「美術館に行く意味って何なのか?」って感じる人がいることでしょう。
僕はよく美術館へ行きます。
美術館には感性を刺激してくれるような作品がたくさんあります。
美術館で良い絵画と出会うと感性が豊かになり、創造的な刺激を受けることができます。
芸術作品を鑑賞することで、自分の中に眠る新しい感覚を目覚めさせることができるかもしれません。
これは美術館へ行く大きな意味となります。
そんなことで、群馬県立近代美術館へ行き「美術と音楽展」を見てきました。
この記事では美術館で生でみた絵画体験をもとに、美術館に行く意味について考えてみます。
美術館に行く意味は生の絵画の迫力を知るため
何といっても美術館に行く意味で最も大きいのは、生の絵画の迫力を楽しめることですね。
生の絵画はやっぱし画集で見るのとは違いますから。
特に絵や漫画を描いている僕からすると、生の絵画を見ることで描き方について学べるのは大きいメリットです。
良い絵を描くには良い絵をたくさん見ることだと言われることがあります。
絵の何が良くて何が悪いのかを知るためには美術館へ行き、プロの画家がどう描いたのかを生で見るのが最大の勉強になるでしょう。
僕は昔、絵なんて画集で見れば十分だなんて思っていました。
でも、群馬近代美術館で生の絵画を見て思いましたよ。
生の絵画は迫力が違うと!
絵から発するオーラのようなものがあるのです。
美術館でみる生の絵画からは、画家の魂が伝わってくるような感じがします。
絵画から発する画家の、魂の鼓動がきこえてくるようです。
画家の魂の鼓動を絵画自体から感じるってのは、美術館に行く大きな意味になると思います。
美術館で絵画を見ればどのようなタッチで描かれているか生々しく分かるし、色彩のライブ感は印刷された色とは明確に違いますからね。
美術館で絵をみる時、「自分ならこんな色でこんな風に描くだろう」なんて考えながら鑑賞していると、色々発見があります。
自分の作品に取り入れようと意識して見ると、絵描きとして成長につながるのかなと思いました。
美術館には様々な種類の作品があり、自分が思ってもみなかった表現に出会える可能性もあります。
これまでみたこともない絵画に美術館で出会うと、それが引き金となってより広いジャンルの絵画に興味がわくかもしれません。
僕の場合、美術館で予想外の作品に出合うと、創造意欲が刺激されて絵や漫画を描きたくなりますから。
ともかく美術館でみる生の絵画は迫力満点です。
迫力一杯な生の絵画がみれることこそ、美術館へ行く大きな意味だと思います。
絵を描く人にとって創造意欲を刺激してくれる美術館の存在は、改めて貴重だと感じました。
美術館へ行く意味は生の絵画のライブ感を知ることにあり
美術館へ行く意味として大きいのが、絵画自体が持つ表現のライブ感を感じられることです。
僕は美術館へ行って生の作品を鑑賞していると、絵画のサイズ感に驚くことがあります。
美術館でみる絵は、予想外に大きいことがあるんですよ。
画集でみる時は小さな絵だと思っても、実際は大きなサイズの絵だったってことはよくあります。
反対に大きな絵だと思ってたけど、意外に小さな作品だったことに驚くこともありました。
青木繁の「海の幸」は生でみたとき、予想外に小さかったので驚きました。
サルヴァドール・ダリの「記憶の固執」も、とても小さい絵ですから。
大きな絵というのは、それだけで魅力を感じます。
絵が大きいと、何か迫力を感じるのです。
絵がもつパワーに圧倒されるみたいな感覚です。
大きな絵に残された画家の筆致の痕跡が、見ていて面白いんですね。
音楽でいうとライブのような魅力を、画家の筆致に感じることもあります。
画家がどう描き、筆のタッチを残しているのか?
色はどう置かれ、どう見えてるのか?
全ては直に美術館で絵をみることで分かることです。
生の絵画だからこそ分かる魅力があるんですね。
美術館へ行く意味は、生の絵画に込められたライブ感を知れることにもあるのです。
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美術館へ行く意味のまとめ
僕が行った群馬近代美術館では「音楽を目指す美術の試み」というテーマのもと、たくさんの絵画作品が並んでいました。
パウル・クレーやカンディンスキー、シャガールなどの、音楽と関係した絵画作品が展示されていたのです。
音楽という抽象的なものを絵に変換すると、これほど多様な表現が出来ることに驚きました。
絵は個性そのものなんだと感じたのです。
僕が美術館へ行く意味として何より思うメリットは、「生の絵画が持つ迫力を知れる」こと。
画集だけでなく、ぜひ美術館で生の絵画を楽しんでいきたいですね!
以下の記事では筆者がゴッホとゴーギャン展へ行って感じた感想を書いています♪