2016年11月9日水曜日、僕はとある美術館で「平山郁夫 悠久のシルクロード展」を見てきた。
この時ある発見をした。
それは「幻想的な絵」を形作る、要素についてだ。
平山郁夫氏の絵画には、淡い幻想性があったのだ。
今日は平山郁夫 悠久のシルクロード展をみた感想「幻想的な絵の要素」について書こう。
平山郁夫絵画をみた感想は幻想性の素晴らしさ
平山郁夫(1930年6月15日~2009年12月2日)氏は日本画家で、シルクロードなどを旅していろいろな絵を描いた。
僕はこれまで平山郁夫氏の絵を生でみたことがなかった。
今回の平山郁夫展では、まとまった作品が展示されるというので楽しみにしていた。
平山氏の絵画はとても幻想的だ。
どの作品も霧がかったように淡く、キラキラ輝いている。
近くで見ると絵の中に光る顔料が混じってて、これが作品にきらめきを与えているのがわかった。
平山郁夫絵画の特徴、それが絵全体の淡い幻想性なのだ。
どうやってこの幻想性を出しているのか気になったので、近くでじっくり観察した。
すると輪郭線がないのである。
いや、輪郭線がぼかされていると言った方が良い。
形と形の境界が線ではなく、淡い色の揺らめきで区切られている。
近くで見るとよく分かる。
描かれるものは全体がぼやけた感じで、後ろに下がって見ると美しく一つにまとまる。
まるで点描絵画のようではないか。
絵に描かれた夜月は淡い白色が球体を覆い、離れてみると幻想的な感じをあたえる。
長方形に大きいラクダに乗る人の3つの絵は、相当迫力があった。
ラクダの絵は、朝のオレンジ版と夜の青版が印象深かった。
画集では分からない生絵画の凄さを感じたのだ。
どの絵にも共通して言えることは、「静寂」があることだ。
深い瞑想状態に入ったかのような、しんとした静寂が絵にある。
平山郁夫絵画の、もう一つの幻想性は、描かれている対象にある。
シルクロードや日本、韓国、中国などを舞台に自然や人、建築物、ラクダ、月夜、日没などが描かれる。
これら描かれる対象に幻想性を感じるというのが、ぼくの感想。
平山氏は対象を精密には描写せず、全体の存在感や雰囲気を、淡~く明確な色彩で描く。
顔料の中にはキラキラ光る粒子が入っているから、これがまた幻想感を高めている。
なるほどこれら要素が一体化した時、独特な幻想性は生まれるのか!
と妙に納得をしてしまった。
僕の創作における基本テーマが「幻想と自然」だから、平山氏の描き方には共鳴するのだ。
平山郁夫氏絵画の幻想性は、画集を見ただけでは分からないと思う。
絵画はある程度大きく、表面の絵肌も隆起しており、マチエールの面白さもある。
絵表面の絵具による隆起、この絵肌のことをマチエールという。
平山郁夫氏の絵には独特なマチエールがある。
例えば、建築物なら表面のざらつき感みたいなものまで考えて塗っている。
●絵が発する静寂な雰囲気
●輪郭線のぼかされた淡さ
●描かれる対象物自体の幻想性
●きらきらした絵の具の輝き
●独特のマチエール
平山郁夫絵画の幻想性は、ここにあったのだ。
絵の淡い空気感と色彩は、人に幻想性を感じさせるのかもしれない。
さあ、それが分かったらこの要素を漫画アートで活かしてみようと思う。
平山郁夫絵画を生でみた感想の最後に
平山郁夫の絵画を生で見た感想を書いてきた。
何よりも絵全体にある、淡くぼかされた幻想性が良かった。
絵に漂う静寂さも、特徴の一つ。
静かな人々の旅路が描かれる平山郁夫絵画の世界は、胸にしみいるものがある。
様々な美術館をまわり、直に絵画を見て得られる発見はたくさんある。
そこから得た要素を自作に取り入れ、実験をしながら自分らしい作風を探ってみよう。
それは漫画でも絵でも変わらない。
幻想性に影響を受けたなら、思いきって幻想的な読み切り漫画を考案してみるとか、漫画絵の描線をぼかして淡く描いてみるとか。
面白いと思った手法は、何でもためしてみようと思った。
感動したものは何でも取り入れ、表現に使う貪欲さを持つと、美術鑑賞が本当の自己投資になる。
ミックスジューサーのように気に入った要素を自分のなかにぶち込んで、シェイクするのだ。
そこに自身の個性を垂らすと、その人らしい世界が生まれるのかもしれない。