直に従う事をおすすめします。
創作においてもそうですが、直感でやって来るアイデアというのは自分にとって現時点で最良の答えだという事を経験的に知っているので、僕はすぐさま活用するようにしています。
逆に頭を酷使して、額に汗して考えたようなアイデアは結局上手くいかない事が多い。
作品に繋がるアイデアは、考えた末にトイレやお風呂に入っている時にパッと思いつくような直感としてやって来るのです。
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一人でコツコツ制作に取り組める人は漫画や絵画の表現者に向いてる
絵や漫画を描くことが好きで組織の中で働くことが向いていない人は、漫画や絵を作る表現者としての素質がある可能性があります。
漫画や絵画は基本的に一人で制作するものだからです。
誰か周りに人がいないと集中して創作できないなんて言っていたら、漫画や絵画に集中して取り組み続ける事は出来ません。
一人でコツコツ創作に取り組む事が出来るというのは漫画や絵画を作る表現者にとって強みなのです。
僕は幸いなことに周りに人がいようといまいと関係なく創作を行う事が出来ます。
極端な事を言うと無人島で一人きりになっても僕は漫画や絵画を制作しながらとても幸福に暮らしていけるでしょう。
なぜなら絵画や漫画の創作を行う事が人生で最大の喜びだからです。
絵や漫画を描く事は他の人から見たら努力しているように感じられるかもしれません。
しかし僕からするとやらずにいられない事をしているだけなので、努力というより感動的な楽しい行為なのです。
この状態に入っている人は創作する事が快に繋がっているので非常に優位にあると言えます。
もしもあなたがこのような素質を持っていたら、天からのギフトだと思ってその能力を大切に育てて下さい。
絵を描く楽しさを教えてくれた少年
僕は保育園に行っていた頃お絵描きの時、決まりきった絵しか描けませんでした。
このような正面からの絵しか描けなかったのです。
しかし保育園にいた一人の少年が僕に絵の描き方を教えてくれました。
その少年は僕に「家」を描く時にはこのように描く方法があるのだと示してくれました。
僕が描いていた絵と少年の描いた絵の違いは遠近法があるかないかという違いです。
絵というのは平面上に対象を描くことです。
対象物をより正確に描くためには平面の中に奥行きを取り入れる必要があり、その技法を遠近法と言います。
保育園の時に僕に教えてくれた少年は遠近法を取り入れて家を描いて見せてくれたのです。
ただちょっと線を加えただけでより立体的に絵が描けるようになった事に僕は衝撃を受けました。
絵に立体感が出せる方法を知ることで、絵を描く楽しさに目覚め様々なものを描くようになりました。
僕は今でも絵を描き続けていますが、保育園の時にさりげなく少年が描いてくれた遠近法の利いた「家」の絵。
あの衝撃が絵に対する僕の関心を覚醒させたのです。
幼い頃に経験した体験というのはその後の生涯にまで及ぶ影響をもたらすものです。
セザンヌという画家は小学校の時にいじめられっ子のゾラという少年を助けて、二人は友達になりました。
ゾラとはやがて世界文学史上に永遠に刻まれる小説家エミール・ゾラのことです。
小学生の頃ゾラはセザンヌに友情の印としてりんごをあげたと言われています。
後年セザンヌはゾラとケンカ別れをしますが、セザンヌにとってりんごは印象深い思い出だったわけです。
これが原因かどうかは分かりませんが、後年セザンヌは「りんごでパリ中を驚かせてやる」と言って、りんごの静物画を沢山描くようになり不滅の傑作を残しました。
このように子供の頃に経験した思い出というのは成人してからも何らかの影響を与える事が多いのです。
僕も幼年時代に読んでいた赤塚不二夫氏のまんが家入門という本がその後漫画を描きだすキッカケになっています。
「三つ子の魂百まで」という言葉を待つまでもなく、幼年時代の体験というのはその後の表現者の人生に大きな爪跡を残すのです。
最後に
僕は幼年時代からこれまで生きてきた全ての体験が、漫画や絵画の作品制作に繋がっています。
絵や漫画は、作家の人生で作るのです。
それを作る作家がいかに生き、体験し、思い、行動したのか?
全ての人生の軌跡が漫画や絵画作品に生かされて創作されます。
どんな些細な線もアイデアも色も、粕川という人間がその人生を歩んだからこそ実現し得るものなのです。
だから僕の生み出す全ての創作はこの全宇宙でただ一人筆者から生まれる奇跡の存在です。
大切な事なのでもう一度書いてみます。
漫画アートは作家の人生で作る!
マンガアート芸術家である僕の幼年時代を描いた伝記漫画は、以下リンクに載ってます!