肖像画とは何か?
肖像画を描く意味とは何なのか?
>肖像画は単に人の顔を似せて描く以上の役割がある。
肖像画とは何かや描く意味について漫画アート芸術家が感じることを書いていこう。
肖像画とは何か
肖像画とは人の顔に似せて描かれた絵のこと。
似顔絵と言えば似顔絵ともいえる。
現代は写真があるので、肖像画で絵を描かなくても自分の姿を記録しておくことができる。
しかし自分の顔を肖像画という絵で残しておくことにも価値があるだろう。
僕は肖像画は人の顔を似せて描く以上の意味があると思っている。
肖像画を描くのは自己表現にもつながるのだ。
人の顔を描いて自己表現?
よく分からないと思われるかもしれない。
しかし肖像画を描くこともすでに自己表現の領域に入っている。
なぜか?
僕は肖像画を描くとき、ただその人の外見だけを写せばいいとは思っていない。
もっと深いその人の本質にある何か?を絵を通して表出させたい。
そして僕が描く以上、僕というフィルターを通した肖像画になる。
例えばモディリアーニが描いた肖像画は描かれた人の顔を正確には写していないだろう。
かなりモディリアーニ的表現が肖像画に入っている。
この時モディリアーニは肖像画を描くことで、自分自身も表現しているのだ。
例えば僕はこんな自画像を描いている。
これは僕の本質を表わした絵である。
絵を描く意味は対象の外見をなぞることではない。
対象の本質を自分のフィルターでキャッチし、自らの方法で絵に表現することにある。
肖像画においても同じだ。
人の顔を似せて描きながらも、似顔絵を越えた画家自身の表現になっていなければならない。
これは自己表現以外の何物でもないのだ。
絵をうまく描くことに反逆する
多くの人は絵を描こうとするとき上手に描こうとする。
しかし僕はいつも不思議に思ってきた。
絵の上手さとは何なのか?
対象をそっくりそのまま描くことが上手さなのか?
どうして自分が絵を描くときに、世間が決めた上手さという基準に従わねばならないのか?
少なくとも僕はそういう絵に魅力を感じない。
僕は以前こういう絵を描いたことがある。
しかしこの類の絵は、僕でなくても手先が器用な人ならだれだって描ける。
これから先ただうまい絵描きは掃いて捨てる程出てくるだろう。
そういう絵描きになっていいのか?
絶対に違うと思った。
自分からしか生まれない芸術を作らなければ意味がない。
そして自分らしさというのは、見た目が上手い絵ではないことだけは分かっていた。
そう考えた時、絵の上手さというものに反逆するという意思が生まれたのだ。
誰もが絵はうまく描くべきというのなら、僕は真逆を行って上手さを破壊しようと。
芸術における絵は綺麗に、上手く、美しく描くのではない。
自分自身を強烈に表現するために描くのだ。
つまり作家自身が芸術だ。
芸術における絵というのは強烈な作家自身を表明するものなのだ。
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肖像画を描く意味はその人の魂をすくいとること
肖像画を描く意味は、描く対象の人の魂をすくいとることにあるだろう。
描かれる人の魂に接近し、それを絵として形にするというか。
僕が肖像画を描くとき一番心がけるのは、その人の気、オーラ、感覚みたいなものを察知すること。
深い言葉で言うとその人の魂を僕のフィルターで感じ取り、それを絵で表現する。
しかし肖像画である以上激しく絵を歪ませたりはしない。
例えば僕は下のような絵が好きでよく描く。
しかし人の肖像画を描くときはあくまでその人だと分かるように描くようにしている。
肖像画にはある特定の人を描くという大前提がある。
これを激しく歪ませて何だか分からない絵を描いたらコンセプトからして違ってきてしまう。
だから僕が肖像画を描くときはその人の特徴を押さえつつ、僕が感じたその方の魂みたいなものを絵に表現できたらいいなと思っている。
最後に
肖像画を描く意味というのは、対象をそっくりそのまま写すこと以上の役割がある。
肖像画は、それを描く画家の自己表現にもつながるのだ。
ただ顔を似せて描くだけならそれは似顔絵だろう。
表現者が創造行為として肖像画を描くときは、単に似せるのではない。
描いている人の魂を形にするのだ。
絵を描くという行為を小手先の器用な職人芸ではない。
絵を描くとは、芸術で表現するとは、もっと広大で力強いものである。
もっと人間の根源的生命感に溢れ、吹き出すようなパワーに満ちたものであるはず。
自らの内から解き放たれる爆発力を持っている。
岡本太郎氏が「芸術は爆発だ!」とおっしゃったが、まさにそれほどの破壊力を持つべきものである。
だから僕は何度でも言おう。
「芸術とは自己の魂を強烈に表現するものである」と!