美術の世界で「種まく人」という絵のタイトルがある。
種まく人の絵を描いた有名な画家に、ゴッホやミレーがいる。
初めに「種まく人」を描いて有名になったのは、ジャン・フランソワ・ミレーというフランスの画家。
ミレーの種まく人を模写して、自分の絵画に取りこんだのがゴッホだった。
上の種まく人は、筆者が最も好きなゴッホ作品の一つ。
ゴッホは生涯で、「種まく人」が登場する絵をいくつも描いている。
ゴッホにとって種まく人は、一つの絵のテーマだったのではないかと思う。
ゴッホがした模写は独特だった。
果たしてどんな意図の元に、ゴッホはミレーの種まく人を模写したのか?
この記事では種まく人について解説するとともに、ミレーの種まく人を描いたゴッホの独特な模写の概念を見ていこう。
Contents
種まく人とは?
新約聖書「ルカによる福音書第8章の4~15節」にある「種まく人」のたとえ話を、フランス語や英語などで訳した言葉を「種まく人」という。
種まく人は、新約聖書でキリストがする例え話が元ネタだったのだ。
その一節を載せてみよう。
ルカによる福音書第8章4節から8節
大勢の群衆が集まり、方々の町から人々がそばに来たので、イエスはたとえを用いてお話しになった。
種を蒔く人が種蒔きに出て行った。
蒔いている間に、ある種は道端に落ち、人に踏みつけられ、空の鳥が食べてしまった。
ほかの種は石地に落ち、芽は出たが、水気がないので枯れてしまった。
ほかの種は茨の中に落ち、茨も一緒に伸びて、押しかぶさってしまった。
また、ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。
イエスはこのように話して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と大声で言われた。
新約聖書のこの例え話からヒントを受けて、ミレーは種まく人を描く。
ミレーは種まく人の主題で、ほとんど同じ構図から2枚の油絵を描いている。
ミレーが描いた種まく人は、ボストン美術館や山梨県立美術館に収蔵されている。
ミレーは種まく人で、農民が畑で種をまく瞬間を描いた。
そんなミレーの絵に触発されて、ゴッホは種まく人の模写を始める。
ゴッホが画家修行を始めた当時、デッサンで種まく人を描き、後年油彩でも描いている。
ゴッホはミレーと同じ構図で種まく人を模写したほか、他の絵でも種まく人を登場させた。
ゴッホにとって種まく人は、画家キャリアの最初期から最後まで登場する、重要な画題だったのである。
種まく人の初代作者のジャン・フランソワ・ミレー
上の絵は、19世紀フランスで活躍した画家ジャン・フランソワ・ミレー(1810年10月4日~1875年1月20日)が描いた「種まく人」。
ミレーは、バルビゾン派と呼ばれるフランスの絵画グループに属していた人だ。
バルビゾン派は、バルビゾン村や周辺の自然がある場所に画家が滞在して、風景や農民画などを描いたグループのこと。
カミーユ・コローやミレー、テオドール・ルソーやトロワイヨン、デュプレやディアズ、ドービニーの7人は、バルビゾン派の代表的な人物。
バルビゾン派として絵を描く人は、全部で100人以上もいたようだ。
バルビゾン派は自然主義絵画に属するので、目に見えるものをありのままに描く。
穏やかな農村風景や自然が描かれるバルビゾン派は、とても胸を打つ絵画だと思う。
バルビゾン派の絵には独特な情感や、ロマン、雰囲気があって、ぼくは大好きなグループだ。
以下の絵はミレーの代表作「落穂拾い」。
ミレーは農民や農村を主題に、いろいろな絵を描いている。
一日の仕事が終わり、天の恵みに感謝する農民を描いた「晩鐘」。
晩鐘では農民の夫婦が、祈りをささげるシーンが描かれている。
敬虔な農民の姿を、ありのままに描いたミレー。
そんなミレーが、新約聖書からヒントを得て描いた絵が「種まく人」だった。
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生涯ミレーを尊敬していたゴッホ
19世紀後半を生きたオランダの画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853年~1890年)は、ミレーを尊敬し、師とあおいだ画家だった。
ゴッホはミレーと会ったことはないけど、すでに有名だったミレーの影響を受けていた。
ゴッホが画家として歩みだしたのが、27歳のとき。
その際ゴッホが初めにした練習が、尊敬するミレーの作品を模写することだった。
ゴッホは画家の修業時代、デッサンの練習をたくさんしていた。
その中にミレーの描いた種まく人の模写がある。
初期のころに描いたゴッホの絵には、バルビゾン派の影響がみられる。
油絵を描きだして間もないころのゴッホは、薄暗い農民画や風景画などを描いていた。
ゴッホは過去の巨匠や先人達の絵を鑑賞しては、絵の描き方を学ぶ。
以下の絵は、農民の家族を描いたゴッホの代表作「馬鈴薯を食べる人々」。
ゴッホはバルビゾン派の画家が描いた農民や農村に美しさを感じ、初期のころは素朴な農民の姿を描く。
まさにミレーの世界観を模写することから、ゴッホの絵は始まっていたのである。
後年アルルで自分のスタイルを確立してからも、ゴッホは尊敬するミレーの絵を模写する。
種まく人も、その中の一つだった。
なぜゴッホの描いた「種まく人」に感銘を受けたのか?
ゴッホはミレーの種まく人を模写した絵画を、2点描いている。
一つ目が以下の種まく人。
もう1つが以下の種まく人で、ゴッホは色調を変えて模写をしている。
上の「種まく人」は、2016年開催の「ゴッホとゴーギャン展」で展示されており、僕は実物を見ている。
なぜ筆者がゴッホが模写した種まく人が好きかというと、理由がある。
僕はゴッホが模写した種まく人を見たとき、ものすごく懐かしい感じがしたのだ。
筆者が18歳で芸術と出会い、ゴッホの名前を聞いた時、その名前の響きがものすごく懐かしかった。
前世でも関わりがあったかのような、時をこえて出会ったかのような感覚だった。
父が本や骨董が好きで、幼い頃から美術全集などが身近にあった。
なのでぼくは幼い頃に、ゴッホが模写した種まく人を画集で見ていたのかもしれない。
とにかくゴッホが模写した種まく人の絵に、強烈な懐かしさがあったのだ!
ゴッホは種まく人を模写するとき、以下の描き方をしている。
●対象のりんかく線をはっきり描く
●揺らぐような、繰り返される短い線のタッチで描く
一見すると漫画のようにも見えてしまう、独特なゴッホの絵のタッチ。
以下より、ゴッホの独特な模写の仕方を見ていこう。
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ゴッホの独特な模写の仕方
ゴッホが上の種まく人を描いたのは、1889年サンレミの精神病院にいた頃のこと。
たび重なる発作に襲われていたゴッホだけど、病室や野外で絵を描くことはできた。
ゴッホは弟から、精神病院にミレーの素描集を送ってもらう。
素描なので、色はついていない。
ゴッホはミレーの素描をもとに、油絵で模写を始めた。
ゴッホは独特な模写の仕方をする。
模写と言っても、そのまま素描の絵を描くのではない。
ミレーの素描を元にしながらも、自分の表現言語で模写をしているのである。
たとえばゴッホが感じた色彩で色を塗り、特有の短い描線が絵に渦巻いている。
ゴッホ自身、模写をするときに以下のコメントを残している。
「自分は単に模写をしているのではなく他人の作品を翻訳し、自分の解釈で再構成している。」~ゴッホ
ゴッホは自分がするのはただの模写ではなく、楽団を指揮してクラシック音楽を再構成する指揮者のようなものと考えていた。
クラシック音楽は、指揮者によって同じ曲でも雰囲気が変わることがある。
ブルーノ・ワルターとフルトヴェングラーの指揮では、同じモーツァルトの曲でもだいぶ空気感が違う。
模写をするというのは、指揮者が曲を解釈して新しく構築しなおすようなことだと、ゴッホは考えていた。
このようにゴッホは、ミレーの作品を自分の解釈で色づけし、表現したのだ。
ゴッホが考える模写の概念は、重要なことを教えてくれる。
「人の作品を模写するとき、自分の解釈で作品を作ることにより、表現力を磨く練習になる」
ゴッホはミレーを模範としながらも、オリジナルな世界を作った。
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ミレーとゴッホ、明らかに作風は違う。
しかし種まく人というテーマは同じ。
ミレーとゴッホの違いを生み出すものが、個性である。
ゴッホは人の作品を出発点としながらも、自分の描き方で模写をした。
種まく人をクラシック音楽に例えれば、ゴッホはミレーとは違う解釈をする指揮者となったのだ。
ゴッホが考える模写は、ただ人の絵を写すだけではなかった。
種まく人を模写しつつも自分の個性をつけ加えて、新しい創造を行っていたのだ。
ゴッホの種まく人の最後に
種まく人は、新約聖書で登場するキリストのたとえ話がきっかけで生まれた言葉だった。
ミレーはそんな種まく人のイメージを、絵画で永遠なものにした。
そしてミレーを敬愛するゴッホが、種まく人を模写する。
創作のテーマは、世代を超えて受け継がれる。
模写は単に対象を描き写すだけではないと、ゴッホは考えていた。
人の作品を創作のキッカケにしながらも、あくまで自分の描き方で翻訳する表現法。
これがゴッホ特有の模写だったのだ!