ゴーギャンの良さとは、何か?
ポール・ゴーギャンは1848年6月7日 ~1903年5月8日にかけて活躍した、ポスト印象派のフランスの画家。
漫画アート芸術家の筆者は、18歳ころにゴーギャンの存在を知って以来、この表現者のあまりの良さに感銘を受けてきた!
この記事ではゴーギャンを心から愛する筆者が、ゴーギャンの良さについて書いていこう!
Contents
ゴーギャンの良さは芸術家っぽい生きざまにあり!
ゴーギャンの良さはその個性的で芸術家っぽい人柄、人生、作品にある!
ゴーギャンの良さは、ボヘミアンな芸術家を連想させる、存在感そのものにあるのだ!
ここでざっくりとゴーギャンの人生を見てみよう。
ゴーギャンははじめ株式仲買人として働き、結婚をして子供が5人もいた。
ゴーギャンはすでに株式仲買人の仕事で成功して、豊かな暮らしを送っていたのだ。
しかし日曜画家として活動していたゴーギャンは、やがて株式仲買人の仕事をやめて、画家として出発することになる。
画家として歩みだしたのが、30代も半ばころだった。
しかしゴーギャンの絵はそれほど売れなかったから、家族を支えるのが難しくなった。
そのためゴーギャンは家族と離れて、画家として新しい人生を始めることになる。
画家として生きるために、家族も仕事も犠牲にして歩んでいく大胆さが、いかにも芸術家らしい。
ゴーギャンは体が大きく割と気性が激しかったので、人ともめごとを起こすことがあった。
船員とけんかをして、足の骨が折れたこともあったようだ。
かつてルネサンス時代の芸術家ミケランジェロが、ケンカをして鼻の骨を折られた事件をどことなく彷彿とさせる。
ゴーギャンは、一時期アルルでゴッホと一緒に住んだことがある。
2人はお互い個性が強いので、共同生活はうまくいかなかった。
そのためゴッホの耳切り事件につながり、ゴーギャンはアルルから立ち去ることになる。
ゴーギャンは、ポン=タヴァンやタヒチなどの島へ行って制作活動をした画家だ。
とくにタヒチにいるときに描いたゴーギャンの作品には、傑作が多い。
ゴーギャンは病で体を悪くしたり、借金を背負ったり、絵がなかなか売れなかったりと、きわどい人生を送った。
ゴーギャンは「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」というタイトルの傑作絵画を完成した後、自殺未遂をしたことがある。
結局死にはしなかったが、ゴーギャンの病や経済の状況がよくなる兆しはなかった。
その後ゴーギャンは、マルキーズ諸島にて1903年5月8日に亡くなっている。
ゴーギャンは絵だけでなく彫刻を作ったり、文章を書くこともあった。
ゴーギャンは「ノアノア」という紀行文の本を書き、自作の絵やタヒチでの生活について書いている。
しかしゴーギャンの書いた本の内容には、作り話や空想が含まれているようだ。
ゴーギャンはゴッホの絵が飛躍的に進歩したのは、自分の影響だとコメントしたことがある。
ゴッホはゴーギャンと一緒に住んでいるとき、一時的にゴーギャン様式の絵の描き方をした。
ゴーギャンのように空想をして、象徴的な絵を描いたのだ。
しかしゴーギャン様式が合わなかったゴッホは、すぐに自然を描く自分のスタイルに戻っている。
ゴーギャンが尊敬していたセザンヌからは「中国の切り絵」と、作品を酷評されたこともあった。
生前のゴーギャンは、不遇な画家の人生を送っていたのだ。
ゴーギャンの作品群は、死後になって評価されはじめる。
西洋や西洋美術に深遠な疑問をなげかけたゴーギャンの作品は、しだいに注目を集めていく。
やがて、ポスト印象派を代表する重要な画家とみなされるようになったのだ。
波乱万丈な人生を生きたゴーギャン。
ゴーギャンの人生には、芸術家らしい破天荒な良さ、面白さがある!
経済的苦境や周囲の無理解のなかでも、自分の絵画を突き詰めていった姿は、いかにも芸術家らしい雰囲気を感じるのだ。
ゴーギャンの良さは自信家なところにもあり!
ゴーギャンの良さは、自信家なところにもある。
ゴーギャンは芸術家としての自分の良さに、絶対の自信を持っていた。
「私は偉大な芸術家である。またそのことをよく熟知している」~ポール・ゴーギャン
このように、ゴーギャンは自分の良さを語っている。
生前は今のような評価をされていなかったゴーギャンだけど、自分の中では偉大な芸術家だという確信があったのだろう。
ゴーギャンが語ったように、彼の絵画は美術市場でも偉大な成果をたたきだすことになる!
以下から、ゴーギャンの良さが評価された絵画について見ていこう!
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美術史上最高落札価格をつけたゴーギャンの絵!
上の絵はゴーギャンがタヒチ島で描いた「Nafea Faa Ipoipo(いつ結婚するの)」で、1892年の作品。
素晴らしい!の一言につきる、ゴーギャンの良さがつまった黄金時代の傑作である。
あなたはこの絵が、いくらに見えるだろうか?
このゴーギャンの絵は、2015年2月7日にプライベートセールにかけられて販売された。
なんと、絵画史上最高の落札価格に達したという。
値段は、3億ドル(約360億円)!
僕はこのニュースを聞いたとき、素直に嬉しい!と思った。
大好きな画家の傑作が、絵画史上の最高落札額をつけたということが嬉しかったのだ!
それだけではない。
僕は昔から感じていた。
ゴーギャンは、同時代に活躍した同じ後期印象派に属するセザンヌやゴッホに比べて、過小評価されていると。
例えばセザンヌは20世紀絵画を切り開いた父として絶大な存在感があるし、ゴッホの人気もすごい。
この二人に比べるとゴーギャンは半歩後ろに位置するような、微妙な位置づけをされているなと感じていた。
ゴーギャンの本当の良さが、認識されていないのかとさえ思った。
僕の感想をいうとゴーギャンは、セザンヌとゴッホに比肩するどころか、2人を飛びこえかねない強烈な魅力があると思う!
なのでゴーギャンの傑作が絵画の最高落札価格をつけたと知って、とても嬉しかったのだ。
お金で絵画の価値がはかれるものではないが、分かりやすい目安にはなる。
360億円。
ゴッホの絵画のなかで最高価格をつけたのが、「ガシェ医師の肖像」で約125億円。
ピカソが「アルジェの女たち」で約201億円。
セザンヌが「カード遊びをする人々」で約307億円
ゴーギャンの絵画の破格さが、よく分かる。
ゴーギャン芸術の真の良さが、ようやく理解されはじめたのだろう。
ここであなたは、質問するのではないだろうか?
「なぜこの絵がそんなに高いの?理由が知りたい」と。
その疑問に、僕なりに答えてみようと思う。
なんでゴーギャンの絵画は高いのか?
僕は以前から思っていたことがある。
極端に言ってしまうと「絵画は絵の内容がどうこうではない。その価値は誰が描いたかにある」と。
「その絵が、美術の歴史上どういった文脈にある作品なのか?」
これは美術作品の評価をするとき、注目される要素の一つ。
西洋美術の歴史でその絵がどんな表現の文脈にあるか?という部分は、絵を描くなら意識しておきたいところなのだろう。
絵描きは西洋美術史の全体像を、ざっくりでも把握していたほうがいいのかもしれない。
たまに現代アートの展覧会へ行くと、意味の分からない作品が置いてないだろうか?
例えばリンゴがポツンとあったり、大量の洗濯鍋が無造作に散らばっていたりするような作品などだ。
あれは西洋美術の歴史を踏まえた上で見ると、ちゃんと意味のある表現であると分かる。
歴史に残るような芸術家は「西洋美術の歴史における文脈を塗りかえた人たち」である。
ゴッホもセザンヌも、そしてゴーギャンも。
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ゴーギャンにしか描けない絵を発明した
ゴーギャンは最終的に自分様式の絵画スタイルを編みだしたけど、はじめは印象派風の絵を描いていた。
ゴーギャンは印象派の画家ピサロと知り合いで、日曜画家時代は一緒に絵を描いたりした。
セザンヌの作品が好きだったゴーギャンは、セザンヌ様式の絵も描いている。
その後日本の浮世絵やもろもろの影響から、だんだん印象派ではおさまらない作風になっていく。
ゴーギャンはやがて対象を輪郭線でくぎり、音楽のように鮮やかな色彩で、平面的な絵を描くようになる。
このゴーギャン様式の絵に、彼の良さがつまっているのだ。
ゴーギャンは、絵画を音楽のように捉えていた。
絵を音楽のように表現するセンスが、素晴らしいと思う!
絵の色を塗るときも、塗り絵みたいな平面的な塗り方をした。
油絵というと、ゴッホのように絵の具を盛り上げて塗るような描き方がある。
しかしゴーギャンは画面を輪郭線でわけて、まるで音楽を奏でるような色で平面的に描いた。
ゴーギャンは自分の空想を象徴的に描くという、独特な表現手段をあみ出したのだ。
以下のゴーギャンの代表作を見ても、対象物をそのまま描くような絵ではないことが分かる。
ぼくはゴーギャンの描く絵に、強烈な幻想を感じる。
この独特なゴーギャンの幻想性が、素晴らしい作品の良さなのだ!
ゴーギャンのような描き方をした人は、過去にいなかった。
だからゴーギャンの絵画は後続の画家に影響を与え、ひいては20世紀美術に大きな影響をもたらしたのだ!
ゴーギャンは自分にしか描けない絵画表現を発明し、その手法が革新的であることを自覚していた。
そこでこの言葉が出てくる。
「私は偉大な芸術家である。またそのことをよく熟知している」~ゴーギャン
ゴーギャンの良さは、この確信にある!
ゴーギャンは自分様式の絵を生み出し、その価値を理解していた。
ゴーギャンは、自分の絵の独特な描き方を仲間たちに説明した。
ゴーギャン様式の絵画は彼の周りにいた若い画家に受け継がれ、ナビ派という絵画様式のグループができた。
ゴーギャンは自分の発想で、価値のある絵画を生み出したのだ。
絵の価値基準はあるようで、実際はないのだ。
美しいから、対象にそっくりだから良い絵というわけではない。
ピカソのキュビズムも、ポロックのアクションペインティングも、キース・へリングの単純な線描も、それぞれに価値あるすばらしい芸術だ。
その絵がなぜ素晴らしいかの理屈は、自分で作るのだ!
ゴーギャンのように、価値は表現者自身が生み出すのだ!
自らが、「良さ」という価値基準を作るのだ!
そして自らが作った良さの価値基準を、世間に理解させるのである!
価値基準を自分で作る、ここがアート最大の面白さなのである!
独創的なアートを生み出し、その価値を美術の文脈上に位置づけ、何がすごいのかを理屈で説明する。
これが世界に伝わったとき、一枚の絵に360億円という値段がつくのだ!
まさに、ゴーギャンではないか!
僕はゴーギャンの人生や作品を思いだすたび、猛烈に胸が熱くなる!