今回は筆者が思う願いの叶え方について、3ページ漫画を使って描いてみました!
漫画の後には、筆者が考える願いの叶え方について書いてます。
願いって、どうしたら叶うのか?
ここに迫ってみましょう!
みりんは願いの叶え方を知りたいお年頃
漫画アート芸術家が願いの叶え方について語る
願いの叶え方…これに対する僕の答えは以下。
「願いは既に叶っていることに気づく」。
願いは叶えるものじゃありません。
その願いが浮かんだ時点で、すでに願いは叶っているんですよ。
だから、すでに願いが叶った自分でいる。
願いが叶ったうれしい心持で毎日を過ごす。
そうすると、自然に叶った現実がみえてくる。
これだけ。
簡単で、シンプルこの上ない。
人生はイージーゲームなんです。
以下に、僕のとらえ方を書きましょう。
実際には、この世界に時間は存在しない。
自分の頭が時間があるものだと思ってるだけ。
今というこの瞬間に、宇宙のあらゆる状況が、同時に存在してる。
自分も含めたあらゆる存在のあらゆる人生パターンが、今この瞬間、同時に存在してる。
だから望む自分の状態を、選択するだけでいい。
望む自分を選択するにはどうしたらいいのか?
その自分であると、今決めるのです。
「わたしは~である」と。
願いが叶った状態の自分を感じる。
望むお金やパートナー、仕事が手に入ったら、その現実を今生きていたら、どう感じるだろう?
これを感じる。
そこにあるのは、満足感、充足感、幸せ、うれしさです。
それを感じるんです。
それだけでいい。
そこがゴール。
あとはその状態の自分でいつづけるだけ。
望む自分の状態と振動数があっているのだから、それが物理現実として見えてくるのは当たり前なこと。
でもエゴが邪魔をしてくるんですよね。
「叶ってないじゃん」と。
僕ならこういう時、「現実を疑う」か、「完璧認定」をします。
エゴが何か言ってきたら「その認識本当か?」と疑うんです。
「疑う」というのは、不足に向いていた意識をニュートラルな位置に戻すということ。
疑って、ほっとく。
そのことについて考えない。
不足はもともと存在していないのだから、意識の矛先を不足から外した以上、それは消えていくんです。
人間が感じる不足は、実際には存在してない。
頭が不安や恐怖を作り出しているだけ。
実際、本当の自分は、完璧に満たされた場所にいる。
だからエゴが何を言ってきても、「それ本当か?」と突っ込みをいれるだけ。
「現実を疑う」が難しい場合は、完璧認定をします。
エゴが何を言ってこようと、「でもこの状況は完璧」でしめる。
例えば預金通帳の残高がやばいとしましょう。
エゴがさわいで、悪い思考が湧いてきたとします。
でもこの時、「ちょっと待って!」とストップかける。
そして「この状況は完璧」といれます。
これは、ヤバい状況に目をつぶって何もしないというのではないですよ。
状況を打開する手立てがあればただちにとるのは当然ですね。
意識を不足に向けたままにしないということが大事なんです。
自分の意識がどこに向いているのか?
「ある」なのか「ない」なのか?
「ない」に意識が向いているのに、いくらあがいても結果は思わしくいきませんよ。
自分の意識が向いているところにあるものが、増大化するのだから。
でもどうしても意識が「ない」に向いてしまう?
大丈夫です。
不足はウソなんだから。
「ない」は本当は「ない」んです。
「ある」しかない。
「ある」しかないのに、思考でこれは「ない」としてるだけ。
だから現実を疑います。
「ないとか思ってるけど、本当はすでにあるんじゃね?もしくはこれから叶うから大丈夫」と。
「そう思ったからそうなる」。
この願望実現の原理原則にそって、あなたの認識が現実になるでしょう。
すべては自分
人も他人もなにもかも、自分が認識できるものはすべて自分。
だって自分の正体は肉体ではなく、意識なんだから。
自分の意識がなければ、自分から見える宇宙は存在しえない。
自分の意識がなければ、他人もその他すべてが認識できない。
自分の意識があるから、その他すべてが認識できる、つまり存在できる。
自分=宇宙。
その人の世界では、その人が創造主で、世界を作ってる。
その人が認識することによって、世界の、その他もろもろの概念を作ってる。
その人の認識によって、すべてが初めて存在できる。
その人とは、神。
人間はみんな、自分の世界を作る神様なのです。
その人の認識が世界を作るのです。
だから、願いを叶えるという発想がまず違う。
すでに存在してるあらゆるパターンの中から、自分が望む状態を選ぶだけでいい。
すべては願った時点ですでに叶ってる、すべては既に在るというのは、こういうことだととらえているのです。
前後のエッセイ漫画は以下リンクから♪
今日もブログを読んでくださり、ありがとうございま~す♪