株式会社デアゴスティーニ・ジャパン(DeAGOSTINI)という出版社が発行する分冊百科シリーズに、「週刊100人歴史は彼らによって作られた」があります。
「週刊100人歴史は彼らによって作られた」は人類史上の歴史を作ってきた、世界の有名な人物100人を分冊形式で発行した本です。
「週刊100人歴史は彼らによって作られた」には、ジョン・F・ケネディやアドルフ・ヒトラー、ビートルズやエルビス・プレスリー、ピカソやウォルト・ディズニー、手塚治虫や黒澤明、アインシュタインやレオナルド・ダ・ヴィンチなどが取り上げられています。
このたび筆者は、「週刊100人歴史は彼らによって作られた」の自分バージョンの表紙をクリップスタジオで作ってみました。
なぜ天才漫画アート芸術家の粕川は、「週刊100人歴史は彼らによって作られた」の自分版表紙を作成したのか?
それは伝説化の先取りのためです!
伝説化の先取りとは何か?
そこには粕川のある野望が隠れていました!
この記事で書くことは、普通の思考回路を持つ人にって理解しがたく感じられるかもしれません。
しかし、これが粕川の正体なのです!
この記事を読み解くポイントは「天才と狂気は紙一重である」という考え方にあります。
ここでは天才漫画アート芸術家粕川が、「週刊100人歴史は彼らによって作られた」の自分版表紙を作った理由や、揺るぎない自信を持つための考え方などを解説していきます♪
Contents
「週刊100人歴史は彼らによって作られた」との出会いは伝説のあの画家だった!
筆者は2003年、以下「週刊100人歴史は彼らによって作られた」を本屋でみかけたとき、思わずほしくなりました。
ぼくはこのブログで何度も書いているように、フィンセント・ファン・ゴッホが、心から好きなんですよ!
ファン・ゴッホとは1853年~1890年に活躍した、オランダの画家。
作品、人生、人間性など、ファン・ゴッホの存在そのものが、粕川に非常に大きな影響を与えました。
また「週刊100人歴史は彼らによって作られた」ゴッホ版表紙で使われた、ゴッホ自画像の表情が素晴らしいと思います!
「週刊100人歴史は彼らによって作られた」のゴッホ版は今でも手元にあり、読み返すことがあります。
大好きなゴッホが「週刊100人歴史は彼らによって作られた」に取り上げられていたので、思わず購入してしまったのです!
週刊100人には僕が心から崇拝する人物がたくさん登場していたので、このシリーズがとても好きになりました。
「週刊100人歴史は彼らによって作られた」には、粕川が敬愛するモーツァルトやグリム兄弟、ヒッチコックなども取り上げられています。
「週刊100人歴史は彼らによって作られた」は、その人物の人生遍歴や仕事、人間関係などが図入りで解説されているので、非常にわかりやすく面白い本です。
それで筆者は思いました。
自分も未来に作られる「週刊100人歴史は彼らによって作られた」に、取り上げられるような人物になろうと!
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では、なぜ粕川が「週刊100人歴史は彼らによって作られた」に登場するような人間になろうと思ったのか?
その理由を以下より書いていきます!
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18歳のときから自分は天才に間違いないと思っていた
漫画アート芸術家粕川は、18歳のとき「自分は天才にまちがいない」と思うようになりました。
そう思うようになった理由は「週刊100人歴史は彼らによって作られた」に載るような、天才たちの伝記を読んだことがきっかけでした。
18歳までの粕川は勉強をろくにせず、創作をしたり友達と遊ぶことに夢中になってました。
高校時代の最後はほとんど学校にいかず、卒業後は就職も進学もせず、家に引きこもるようになりました。
そのころから僕は図書館に通うになり、いろいろな本を読みだします。
ぼくはここで芸術や文学と出会いました。
歴史上の有名な画家や小説家、その他表現者たちの存在を知ったのは、図書館だったのです。
いろいろな表現者を知るなかで、とくに粕川の脳天をぶち抜いた存在がファン・ゴッホとジョン・レノンでした。
彼らの生きざま、作品、芸術に対する見方など、存在そのものが粕川にとって衝撃だったのです!
ぼくはファン・ゴッホの自伝を読みあさるうちに、こう感じました。
[speech_bubble type="std" subtype="L1" icon="0029" name="粕川"]自分と非常に似ている![/speech_bubble]
性格や芸術の捉え方、人生遍歴など、魂の深い部分でゴッホと共通するものを感じたのです。
ファン・ゴッホは幼いころから絵を描いており、様々な職を経た後、27歳で画家の道に入りました。
ゴッホが画家として活動した期間は約10年。
この間にゴッホは3000点近い絵を残し、37歳にしてピストル自殺をしました。
ファン・ゴッホは、好きになったことに熱狂的に打ち込みます。
そのためゴッホは以下のようなことをしました。
●親戚の女性を好きになりすぎて、告白してしまう
●牧師の父親と喧嘩して家を追い出される
●妊娠した娼婦を不憫に思い、お金もないのに同棲する
●よく人ともめ事をおこす
●美術学校の先生にはむかい、すぐに退学になる
●宗教に熱狂的にはまる
●牧師になるけど、貧しい人に自分の持ち物をあげるなど行き過ぎた行動により、牧師協会からクビにされる
●語学にめちゃめちゃ詳しい
●弟や知人友人に、手紙を書きまくる
●たくさんの本を読んでる(とくに小説)
●熱狂的に絵画制作にのめりこむ
●アルルに芸術家の共同体を作ろうとして、ゴーギャンを自分の家に呼んで共同生活をする
●ゴーギャンがアルルの家から去る事にショックを受けて、自分の耳を剃刀で切り取り、なじみの娼婦にわたす
上のように、物事に熱狂的になるところが筆者と似ているのです。
個性的すぎる性格は、ファン・ゴッホに限りません。
「週刊100人歴史は彼らによって作られた」に載るような「天才」たちの伝記を読むと、彼らが異端児の性質をもっていたことが分かります。
ぼくは、ドイツの医学者・精神科医のクレッチマーが書いた「天才の心理学」という本を読んだことがあります。
ミケランジェロやベートーベン、モーツァルトやバルザック、ナポレオンやゲーテなど、時代を象徴するレベルの人物には、狂気の特徴があったことが書かれているのです。
たとえば天才には統合失調症や、躁鬱病(そううつ病)、てんかんなどの精神的疾患を持つ人の割合が多いです。
夏目漱石や芥川龍之介、宮沢賢治やヘルダーリン、ジャン・ジャック・ルソーやドストエフスキー、ゴッホなどにも上のような兆候がみられました。
また天才には、ADHD(注意欠陥多動性障害)の兆候を持つ人もいます。
ADHDで有名な天才にはレオナルド・ダ・ヴィンチやアインシュタイン、エジソン、モーツァルトや坂本竜馬などがいます。
クレッチマーも天才に対する結論として「人類中の稀有にして、極端なる変種」と書いています。
歴史を変えるような革新的な人物は、やっぱり普通の人とは違うのです。
このような天才と狂気に関する本を読むなかで、僕は感じたのです。
「俺の兄弟たちだ!」と!
ぼくは精神疾患をもってるわけではありません。
しかし天才と狂気に関心を持っていた18歳ころの粕川は、うつ病に近い閉鎖的な精神状況にありました。
そのため天才と狂気の本に出てくる人物に、すさまじい共感を感じたのです!
以下の記事で紹介している本も、天才について重要なことが書かれていました。
特異なる天才たちの人生を知って、粕川は確信しました。
「粕川も21世紀を象徴する表現者だぞ、おれは世界を変えるだろう!」
18歳のとき粕川は、こう結論付けたのです。
子供のころから変わっていた粕川の特徴とは?
ぼくもやはり、子供のころから変わった人間だったのです。
例えば多くの人が夢中になるようなことに興味を示さず、自分の世界を作り、創作することに没頭していました。
物欲がなかったり、若いころ恋愛に興味がなかったり、世間の流行り廃りなどから離れた場所で生きていた点は、粕川の変わっている特徴です。
またぼくは映画やアニメなどを観る時、その世界観に完全に入りきります。
粕川にとって好きな映画やアニメを観るというのは、その世界を直に体験する神聖な行為なのです。
ぼくはドラクエなどのゲームをするときも、その世界観に自分が入って実際に冒険しているつもりでプレイしていました。
粕川は映画やアニメ、ゲームを楽しみながら、同時に自分が活躍する空想物語を作っていたということ。
粕川は自分の内にある創作世界を生み出すこと、この1点に意識が向いていたのです。
だから普通の人からみれば、粕川は風変りな人間に映ったでしょう。
だからぼくは天才と狂気で語られる人物たちに、強い共感を感じるのです。
そして、18歳のときに思いました。
自分は、彼らのような天才なのだと。
今現在においても、1㎜たりともこの考えは揺らぎません。
サルバドール・ダリの天才の日記を真似して始める
18歳のころ、20世紀スペインの画家サルバドール・ダリが天才の日記を書いていることを知りました。
ダリは「天才を演じよ。さすれば天才になる!」という言葉を残した人物です。
ダリは朝起きると「今日も天才画家ダリの一日が始まる」のような日記を、書いていたといいます。
ぼくはダリが天才の日記をつけていたことを知り、とても面白いと思いました!
それで18歳のときから、「天才粕川裕康の日記帳」を書き始めたのです。
毎日その日にしたことを日記に書く粕川版天才の日記帳は、今でも続けています。
天才粕川裕康の日記帳は、すでに25冊以上は書いています。
ぼくはほとんど毎日日記をつけるので、膨大な量になるのです。
天才の日記帳を書くことによって、自分の生活の記録を後世に残すことができます。
天才が何を考え、感じ、行動していたのか?
これは天才研究をする人にとっては、貴重な資料となります。
レオナルド・ダ・ヴィンチの手稿やゴッホ、モーツァルトの手紙などが天才研究で使われてるんですよ。
彼らは自分の考えや生活などを、書き記していたので。
だからぼくは自分の生活や考え、感じたことを、日記に残すことに決めたのです。
後世の人たちが、粕川の研究をしやすくするために。
さらに日記を書くことにより、当時の自分の心境が思いだされ、創作活動に使えるんですよ。
僕の創作というのは、自己の体験に空想を交えたもので作ることが多いので。
だから天才の日記帳は、非常に重要な創作資料にもなるのです!
現在は日記のなかに、絵を描いたり漫画のネームやアイデアを書き記したりもしています。
天才粕川裕康の日記帳は、日記を越えて創作のために必要な情報を記すアイテムになっているのです!
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自身の価値は誰よりも自分が一番信じろ!
普通の人は自分の評価を、他人に決めてもらおうとしますよね。
例えば絵の先生から「君は素質があるから将来画家になれるかもしれない」と言われたら、絵描き少年は喜ぶでしょう。
でも本当に絵を描くことが好きで、そこに人生をかける決意があれば、人の評価など待たずとも画家になることはできるのです。
先生に褒められたからつく自信なんて、かんたんに崩れますよ。
だって、自分の価値を他者の評価にゆだねてるんだから。
確かにその人は、その分野で知見のある人かもしれません。
しかしあなたの潜在能力がどれほどあるかを、他人が見極められるわけがないのです。
コントロールできない他人の評価に、自分の価値を任せるほど危険なことはないなって昔から思ってました。
だって、誰かに批判されたら落ち込むっていうことですよね。
これはコントロールできない他人の評価によって、一喜一憂するのを自分に許してるってこと。
落ち込みがきっかけで、より高いレベルに成長する努力が出来ることもあるでしょう。
でもいちいち他人の評価に落ち込んで、精神的に参るなんてバカらしいと思う。
そういう在り方をしている限り人生の喜びも幸福も、他人との比較の中でしか生まれなくなる。
人の意見は取り入れて柔軟に対応しながらも、核心の部分では揺るがないマインドを持っていた方が幸せに生きられると思います。
人生の幸福や自身の価値を決めるのは、自分なのです!
決めたとおりの自分になっていくのです!
人に評価されたから自信をもつのはいいですが、そこだけにとらわれてはいけない。
誰よりも自分自身が、自らの価値を信じてあげましょう!
人生をかけて本当にそれをやってきたいと考えるなら、「君は漫画の才能がないから、漫画を描いて生きていこうなんてやめた方がいい」という意見は、無視してよいということです。
人に依存した自信は、人によって簡単に崩れます。
だから根拠など必要ないから、とにかく自分の価値を確信していましょう!
この確信が、現実を作るのです。
自分が誰かを決めるのは自分!
あなたが誰かという事を世間や他人に決めさせてはいけない
あなたが誰かを決めるのは、あなた自身なのだ
人がある人をaと言ったとしても、その人はa以外の存在になれる
確信を持って、迷いなく自分を定義すればいい
だから僕は容赦なくこう言おう
自分は、伝説の #漫画アート芸術家 であると!
— 漫画アートを作るさすらいの表現者 (@artkasukawa) July 29, 2019
粕川には大前提として、「人は自らが信じたとおりの人間になる」という観念があります。
これは僕が人生を歩むなかで感じたことだし、アメリカの思想家エマーソンをはじめ、仏陀など歴史に残る人物が口をそろえて言っていること。
そのうえで粕川が感じてることがあります。
「自分が誰かを決めるのは自分!」
これは粕川が肝に銘じている、重要な信念です。
自分はどういう人なのか?これは自分自身で決めるということです。
例えばぼくは18歳のころに、自らを「人類史上最高クラスの天才クリエーター」だと決めました。
その時点で粕川には、天才と呼べるほどの実績も実力もないんですよ。
でも、そんなことは関係ないんです。
「自分は世界を変える伝説の表現者である」。
現実がどんな状況であれ、どうありたいかを決めるのは自分なのです。
「でも客観的に見て、事実ではないだろう」という意見が出てきますよね。
粕川にいわせてもらうと、「現実は幻想」なんですよ。
現代物理・量子力学の分野でも、現実はそれを認識する人によって変化するというような、「現実=幻想」の理論が実証され始めています。
「思考は現実化」するという理論が、科学の世界でも証明され始めているのです。
ぼくは幼いころから現実世界は、一時の幻想にすぎないと思ってました。
また「現実=幻想」という観念が、粕川の創作意欲に火をつけるのです。
だから客観的事実として僕の認識が間違っていても、問題ないのです。
粕川がそう確信した、だからそれが現実なのです。
人が何を言おうと世間がどうあろうと、自分が確信したのなら、そう在ればいいんですよ!
独りよがりだろうと単なる思い込みだろうと、問題ありません。
人間は確信したとおりの存在へむかって、必要な行動、知識、学びを得ていきます。
はじめはホラ話だったとしても、それを言い続け行動し続けるうちに、現実となっていく。
そう確信するからパワーが出るし、前に進めるし、創作意欲が盛り上がるし、人生を生きる気力がわいてくるんです。
自分が誰かを決めるのは、自分です。
それに対して確信があり、そう在りたいと心底思えるなら、客観的事実さえ無視してかまわないのです。
この確信が、現実を作るんですよ!
粕川にこのような観念を抱かせるきっかけになったものに、潜在意識の世界でいわれる「なる」という意識状態があります。
粕川のような人間はまともな人から見たら、キチガイに見えるかもしれません。
でも、ぼくは上に書いたはずです。
「天才と狂気は紙一重である」と。
天才はキチガイと正常のギリギリの狭間で、創作を行うんですよ!
だから外野がなにを言おうと、いっこうにかまわないのです!
粕川にはこのような考え方があるから、「週刊100人歴史は彼らによって作られた」の自分版表紙を作ったのです。
「週刊100人歴史は彼らによって作られた」の自分版表紙を作るというのは、伝説となる粕川を先どりする行為なのです。
1000年後の人たちが「週刊100人歴史は彼らによって作られた」のようなコンテンツを作ったときに、真っ先に取り上げられる人物が粕川裕康になると。
この現実を、1000年前の自分があらかじめ先どっておこうと思いました。
だから、クリップスタジオを使い「週刊100人歴史は彼らによって作られた」自分版表紙を制作したのです。
ぼくは人生をかけた、面白い実験をしているんですよ。
「人間は自分が信じたとおりの存在になる」という実験を。
「週刊100人歴史は彼らによって作られた」自分版表紙を作るような粕川が、最終的にどうなるのか?
それは僕の人生が証明するでしょう。
果たして粕川とは、誰なのか?
この面白い実験を、僕の人生を通して皆様にお届けしていきたいと思います!
以下の記事でも筆者の野望について書いていますので、興味のある方はどうぞ♪