この絵は僕が悲しみの気持ちを絵で描いたもの。
人の感情は絵にすることができる。
あなたがもし悲しみの気持ちになったらどうするだろうか?
僕なら悲しみの気持ちを絵に描く。
気持ちは絵になる。
絵というのはあらゆる感情から生まれる。
上にある油絵は、僕が悲しみの気持ちになったときに描いたものだ。
気持ちを絵にする習慣を持つ者は無限に創作が出来る。
なぜなら人間は感情の動物で、何かを感じないではいられないから。
何を描いたらいいか分からないという思いを持ったら、この言葉を思い出してほしい。
自分の感情を表現する」
今回は僕が悲しみという気持ちを絵にした方法について書いていこう!
何か深い感情を抱いたらチャンス!
僕は2016年12月初頭、とあることがキッカケでショックというか悲しみの気持ちに陥った。
気持ちの変化というのは突然やってくるのでどうしょうもなかったりする。
僕はそんな時あることをする。
「その感情に浸りながら絵を描く」のだ。
これは有効なので、あなたも機会があったらやってみて欲しい。
例えば悲しみの感情に襲われたとして、何もしなかったら深く考え込んで落ち込んでしまうだけだろう。
でも絵を描きながら考えることによって、悲しみを絵に変換することが出来る。
しかも絵を描くのに手を使っているので、気も紛れる。
悩みや悲しみが走ったら、散歩して考えたり、人に相談したりもいいが、絵を描いて考えるのも良い解決策になる。
悩みつつ絵も描けて、描きながら悲しみの解決策も考える。
解決策が見つかったころには一枚の絵が出来ているだろう。
悲しみの他でも何か深い感情に襲われたら、絵を描きながら解決策を考えてみよう。
創作と一緒に気も紛れるのだ。
悲しみという感情をどう絵にしたか?
悲しみ、ショックの感情が襲ってきたとき、僕はこの気持ちを連作で表現しようと思った。
僕が描く油絵の連作には「大地より生えたる者」という生命体がいつも登場する。
上に描いたドローイングの生物が大地より生えたる者(以下 生えたる者)だ。
生えたる者は僕のアートのアイコン的存在である。
僕は自分の気持ちを表すために、生えたる者を悲しみの極みに置いた。
今回描いた悲しみの絵の感情は、そのときの僕の気持ちを完璧に表せている。
悲しみ、ショックを表現するためにこの絵の構図をとった。
生えたる者が打ちひしがれて、倒れる瞬間だ。
悲しみを表現しようとすると、「難しい」と感じる人もいるかもしれない。
しかし、絵の表現をおこなうとき複雑に考えるとだいたいうまくいかない。
難しく考えてはいけない。
シンプルにあなたが悲しみを描くならどうするだろうか?
その時パッと思いついた映像を描くと良い。
これじゃいけない、もっと良いのが出るとか思っている内にも絵は描きだせるのだ。
絵の内容に複数候補があるのなら、その全てを描いてしまおう。
もしくは全てスケッチブックにラフを取り、その中でいいのを使う。
絵はとにかく出てくるものは皆描くつもりでいるのがいい。
傑作というのは100枚描くうちにやっと1枚出てくるものだと、僕は思っている。
100枚描いたとしたら最低1枚は素晴らしいのが生まれるに違いない。
傑作の絵を狙って描くというより、出てくるものをみんな出すなかで宝石が見つかる感じだ。
実際ピカソやゴッホがどれだけの絵を描いているか知ってるだろうか?
ピカソは絵画や素描だけで1万3500点以上の作品を残しており、ゴッホはたった10年の内で3000点近くの絵を描いている。
誰もが知るピカソやゴッホの名作はその一部。
それほど知られていない作品の積み重ねがあって、初めて傑作が生まれる。
そういう意味で言うとピカソやゴッホの名作打率はそれほど高くないのだ。
100枚描くうちの1枚傑作が出ればOKという気持ちで、とにかく出てくるアイデア全てを形にしていく姿勢は表現者にとって大切だと思う。
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悲しみを描いた絵~色彩は感情を表わす
この絵を描くとき、色には気を付けた。
悲しみを表現したいので、明るいピンクや黄色が合わないというのは分かるだろう。
ファン・ゴッホも「色彩はそれ自体で何かを表現する」と言っているように
色はそれだけで人の心情を表わせる。
これを描いたとき、闇がとても心地よかった。
悲しみの気分のときにはうるさい色の配色は合わない。
だから生えたる者も色調を暗めに抑えた。
そして目の表情で語るよう努めた。
生えたる者は悲しみに打ちひしがれ、希望にすがるように前を見る。
これは悲しみに浸っていたときの僕の気持である。
絵を描くとき、僕は単純化することを考える。
複雑な要素を残しておきたくないのだ。
ムダな贅肉を全てそぎ落としていくように絵を描く。
この絵も「悲しみ」、ただそれだけ。
そこにはきどったカッコよさやクールさなんて存在しない。
大地から生えてきた、何の装飾も持たない、本質だけで構成された生物、それが大地より生えたる者である。
この生命体に悲しみの感情を託して絵を描いた。
この絵を描き終わったころには、悲しみの感情は昇華されていた。
そして一枚の絵が残ったのである。
悲しみの気持ちを描いた絵の最後に
ここまで悲しみの気持ちを感じたときに絵を描いたことについて書いてきた。
人の感情は絵になるのだ。
とくに悲しみという感情は強烈であるがゆえに、絵にしやすいといえる。
自分の感情が絵になると分かれば、絵を描くときに何を描いていいか迷わなくなるだろう。
感じた感情でパッと思いついたものを描けばいいのだから。
アートを作る時、難しく考えてはいけない。
自分という原点に立ち返り、何が一番自然なのかを考える。
それをあるがままに描く。
絵を描くというのは気分的な療法にもなる。
ゴッホは精神病院に入っていたとき、いつ来るか分からない発作に恐れをなしながらも絵を描くことによって精神の均衡を保っていた。
何か深い感情に襲われたら、ただ悩むだけでなく今後は絵を描きながら解決策を考えよう。
そうすると解決策が浮かんだ頃には一枚の絵が出来ている。
あなたの真摯な感情から生まれた一枚の絵が!
そして悲しみの気持ちを感じたとき、それを絵にするのだ!