潜在意識の世界では「自分が創造主」という言葉をきくことがあります。
果たして「自分が創造主」とはどういうことなのでしょうか?
「自らが自身の人生を作っている」とこのブログでも書いているので、今回漫画アート芸術家が「自分が創造主」の意味について漫画と記事で考察していきたいと思います。
広大無辺な宇宙に対する、一人の人間の解釈くらいにとらえていただけると幸いです。
Contents
自分が創造主とはどういうことなのか?
潜在意識の世界でいわれる自分が創造主とはどういう意味なのかを考察する
自分が創造主というのは言葉通り、「自分が生きるこの宇宙を作ったのは自分であり、認識できるすべては自分である」ということです。
自分とは、存在するすべてなのです。
人は自分を人間ととらえますが、実際にはただ一つの意識です。
量子物理の世界でも言われている通り、万物は波動であり素粒子である。
本質をみると、万物は物体ではないということです。
だから境界線がない。
人間と物体の間に線が引けない状態にある。
すべてが一つでつながってるということです。
ではあなたが生きるその世界で、あなたがあなただと意識できるものはどこにありますか?
自分を自分と認識しているただ一つの意識しかありませんよね。
目の前にAさんがいたとして、あなたはAさんの意識になれますか?
なれないんですよ。
地球というこの次元の世界では、意識を2つに分割するなんてできない。
あなたはあなたが意識できる世界において、ただ一つ確かに「ある」と確認できる存在なんです。
そしてあなたの本質である意識が、宇宙全体を包んでいるイメージです。
自分である意識が認識できるものは、イコール自分自身といえるのです。
AさんもB子ちゃんもあなたも、別々ではなく、一つの存在。
かつて宇宙はビッグバンによって、全なるもの、唯一なるものから、すべてが誕生したと言われてます。
つまり元々は、すべてがひとつの存在としてあったということ。
人間の目からみれば植物とか動物、鉱石、空、人間などと区別しますが、宇宙的視点からみた時、すべては一体です。
人間の五感を使うと、宇宙を覆うエネルギーが個別の物体や生命として認識されているだけなのです。
すべてである自分、つまり「自分=宇宙」が、生命の数だけ存在します。
あなたはあなたの世界におけるすべて。
同時に、Aさんの世界ではAさんが世界におけるすべて。
それぞれの生命体が創造主として、自らの宇宙を生きている感じです。
存在するすべてである自分がなぜ分離を体験するのか?
本来の自分とは、宇宙全体をふくめた存在するすべて。
存在するすべてなのだから、あれが欲しいと思えば即実現する世界にいたのです。
あらゆる面で完璧に満たされた存在、すべてがすでにある領域そのものである自分。
これが本来の自分です。
そんなすべてである自分が、地球という3次元世界にきて、一時的に人間に宿っているのです。
なぜ、そんなことをするのか?
分離した個性として、創造のプロセスを体験したいからです。
自分は存在するすべてだから、意図したことは即実現する、いつも完璧に満たされた状態にあるのが通常でした。
よく臨死体験をした人の体験談で、空を飛んでいたとか、思いを浮かべたら瞬間移動できたとかいう話があるじゃないですか。
あれは人間の体を離れて意識状態になっているから、意図したことが即実現している分かりやすい例だと思います。
人間の体を離れて宇宙に戻ると、意図したら実現するというのが当たり前になる。
というか存在するすべてが自分だから、あれが欲しいなどの欲求自体がなくなる。
「すべてが自分である」が当たり前の状況だから「つまらない」と感じたのかもしれません。
より深くすべてである自分を体験したいと思ったのかもしれません。
それで、不足という幻を体験できる世界を味わいたいと思った。
不足は本来存在しないけど、「ない」という状況を幻でもいいからリアルに体験したいと思ったのでしょう。
「ある」と「ない」の対比の世界を体験することで、自分自身がなにかをより知ることができる。
「ない」から「ある」に移るプロセスを体験することが、重要なことだったのかもしれません。
「こうしたい」と思った願いのプロセスを、分離した個別の存在として、体験したいと思った。
だからすべてである自分は、人間に宿って地球という遊園地に遊びにきた。
ぼくはこうとらえてます。
でも、こんな理屈はどうでもいいことなんですよ。
僕たちにとって大切なのは、今体験しているこの人生を幸せに生きるということにあるのだから。
だからスピリチュアルかいわいでいわれる「どうして私は生まれてきたのか?」なんてことに心を悩ませる必要はない。
ぼくが上に書いた概念そのものが、幻想世界上での設定にすぎないともいえます。
本質をみたとき、自分とは存在するすべてであり、すべてを作ってる張本人だとわかっていればいいのです。
自分として生きているこの人生を幸せで満足のいくものにする。
こう意図してください。
あなたが意図したものは、すでにあるので、それはこの幻想世界でも見えてくることでしょう。
なぜ自分が創造主といえるのか?いかにしてすべてを作っているのか?
ではどうして自分がすべてを作る創造主といえるのか?
いかにして僕たちはすべてを作るのか?
僕たちは意識することによって、すべてを創造します。
上にも書いた通り、「意識」とは本来の自分です。
自分が意識を何かに向けた時、あなたは意識を向けた対象を創造します。
宇宙も人間も缶コーヒーもラーメンもみんな、あなたがそこに意識を向けることによって、あなたの世界に現出できるのです。
例えば何も知らないあなたが、初めて「ドラえもん」という漫画の存在を知ったとします。
はじめ、あなたの世界には「ドラえもん」は存在しませんでした。
でもあなたがドラえもんという漫画に意識を向けることによって、あなたの認識できる世界にドラえもんを現出させたのです。
漫画「ドラえもん」を作ったのは藤子・F・不二雄氏ではあるけれど、「ドラえもん」という作品を自分の世界に現出させたのは「自分の意識」なんです。
これは自分の意識が、自分が認識できるこの世界に「ドラえもん」を創造したととらえることができます。
ネット上のクラウド領域から、自分のスマホにアプリをインストールするのに似ているかもしれません。
では、あなたがドラえもんの存在を知る以前は、この世にドラえもんは存在しなかったのでしょうか?
いいえ、ドラえもんは既にありました。
藤子・F・不二雄氏 がドラえもんを創造していたのです。
もっというと 藤子・F・不二雄氏 が描く以前から「ドラえもん」という作品は宇宙に存在していたと僕はとらえます。
エネルギー体として存在していた「ドラえもん」を 藤子・F・不二雄氏 がキャッチして漫画にしたと、僕は考えますね。
願いや物体だけでなく、音楽やアートなどの創作物も、もともと宇宙にエネルギー体として存在するというとらえ方です。
表現者は自分の個性や技術、本質と一致したエネルギー体とつながり、それを作品として物質化するのだと思います。
少し話はそれましたが~
既にあるドラえもんを、あなたはそこに意識を向けることによって、あなたの世界に現出させたのです。
「すべてが既にある」とは、こういうことです。
赤ちゃんとして生まれて何も知らない、分からない人がいる。
その赤ちゃんが親に意識をむけることにより、自分の親を創造する。
保育園に預けられることによって、既に存在していた保育園を自分の世界に創造する。
赤ちゃんが意識を向けるものはすべて既にあるのです。
宇宙もドラえもんもカレーライスもウイスキーも、なにもかも。
この世に存在しないものは、認識すること自体ができません。
例えば目の前に半分しか入ってないコーヒーがあるとします。
この状況自体はなんの色もついてない、ニュートラルな体験です。
「半分しか入ってない、残念だな」に 意識を向けることによって不足を体験することもできるし、「まだ半分も残ってるよ、存分に味わおう」に意識を向けることでコーヒーを飲む楽しさ(充足)を体験することもできる。
意識を何に向けるかによって、人は現実を作っています。
意図したら願望がかなうというのもこれと同じことです。
例えばまだ現象化していないけど、未来の自分の理想的なパートナーが欲しいと意図したとします。
理想的なパートナーはすでに存在するので、あなたはそれが欲しいと意識をむけることで、やがてこの幻想世界にもあらわれてくる。
意識をそこに向け続けるから、それがあなたの世界に現出します。
本来の自分とは意識そのもの。
よって認識できるすべては自分であり、すべては既にあります。
あなたがそこに意識をむけることによって、すべてを創造していたのです。
前後のエッセイ漫画は以下リンクに♪
今日もブログをお読みくださりありがとうございました!