このページでは漫画表現における線の生命感の重要性について書いています!
昨今は漫画制作がデジタルに移行して、漫画の線もペンタブなどを使って描く人が多くなってきた。
確かにパソコンソフトなどで漫画の線を描くのは、デジタル漫画制作をする上で効率が良いだろう。
しかし手描きから生まれる漫画表現の線の魅力もあるはず。
この記事ではそんな手描きの漫画表現の線を愛する漫画アート芸術家が、漫画表現における線の生命感の大切さについて書いていこう!
まずは筆者がアナログで描いた芸術家ネタの四コマ漫画をのせていこう。
漫画表現における線の生命感は手描きから生まれる
漫画表現における線の生命感は、つけペンや筆などを使って描くことによって生まれる。
そんなことから僕は上に掲載した漫画もふくめて、手描きで漫画を描くことが多い。
手描きで漫画を描く際に僕が良く使っているのがGペンや丸ペンである。
この四コマ漫画を描く時に使用したのは、以下の画像にあるゼブラのGペンに日光の丸ペンだ。
僕はクリップスタジオペイントEXという漫画制作ソフトを持っているので、その気になれば絵を加工してもっと見栄えの良い線にする事は出来る。
しかし僕が絵画や漫画を作る時に大切にするのは、「人間の手から生み出される生命感」だ!
一本の線にも描いている人の性格が宿り、個性が出る。
特に漫画のつけペンというのは線の強弱がつけられるので、個性を出しやすい。
人間の手から生み出される生命感というのは、言いかえれば「いびつさ」「線の微妙なブレ」なども含めたその人にしか出せない、その瞬間だけの線ということ。
この人間的な線のいびつさ、ライブ感を作品に残しておきたいと思っている。
僕もクリップスタジオを使って明るさやコントラストをいじったり、トーンを貼ったりはする。
しかし絵や線まで加工すると、生命感の宿ったいびつな線を「キレイに整えてしまう」事になる。
ペンタブレットで絵を描くというのも、手描きの線がPC上で変換されてしまうので、手描き程の生命感を残すことは難しい。
線をキレイに整えてしまうとせっかく出てきた生命感のある線を犠牲にして、機械的で味のない線にしてしまう。
線をキレイに整えることは大切だ。
しかし漫画表現を行うときに重要なことは「その作家から生まれる生命感」だ!
漫画制作ソフトで線などを加工した絵というのは音楽で言うとCD音源のようなもの。
できる限り自分の手で描き、線や絵の加工をあまり行わずに見せる絵はライブ音源のようなもの。
僕は圧倒的に後者、ライブ感のある絵や漫画表現を大切にしていきたい。
多少の線のブレ、ヨレがあってもその瞬間にしか出せない線や絵の味を残しておくのだ。
チャーリー・パーカーや古今亭志ん生のような漫画表現をしたい!
漫画表現の線の生命感について書くとき、JAZZ演奏家のチャーリー・パーカーや落語家の古今亭志ん生の例をあげたくなる。
チャーリー・パーカーといえばアドリブ演奏がウリのアルトサックスプレーヤー。
パーカーはその時の気分に応じて自由に曲をアドリブで展開していき、演奏をする。
ライブ中の瞬間瞬間に生まれた発想で曲を彩るパーカーのような表現は素晴らしいと思う。
まさにパーカーは人間的な演奏をするJAZZプレーヤーだ。
落語家で言えば毎回同じ調子で噺をしていく八代目・桂文楽よりも、五代目古今亭志ん生のような噺家でいたいと思う。
志ん生は同じ噺をしていても、高座のたびに内容が微妙に変化していく。
志ん生はその時々の感覚に合わせて噺をするので、同じ噺でもアドリブが効いた微妙な変化を楽しめる。
この志ん生の落語家としての在り方が、とても人間的だなぁと思う。
人間は生命体なので、機械のように同じことをずっと生産し続けることはできないのだ。
どこかに人間臭いいびつさがあって、それが噺でも演奏でも漫画の線にも出てきたりする。
この人間的な微妙なズレ感覚が、漫画表現における線でも大切だと思う。
僕なら表現者として五代目古今亭志ん生やチャーリー・パーカーのような芸をしたい。
これら志ん生やチャーリー・パーカーのようなアドリブ、その瞬間の感覚に従って表現を行うような人達を僕は「生命感を大切にする表現者」と呼んでいる。
線も音楽も落語も、その瞬間にしか出せない、人間だけが生み出せる生命感というものがある。
この生命感を作品にとどめることが重要なのだ!
漫画作成ソフトで絵や線の加工を行うというのは、せっかく出てきた生命感を殺すことに等しい。
だから僕はその時々の感覚を絵やアイデアに込めて、「人間的な、生命感のある」表現を行っていこうと思っている。
以下の記事ではGペンや丸ペンの使い方や線の生命感についても書いているので、興味のある方はどうぞ♪