ゴッホは種まく人を描いた。おれはそれを模写して、重要なことに気が付いたのだ!
種まく人?ゴッホって豆まきの人だったのか!
違うわよ、ゴッホという画家が種まく人というタイトルの絵を描いたってこと!
筆者はゴッホの種まく人を模写することで、自分の絵のスタイルを持つことの大切さを感じた。
ここでは僕が自分スタイルの漫画アートを築くためにしている練習法や、ゴッホの種まく人を模写して感じたことを紹介しよう。
Contents
ゴッホの種まく人を模写して感じた自分スタイルの創作の作り方とは?
筆者がゴッホの種まく人を模写して感じた、自分スタイルの絵や漫画を作る発想法は以下。
「好きな作家の作品を模写して、よい要素を吸収する」方法だ。
まずは筆者が2016年12月頃に描いた、ゴッホの「種まく人」の模写を公開しよう。
●「フィンセント・ファン・ゴッホの種まく人の模写」
●油彩
●242×333mm
僕はゴッホが1889年に描いたミレーの模写「種まく人」が大好きで、是非それを模写したいと思っていた。
ゴッホやミレーの種まく人に関する記事は以下に書いてあるので、興味のある方はどうぞ♪
今回模写をした理由は、ゴッホが種まく人をいかに描き、解釈したのかを知りたかったからだ。
筆者が模写をする元となったゴッホの種まく人は、以下の画像。
上の作品は、1889年にゴッホが敬愛するミレーの作品「種まく人」を模写した絵。
僕はゴッホが描いた種まく人の絵が好きだったので、2010年にアクリル絵の具を使って模写したのが以下の画像。
なぜ何枚も同じ絵を模写するのか?
それは自分が愛する作家の、良い要素を吸収して、自作で活かすため。
僕は大好きな作家の良い部分を吸収し、そこに自分の個性を加えて、漫画アートを創作している。
何事も、ゼロから生まれるものはない。
誰かの影響の積み重ねの上に、自分らしさを加えて、オリジナルな作品は生まれる。
あのシェイクスピアも手塚治虫氏も、様々な先人の影響を受けたすえに、自分の作風を開花している。
手塚治虫氏はまずウォルト・ディズニーの影響があり、そこに戦前の漫画や映画、アニメなど様々な要素を吸収した末に、自分様式の漫画を生み出している。
万有引力の法則を発見したアイザック・ニュートンは、自分の業績についてこう言っている。
「私が遠くを見ることが出来たのは、巨人たちの肩に乗っていたからです」~ニュートン
ニュートンは彼以前に活躍した人たちの功績を土台にしたから、万有引力などの発見をものにできたと語っているのだ。
この世の中で、誰かの影響を全く受けないで創作するというのは無理だろう。
むしろ誰の影響を自分に落とし込むか?という選択の中に、個性は出ると思う。
様々な人の影響の中に、少しだけでもいいから自分独自の個性を入れることができたら、それをオリジナリティというのだ。
では大好きな作家の模写をすると、どういうメリットがあるのだろうか?
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好きな作家の要素を吸収せよ
筆者はこれまで自分スタイルの創作を作ろうと思った時、まず好きなアーティストの作品を研究することから始めた。
まず愛する表現者の作風をマネる所から入り、それを吸収し、自分らしく改変するという3ステップで考えてきた。
好きな作家から吸収した要素に、自分の個性を混ぜ合わせるのだ。
●好きな作家の作品をマネして描く
●好きな作家の要素を自分の創作に吸収する
●吸収した要素を自分らしく改変する
●自分の個性を混ぜ合わせる。
好きな作家の作品をマネして、自分の作品にするというのではない。
それは単なるパクリにすぎない。
好きな作家の要素を吸収し、自分の個性と混ぜ合わせて、創作を作るのだ。
好きな作家の要素を吸収するとは何か?
例えばゴッホの絵は短い線がいくつも重なり、画面全体がうごめくように描かれている。
この場合短い線で描くという部分だけを、自分の描き方に交えてみると、表現に幅が生まれるのではないだろうか。
ゴッホの絵全体をまねるのではなく、その作家の特徴的な要素を部分的に取り入れるという考え方である。
模写を行うことで、その作家がどういう意図で色を置き、線を引くのか?を考えるきっかけになる。
模写をするとそれを描いた画家の思考をつかみ、では自分はどうするのか?と考える機会が生まれる。
自分なら別の描き方をするだろうという気持ちが湧いたら、模写であっても描き方を変えていいのだ。
そっくりそのまま模写する必要はない。
その作家の思考を読み取り、自分ならこうするという対話をすることで、自分らしい表現が見えてくる。
好きな作家の要素を吸収しつつも、自分なりに改変するのだ。
もっとこうした方が良いというアイデアはどんどん取り入れて、自分らしい創作に変えていく。
模写しながら、自分ならどう描くかという対話を行い試行錯誤を重ねるのだ。
こうすることで好きな作家の要素を、自分らしいものに改変していくことができる。
たくさんの作家の作品を模写して対話をした方が、自分の表現に広がりがでるかもしれない。
模写をする作家は1人ではなく2人、3人…10人以上だっていい。
いろんな作家の良い要素を吸収していき、それを混ぜ合わせる。
誰の作家の影響を自分に取り込むか?ここの選択だけでも、だいぶオリジナルな様相になるだろう。
いろいろな作家の良い部分を吸収した上で、自分の個性を注入するのだ。
こうすることで微妙な化学反応を起こして、他と違う自分らしい表現が生まれる。
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ゴッホの種まく人を模写して感じたこと
ゴッホの種まく人を模写して、感じたことがある。
それはゴッホが描く、絵の独自性だ。
短い筆の筆触を何度も繰り返して、絵全体が画面のなかでうごめいている
筆者はゴッホの種まく人を模写して、上のように感じた。
ゴッホは、短い線をひたすら重ねて絵を構成している。
これでもかという程絵全体に短い線をちりばめるので、絵からうごめきのようなものを感じるのだ。
ゴッホはフランスで、スーラなどの点描主義絵画に出会って影響を受けている。
だから短い線描は、ゴッホなりの点描の解釈なのではないかと感じた。
点描主義絵画とは絵を描くとき、色のついた点をひたすら置く描き方をする。
点描絵画を離れて見ると、目の網膜上で色が混色されて、完成されるという表現だ。
ゴッホはこの点描を短い単線に置き換えて、執拗に絵全体にちりばめたのではないかと思う。
これを行うことで、絵に動的な印象が出る。
ゴッホは強烈な色彩を使うことで、内面の感情まで表現している。
ものすごく特異な描き方だけど、ゴッホにしかできない自己表現だ。
当時ゴッホの作風が異端視されていたのがよく分かる。
印象派のカミーユ・ピサロは、ゴッホについて以下のように書いている。
「この人間は気が狂うか、我々を置き去りにするか、どちらかである」~ピサロ
ゴッホは同時代の画家とは、明らかに変わった描き方をした。
ゴッホはキチガイじみた性格があったことから、ピサロは「この人間は気が狂うか」と書いたのだと思う。
しかしゴッホの異端さがうまくいけば印象派のピサロたちを置き去りにして、新しい絵の様式を生み出すのではないかという見解を、ピサロは書いたのだろう。
ぼくはピサロがゴッホについて書いた上の言葉を読んだとき、とても感動した!
ゴッホという芸術家の本質をとらえた言葉だと思ったからだ。
ピサロに、上のように言わせてしまうゴッホの個性…
素晴らしいと思った!
ゴッホの種まく人を模写して感じたことの最後に
ゴッホの「種まく人」を模写して僕が感じたこと。
それは「短い単線を執拗に重ねる描き方」のすごさだった。
画家自身の情念を表現するような、短い描線による描き方に、ぼくは感動した。
僕はゴッホの描き方に影響を受けて、漫画を描くときに短い線描を使うようになった。
例えば背景の自然を描くときなどに、短い線描を使った。
アートから影響を受けて、それを別ジャンルの表現で試すというのは面白い。
ジャンルが違うぶん、新鮮味がある。
逆に漫画で感心した手法を、アートに持ってくることもある。
僕の場合ジャンルは関係なくて、自由に横断する。
だからアートと漫画の融合なのだ。
ファン・ゴッホの「種まく人」を模写してあらためて感じたことを、最後に書いてみよう。
芸術は圧倒的な個性そのものである!