どうも、漫画アート芸術家の粕川です(@artkasukawa)。
本日はファン・ゴッホの魅力について書いていきたいと思います。
フィンセント・ファン・ゴッホと言えば世界的に有名なポスト印象派を代表するオランダ出身の画家。
ひまわりや星月夜など、誰もが一度は見た事がある傑作を残しました。
しかし中には
●ゴッホって有名だけど、何がそんなにすごいの?
●あのくらいの絵なら自分でも描けそう
と思う方も多いはず。
そんな方たちの為にファン・ゴッホとの出会いで人生が一変した粕川がゴッホの魅力について徹底的に解説していきます。
いや、本人と会ったわけじゃないですよ!
僕の人生に最大の影響を与えた表現者をただ一人挙げよと言われたら、まぎれもなくファン・ゴッホと答えます。
僕はフィンセント・ファン・ゴッホとの出会いを通して人生が一変しました。
ゴッホの存在が僕に芸術という道を示し、新たなる人生へ導いたのです。
それは18歳の時でした。
だからゴッホは僕が歴史上最も感謝している人物です。
ゴッホって有名だけど何が魅力なの?ゴッホの絵画の特徴って?などゴッホを知らない方に向けて、彼の何が素晴らしいのかについて書いていきますので、どうぞ最後までお付き合いください。
ゴッホの素晴らしさを語る時、その前提となるゴッホの人生について触れておく必要があるので、まずはゴッホの生い立ちから書いていきます。
Contents
フィンセント・ファン・ゴッホとは
フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(1853年3月30日~1890年7月29日)はオランダ南部の村、ズンデルトに牧師の子供として生まれました。
ちなみにオランダではvan(ファン)はミドルネームではなく姓に入る為、省略せずに「ファン・ゴッホ」と呼ぶのが正解です。
日本ではVan Goghをファン・ゴッホと発音しますが実際の発音は「ファン・ゴーグ」となります。
ファン・ゴーグ!
実はゴッホが生まれる調度一年前の1852年3月30日にゴッホの兄となる子供が生まれましたが、まもなく亡くなりました。
それも亡くなった兄は名前がフィンセント・ファン・ゴッホでゴッホと同じ名前でした。
そのまる1年後の1853年に画家となるゴッホが生まれます。
このゴッホの13歳のころの写真をピカソが見た時、こう言ったと伝えられています。
「鋭い。人の心を見抜くような眼差しは若い頃のランボー(フランスの有名な詩人)にそっくりだ」~ピカソ
僕もファン・ゴッホのとても好きな写真です。
ゴッホと弟のテオ
ゴッホ家は、全部で6人の子供に恵まれました。
ゴッホと言えば欠かせない人物に弟のテオがいます。
ファン・ゴッホは画家として自立してから亡くなるまでの約10年の間、経済面の全てを画商として働いていた弟テオの仕送りに頼っていました。
ファン・ゴッホは弟の援助があったからこそ絵画の制作を続ける事が出来たのです。
ファン・ゴッホを語る時に弟のテオは欠かせません。
ゴッホ自身テオの事を絵画の共同制作者という目で見ていました。
そのテオはゴッホ家3番目の子供として1857年5月1日に生まれました。
ゴッホと4歳年下のテオは幼い頃からいつも二人一緒に野原で草花や虫を集めたりして遊んでいる仲良しでした。
ゴッホと死を象徴する2つのもの
ゴッホは自分の生まれる1年前に兄が誕生し、すぐに亡くなったという事に対して複雑な思いを抱いていたようです。
幼い頃から自分と同じ名前が刻まれた墓を目にしていたからです。
これがゴッホの人生を彩る一つ目の死の象徴となります。
ゴッホ家には父の書斎にオランダ人銅版画家ファン・デル・マーテンの作品「麦畑の葬列」という作品が飾られていました。
絵の内容は「麦畑の中を進む葬列を、死神のような麦刈り人が見つめている」というもの。
ゴッホは後年になっても、この絵のことを忘れませんでした。
しかもゴッホは自分の絵画の中に何度も麦を刈る人を「人間の死を象徴する人物」として取り上げています。
僕は数あるファン・ゴッホの作品の中でもサンレミの精神病院に入っている時に描かれた全面黄金色の麦畑に一人麦刈る人のいる作品が心底好きです!
黄金色麦畑は生命力と感じられ、麦刈る人の死の象徴と対比されている。
素晴らしい傑作です!
●父の書斎にかかっていた死を象徴する意味の絵
幼い頃からこの二つの事に影響を受けたゴッホは、早い内から死を意識するようになり、性格に暗い影を落とすようになったと言われています。
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ゴッホの人生~子供時代
ゴッホは幼い頃から読書や絵を描く事が好きで、自然を散策するような子供でした。
僕はゴッホのこんな一面にとても親近感を持ちます。
近所の人達はゴッホを静かなおとなしい子だと思っていたようです。
しかしゴッホには癇癪持ちの一面がありました。
それはゴッホが人一倍感受性が高かったという事が挙げられます。
普通の人なら流すような事をゴッホは重く捉える性質がある為、感情の起伏の激しさに繋がっていました。
しかし一方では感受性の鋭さは画家としての能力にプラスに働き、何でもない景色や色彩に対して独自の解釈を加えオリジナルな絵画を生み出す力になりました。
性質の異端さは長短を持っており、一方では短所と見えますが別の側面から見ると、誰にも真似できない武器となるということ。
僕はよく天才と狂気の話を持ち出しますが、天才と呼ばれる人達の多くに一般とは異なる異端的性質が存在します。
表現の異端さゆえに生前は評価されなかったゴッホやヘルダーリンのような芸術家がいます。
しかし彼らに不滅の仕事を成し遂げさせたのは一般とは違う特異な感覚、性質による所が大きいのです。
同じポスト印象派の一人で20世紀美術に決定的な影響を与えたポール・セザンヌもやはり風変わりな人でした。
セザンヌは当時の画家の登竜門であるサロンに何度も絵画を出品するのですが、ことごとく落とされました。
やがてセザンヌは流行の町パリを離れ、故郷で一人絵画の制作に取り組むのです。
ピカソにしろセザンヌにしろビートルズにしろ手塚治虫にしろ、時代を変えるような表現はある強烈な個性を持った個人(もしくはその集まり)から生まれることが多い。
時代を変えるような表現者は、それだけのパワーや個性を持っています。
この異端な個性こそが時代を揺るがす仕事を可能にするのです。
そういう視点から考えると、ファン・ゴッホの異端さは芸術家としての偉大さに繋がるのです。
ゴッホの何が異端なの?
ゴッホは変わった男でした。
思い込みが激しいというか、思い立ったら一直線というか、心が純粋なのです。
僕はゴッホのこの要素にとても大きな共感を抱きます。
なぜなら僕も彼と同じような性質を持っているから。
ここからゴッホの特異な人生を書いていきます。
優秀だけど学校を中退する
ゴッホは11歳になると親のツテで寄宿学校に入ります。
ゴッホはオランダ語の他に英語やフランス語も得意で語学に秀でていました。
13歳になるとティルブルフという地方都市にある国立中学校に入学します。
ここでもゴッホは成績がトップクラスだったにも関わらず、2年目の途中で突然家に戻り、二度と学校には戻りませんでした。
経済的な理由、もしくは精神的な変調の為に家に帰されたと言われていますが、正確な所は不明です。
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親類のツテで画商になる
学校を中退した1年後、16歳になったゴッホは親類のツテでオランダの大都市ハーグにてグーピル商会という画廊で働きだすようになります。
ゴッホの伯父であるフィンセント・ウィレム・ゴッホは画商として大成功を収めており、そのツテでゴッホは画商として就職する事が出来たのです。
この当時のゴッホは後年の彼からは想像できないほど人当たりが良く、お客さんのご機嫌を取って絵画を売る仕事を短期間の内にマスターしていきました。
ちなみに弟のテオは15歳のとき、兄と同じ店で画商として就職します。
この画商の経験を通じてゴッホは美術に興味を持つようになり、美術館を周ったり、給料で版画を集めるようになります。
画廊でまじめに働くゴッホは会社から高い評価を受けてロンドン支店へ栄転する事になります。
この調子で行けば伯父はゴッホにトップの位置を譲ろうと考えていたようです。
しかしここでゴッホに問題が起こります。
それが人生初の恋愛であり、失恋でした!
ゴッホの失恋
ゴッホはグーピル商会のロンドン支店に転勤するとまもなく恋に落ちました。
相手はゴッホの下宿先の娘ウージェニー・ロワイエでした。
異性経験の全くないウブなゴッホは夕食の時に彼女を見つめているだけでも楽しくて仕方ない。
ゴッホは恋をすれば自然に相手も自分の事を好きになってくれるものと思っていたようです(何というピュアさ!)。
なのでゴッホは相手の気持ちを確かめもせずに、突然ウージェニーに結婚の申し込みをします!
それで、どうなったのか?
ゴッホは見事に失恋したのです。
ウージェニーはすでに以前下宿にいた男性と婚約していました。
ゴッホは自分の愛の強さを何度も説得してもウージェニーは振り向いてくれません。
きっぱりとした拒絶だけが帰ってきます。
これにはさしものゴッホも落胆し、食欲は亡くなり、痩せこけていきました。
さらに性格も一変して無口になり、笑顔が消えました。
傷心のゴッホはやがて画商の仕事にもやる気をなくし、段々聖書にのめり込んで行くようになります。
伯父は意気消沈するゴッホを心配してグーピル商店パリ支店に転勤させます。
しかし時すでに遅くゴッホはまもなくクリスマスの一番忙しい時期に画商の仕事を無断欠勤して帰郷します。
態度を改めようとしないゴッホに対して、ついに伯父は解雇を通達しました。
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ゴッホと宗教は切っても切れない関係
画商を解雇されたゴッホはよりいっそう宗教にのめり込んで行きます。
失恋の痛手がひきずり、明かるかった性格にも影が差し、その心は聖書を読み理解する事に引き付けられていくのです。
やはり父が牧師をしていた影響が大きく、ゴッホは父のように神の教えを人々に教える人になりたいという欲求があったようです。
ゴッホが絵画を始めた理由の一つに、自分が牧師として貧しい人々に神の教えを伝えられなかった為に、絵によってそれを行おうと考えたという事が挙げられます。
ゴッホは自分の絵画の中に宗教を匂わせるモチーフを描き込むことにより、人々に絵画を通して神の教えのようなものを伝えてたいと考えていました。
ゴッホは農民画であるミレーに傾倒していましたが、やはりミレーも絵画の中に敬虔な人々の信仰を表現しています。
ゴッホが頻繁に風景画の中に教会を描き込んだり、聖書やキリストの教えをイメージさせるような絵画を描いたのは、彼の父が牧師であり宗教と切っても切れない関係にあったからです。
ゴッホにとって宗教の教えというのは絵画を通して伝えるものでした。
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ゴッホの手紙
ゴッホはグーピル商会の画商時代に弟二人で誓ったことがあります。
「どんな事があっても助け合おう」と。
同じ職場に就職した二人は縁を感じお互いを助け合おうと文通が始まります。
ここからゴッホの手紙が始まるのです。
やがてゴッホは画商をやめて各地を様々な職をしながら転々とすることになりますが、弟との手紙のやり取りは生涯続きました。
ゴッホの手紙を読むと彼が文章を通して自らを語る事がとても上手い事が分かります。
ゴッホの手紙は単なる手紙ではなく、一人の芸術家の告白文学といっても良いほどの厚い内容を持っています。
その原因は、ゴッホが大変な読書家だったことに由来します。
ゴッホは当時の有名な小説を読んではその感想を手紙に書いて送りました。
例えばゴッホはモーパッサン、ディケンズ、ゾラ、バルザック、ゴンクール兄弟、ドストエフスキー、ミシュレなどを読んでいました。
自然主義文学が好きだったようです。
僕は18歳頃ゴッホの伝記を読んでいて彼の読者家な所に感銘を受けたので、自分もたくさん文学を読むようになりました。
例えばゴッホがディケンズの「二都物語」を読んだと見れば、僕も「二都物語」を読みだす感じです。
これをすることでゴッホの思考を探り、どのように世界を認知していたかを伺うことが目的でした。
ゴッホの書いた膨大な量の手紙は、彼を語る時に絶対に外せません。
ゴッホは自らの心境を赤裸々に手紙に書きます。
この正直な芸術家の内的告白が、胸を打つのです!
もう圧倒的に胸を打つ!!!
僕は作品とは作家の人生そのものだと考えています。
なぜそう考えるようになったかの答えがゴッホの手紙にあります。
ゴッホの絵画はそれ自体で素晴らしい。
しかしゴッホの手紙を読む事で、一人の孤独な芸術家の心の叫びが聞こえてきます。
そこには金がなくて弟に生活費を頼っている情けなさ、人と関わりたいのにことごとく人間関係でつまずく異端な性質、絵画を制作する時の例えようのない喜び、人の小説や絵画を観たことの感動などが書かれています。
これら生身の人間ファン・ゴッホを知った時、彼の絵画の見え方は変わります。
作家の人生を知ることで、作品は別の力を帯びるのです。
ゴッホは死んだ後になって世界的な評価を受けるようになりました。
ゴッホが生きている間、絵画は一枚しか売れなかったと言われています。
ゴッホの評価には絵画の魅力の他に異端な人間性、そして人生が間違いなく関わっています。
ゴッホが生きた人生全体が伝説となり、絵画の評価に力を貸しているという事です。
ゴッホを象徴するようなエピソードは以下に現れています。
●様々な仕事を転々としながらどれも失敗し、最終的に27歳の時大好きだった絵の道に専念した事
●自分のいとこの女性に恋をして、フラれた事
●子持ちの娼婦のシーンという女性に憐れみを感じ、弟に経済を助けてもらっているにも関わらず同棲を始めてしまう事
●絵の道に入る前ボリナージュの炭鉱で説教師をしていたが、仕事に夢中になりすぎて自らの衣服や食べ物を貧しい人たちに与えてクビにされた事
●神学校で難しいラテン語などの勉強が必要になり、必死で勉強するのですが中々結果が出なかったゴッホ。
落胆したゴッホは自らを棒で激しく打って罰しました。あるいはコートも着ないで大嵐の中に出ていき苦行をするような所がありました。
お腹がすいても黒ライ麦のパンしか食べなかったり、机の上などの堅い所にあえて寝て自分を罰するような性質をゴッホは持っていました。
ゴッホは我慢強く、忍耐強い性質があり、これが炎天下の中でも延々と外で絵を描けたエネルギーの由来だと思います。
●ゴーギャンとの関係がこじれて発狂し、自らの耳をナイフで切り落とし、なじみの娼婦にプレゼントしてあげた事
●サンレミの精神病院で収容され、襲ってくる発作の恐怖を絵を描く事によって収めていたいた事
●37歳の時オーヴェール・シュル・オワーズの麦畑にいたとき、拳銃で自分の胸を打ち抜き、まもなく亡くなったこと
これらファン・ゴッホを彩る伝説の数々は、彼の絵画と同じように芸術家の足跡となります。
そして芸術家の足跡は作品と同じように重要な意味を持ちます。
なぜなら芸術家の人生は、その作家の作品を見る時に先入観として作用し、作品の見え方を変えるからです。
ゴッホの手紙などで彼の思考や人生、印象的なエピソードを知った上でゴッホの絵画を見るとします。
そうするとどうしても絵の裏にあるストーリーや、人間性、衝撃的な事件が思い出されてしまう。
ゴッホという人間の人生ストーリーが作品の見え方に影響を与え、親近感を抱かせるという効果を持つのです。
そしてこれは立派な作品力であるということです!
作品をどう認知させるかというのは、作家の人間性を含めた人生全体で勝負するものなのです。
ここが芸術の面白さです。
これはゴッホだけではない。
ゴーギャンもピカソもモディリアーニもオスカー・ワイルドも、作品にまつわる人生含めて芸術です。
芸術家の名前を聞いた時その人を象徴するような印象的エピソードがあるなら、それは人生というキャンバスで作家が表現した作品です。
この点でファン・ゴッホは絵画以外の作品力が非常に強い作家といえるでしょう。
繰り返しますがファン・ゴッホの絵画は彼の人生が一切ない状態で見ても、圧倒的に素晴らしく、胸に迫る傑作です!
ゴッホは自らの感動を絵で表現した
ゴッホの絵画は、感動の本質を捉えています。
なぜならゴッホは絵画を通して、自分自身を表現したからです。
色彩や、無骨な線や、様々なモチーフに自らを託して「感動」を表現したのがゴッホです。
ゴッホは感受性が鋭いという事を話しましたが、彼は風景や貧しい人の姿や人の顔などに凄まじい感動を受けました。
ゴッホは感動しやすい性格をしていました。
例えば人の絵画を見ればその色彩や線に感銘し、手紙でその感動を描くような人でした。
ゴッホは、自然などをみたときに激しい感動を感じています。
その気持ちを、ゴッホは絵画で表していたのだと思います。
ゴッホはアルルの麦畑の黄金色に輝く黄色に凄まじい感動を受けました。
僕は彼の感じた感動が分かる。
彼の手紙や彼の絵画を見る時、ゴッホがどんな感動に包まれて絵を描いていたかが、直感的に分かる。
僕はファン・ゴッホを自分の兄弟だと感じています。
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不器用な画家ゴッホ
ゴッホは器用な画家ではありませんでした。
ラファエロやダ・ヴィンチのようには対象をそっくりに映すような器用な描き方は出来なかったという事。
しかしゴッホは、絵画の別の見方を示してくれます。
それは「絵画を通して自分自身を表現する」ということ。
僕はゴッホのここに一番感動するのです!
ゴッホは牧師の家に生まれたことから、禁欲的な習慣が根付くようになりました。
もともとおとなしかった事や、牧師の親の前では自分自身を大っぴらに表現する事がしずらかったのかもしれない。
でもゴッホの内には燃え盛るような情熱がありました。
その情熱をどう表現したらいいか分からないゴッホ。
だから以下のような印象的なエピソードを生み出してしまいます。
●説教師をすれば狂信的な事をして追い出される
キリストの教えを貧しい人達に伝える説教師が裕福な生活をしてはいけないと考えたゴッホは、自分の食べ物や着る物を残らず他人に与え、ベッドがあるのにわざわざ堅い床に寝るゴッホ。
貧しい人と同じ生活を送る事で、説教師は真に神の教えを説く事が出来ると考えていたようです。
しかしゴッホのこの考えは説教師協会に理解されず、狂人的行為だと非難されました。
●いとこに恋をして、いとこの家まで行き求婚を迫ろうとしたゴッホ。
いとこの女性に合わせてくれない親と一悶着あり、ゴッホはいとこの女性と合わせてくれるまでここから帰らない!と言ってランプの炎の中に手を入れています。
思い立ったら一直線という素直さが魅力です。
ゴッホは心が純粋なんですよ。
僕はゴッホの上のようなピュアな行為に、恐るべき共感を感じます!
やることなすこと失敗したゴッホは、27歳にして絵の道に入る。
ゴッホは絵でならば、自分の内なる情熱を表現する事が出来ました。
幼い頃からフツフツと燃えていた内なる炎がついに放出の場を見つけたのです。
それが絵画だった。
ゴッホは不器用な画家だったから上手い絵で勝負するのではなく、自らの内なる情熱を表現する為に「色彩」という武器を使ったのです。
日本の浮世絵の影響を受けて、絵はどんどん単純化していき、最終的には強烈な色彩、特徴的な短い線のタッチで彼独自の絵画様式を打ち出しました。
僕は真に偉大な作品は皆シンプルであるという考えを持っています。
レオナルド・ダ・ヴィンチのシンプルでいて深遠なモナリザ、モーツァルトやビートルズの音楽、ピカソの絵、ミケランジェロの彫刻、手塚治虫の漫画、ソクラテスの哲学、そしてファン・ゴッホの絵画…
そこには複雑でまどろっこしい要素はありません。
宇宙の法則がシンプルなように永遠な生命を持つ作品もシンプルさを帯びているのです。
ファン・ゴッホの色彩
ファン・ゴッホは色彩に自らの情熱を託しました。
鮮やかな絵の具を混色をせずにそのまま画面に塗り付けるのです。
ゴッホが頻繁に使った色にクロームイエローという黄色の絵の具があります。
このクロームイエローは毒性が非常に強い為に現在では製造中止になっていますが、鮮やかな発色の黄色でひまわりを描くときなどに使われていました。
ちなみに現在ではクロームイエローヒューという当時のクロームイエローに似せた絵具が発売されており、僕はクサカベ社のクロームイエローヒューを好んで使っています。
練り具合や使い具合が良くて重宝する黄色です。
ゴッホはアルルで巨大な真黄色な太陽を描く時、クロームイエローにジンクホワイトという弱めの白を混ぜて淡く明度の高い黄色で太陽を表現しました。
あの太陽はファン・ゴッホの芸術に対する情熱も表しており、とても胸を打ちます。
ゴッホは当時流行っていた色彩理論の本も読んでおり、補色の対比をよく絵画の中で行っていました。
補色とはお互いの色がお互いの魅力を一番引き立たせてくれる組み合わせの事を言います。
赤と緑、青とオレンジ、紫と黄色が補色の対比となります。
ゴッホの黄金時代の作品を見てみると結構補色の対比が使われています。
「沈む太陽と種まく人」では黄色と紫が、「夜のカフェテラス」では青と黄色(オレンジかかった)「オールナイトカフェ」では赤と緑が強烈に対比されています。
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なぜゴッホは強烈な色の組み合わせを好んだのか?
なぜゴッホが強烈な色の対比を好んだかと言うと、絵画や色彩はゴッホの魂の表明だからです。
ゴッホは子供の様に純粋に風景に、麦畑に、種まく人に、糸杉に、貧しい人々…に感動したのです。
その感動を最も分かりやすい、シンプルな色彩という形で表現しました。
そして線や形態は自身が感じたものを表わすために自由自在に変形して描きました。
ゴッホが描く太陽は、実際の太陽ではなく彼の心に存在する情熱そのものです。
だから真黄色な絵具で巨大な太陽を塗りこめるのです。
もちろん絵画の約束事であるモチーフに込められた意味を表わしていることもあります。
例えば天使を描いて純真さを表わすというような。
ゴッホはモチーフに対して意味を込める人だから、単純に自己表現だけではありません。
しかしかなり大きな割合で自らの魂の表明を絵画の中で行っているようです。
ファン・ゴッホは事物の最も深い真実を描き出すために、それまでの絵画の伝統的法則を無視しました。
ゴッホは線や色彩を自由に扱い、絵画において自らを表現する事を始めた最初期の画家です。
ここがゴッホの革新的な所!
ゴッホは美術史の中では後期印象派(ポスト印象派)に属します。
ポスト印象派とはモネなどが光や大気の移り変わりをキャンバスにとどめた印象派に対して、それを乗り越えようとする新しい絵画運動の始まりでした。
ポスト印象派を代表するのがセザンヌやゴーギャンやゴッホ。
それぞれが印象派の様式を越えて独自な解釈の元に絵画を生み出し、その後の美術史に大きな影響を与えています。
●セザンヌは対象を幾何学形態として扱い、永遠性を備えた独自の絵画様式を発明しました。
●ゴーギャンは対象を平面的として扱い、自らの観念を表現する象徴主義という絵画様式を生み出しました。
●ファン・ゴッホは色彩や形態に自らの魂を託して、強烈な自己を投影させる絵画を生み出しました。
僕は「芸術とは自己の魂の表現」とよく書いています。
この概念がどこから来たかというと、ファン・ゴッホなのです!
僕はファン・ゴッホの人生や生き様から芸術を学び吸収していきました。
なぜならファン・ゴッホが絵画を通して自らを強烈に表明する姿に圧倒的な感動を…感動を…感動を…受けたからです。
彼の魂は僕の中に宿ってフツフツと燃えています。
そして僕につぶやくのです。
「燃え盛るように絵画を、漫画を創造せよ」と。
僕に創作に対する無限のパワーがあるのはこれが原因なのだ!
僕は人生を賭けて漫画アートを生み出してゆく。
筆者のことを考える時、後ろには明確にファン・ゴッホの存在があることを記しておきます。
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ゴッホとゴーギャンの関係
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ゴッホの特徴的な要素に「実際に目にしたものを描く」という事が挙げられます。
ゴッホと対照的なのがゴーギャン。
ゴーギャンは空想や、観念的なものを絵で描きました。
ゴッホは目の前にあるモノを描く。
ゴーギャンは観念を描く。
二人は好みの画も対照的でした。
ゴッホがレンブラントやミレー、ドラクロワを讃嘆すればゴーギャンはドガやラファエロを讃える。
絵画の好みが真反対なのです。
1888年10月頃ゴッホは当時住んでいた黄色い家にゴーギャンを招いて共同生活を行います。
ゴッホはアルルの黄色い家に芸術家の共同体を作ろうと考え、その第一人者としてゴーギャンを呼んだのです。
お互い美術史に永遠の名前を刻むほど個性の強い芸術家。
初めの内は一緒に絵画を制作しているのですが個性の強い二人はまもなくアルルの黄色い家で芸術の事で議論をするようになります。
ゴッホとゴーギャンは対立しやがてゴーギャンは黄色い家から去る事をゴッホに伝えます。
当時のゴッホは孤独な生活に疲れ切り、ゴーギャンの存在がとてもありがたかった。
そんな時に共同生活をやめると言われたものだからゴッホの行動におかしなところが現れだします。
例えば
●夜中ゴーギャンが寝ている部屋にゴッホが入ってきて、ずっと眺めていたり
●酒場で二人で酒を飲んでいると、突然激高したゴッホがゴーギャンにグラスを投げつけたり
ファン・ゴッホの精神に奇妙な様相が現れだしたのです。
ついに破局の時が訪れます。
夜ゴーギャンがユゴー広場という道を散歩していると、せかせかした足音が後ろからついてきます。
それはゴッホでした。
ゴッホの手にはカミソリが握られていました。
ゴッホはゴーギャンが一人黄色い家を出て行ったのかと思い、動揺して後をつけてきたのです。
そしてゴーギャンに襲いかかったと言われています。
ゴーギャンの鋭い目でにらまれたゴッホはすごすごと家に戻り…自らの耳をカミソリで切り落としました。
その耳をゴッホは馴染みの娼婦の元へ持っていき、プレゼントしたのです。
この事件を聞いたゴーギャンは次の日、一人黄色い家を立ち去りました。
ゴッホの事件は新聞に載ったと言われています。
ここで注意すべきはゴッホとゴーギャンが仲が悪かったのではないという事。
ゴッホとゴーギャンは同志というかお互いを尊敬しあえる友人のような間柄でした。
それは耳切事件後も同じで、二人は手紙でやり取りを続けています。
ゴッホとゴーギャンは個性が強かった。
だから一緒に生活をするには難があった、という事なのです。
ゴッホとゴーギャンは人生の境遇が微妙に似ていたり、絵画自体もどことなく空気感が似ていたりと共通点の多い所があります。
例えばゴッホとゴーギャンは才能が開花した原因に特定の土地が関係していたという共通点があります。
●ゴッホは南フランスアルルにて唯一無二のゴッホ様式を生み出しました。
●ゴーギャンは南海の楽園タヒチにて、不滅のゴーギャン様式を打ち立てています。
アルルとタヒチという土地が、才能の開花に関係していたということ。
ゴッホとゴーギャンは、不思議な共通点があるのです。
筆者が思うゴーギャンの良さについて書いた記事は、以下のリンクに載っています。
筆者はゴッホとゴーギャン展へいき、2人の絵画を生で見てきました。
ゴッホとゴーギャン展を見た感想については、以下の記事で書いています♪
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描く対象は全て自分自身である
僕はファン・ゴッホの様に目の前にあるモノも描くし、ゴーギャンの様に観念の世界を描く事もあります。
しかし絵画においてはゴッホのような目の前にあるモノを描くという描き方が好きです。
なぜなら絵画で表現したいものはリアルなこの世界に生きる自分だから。
僕は空想の世界を描くという事はすでに漫画を描く事で行っています。
せめて絵画の世界では現実世界そのものを描きたい。
ファン・ゴッホもそうですが結局何を描こうとも、そこにあるのは作家自身なのです。
ゴッホが糸杉を描く時、単に糸杉の外観を絵に映しているのではありません。
ゴッホは自分のフィルターを通して糸杉を描いており、結果として出来た糸杉の絵はゴッホの魂以外の何物でもありません。
ゴッホには糸杉があのように感じられ、見えていたという事です。
僕はゴッホのこの要素にとても感銘を受けます!
太陽でも、種まく人でもアイリスでもひまわりで、「何を描こうともモチーフに自分を託して表現している」。
これはものすごい絵画の革命でした。
それまで絵画は神話や聖書の物語、王侯貴族や庶民を描いていた。
印象派でさえ光や大気の移り変わりという、外的な事象を描いています。
つまりゴッホまでの絵画は対象を描き映すという役割を持っていました。
しかしこの伝統的な西洋美術の流れを覆した人達がセザンヌやゴーギャンやゴッホでした。
僕は3人ともこの上なく好きですが、特にファン・ゴッホに感銘を受けます!
なぜならゴッホは僕の中で芸術の最も本質的な要素を体現してたからです。
筆者が考える芸術の本質とは、ゴッホが体現していた「芸術とは自己の魂の表現である」という事。
僕はこれを自作の絵画や漫画に展開して創作活動を行っているのです。
ゴッホの絵の無骨さは作家の個性
ゴッホの絵は中には上手い絵ではないと見る人もいます。
上手いとは対照を正確に映せていないという事。
しかし芸術における絵とは単に対象を正確に映す事ではないのです。
芸術家は対象を描くことで自らを描くのです。
例えばあなたがリンゴの絵を描いたとする。
ただリンゴの外観だけを映していたら、他の人でも描けるし、何より写真には正確さの点でかないません。
芸術家がリンゴを描く時、リンゴという対象をきっかけに自分の内に生じた感動、感覚、幻想を描きます。
だからピカソの様にメチャメチャな絵や、シャガールの様に幻想的な絵が出来上がるのです。
つまり画家の個性とは「世界をどう認知するか?」という事にあります。
この世界に生きるあなたという画家はどのように世界を感じ、呼吸するのか?
その感覚をどう絵にしていくのか?
考えるべきはここなのです。
自分の思い描く世界を絵で表現する為に画力というスキルは必要になります。
しかし画力の為の絵ではないのです。
画力とはあなたという作家の世界を最良の形で表現する為に必要なものでしかありません。
キース・へリングという画家がいます。
ものすごくシンプルな人間の形を記号の様に描いて表現する画家です。
僕はこのキース・へリングの作品がとても好きなんですが、この人の絵は一般的に見ると「誰でも描ける」と言えます。
しかしキース・へリングの絵はとても上手いのです!
キース・へリングという人間性を、他に代行しようのないオリジナルな形で絵として表現出来ている所が上手いのです。
もちろんラファエロのような優美な絵も上手い。
しかし同じくらいパウル・クレーのシンプルなドローイングも上手いのです。
芸術家にとって大切なことは石膏像を正確に描き映せる事ではありません。
もちろん基礎力として石膏像が描けることは役には立ちます。
しかし芸術家にとって最も重要な才能とは自分という個性を発見して、あなたにしかできない方法でそれを表現するのです。
その表現方法が美術史の中で革新的なものであった時、永遠な存在となるのです。
ただ自己満足的に独自な絵を描いているだけでは歴史には残れません。
その表現が美術の歴史を見渡した時にどこにも存在しない、新しい表現であった時に世界では評価されます。
その点ゴッホの絵画は時代を先取っていました。
ピカソにしてもダリにしてもポロック、ウォーホルにしてもその時代に存在しない、かつ美術史的にも全く新しい方法で作品を作りました。
それだけでなく作品自体の力も凄かった!
つまり人の心にフックする何らかの魅力があるという事。
だから彼らは永遠な表現者になっているのです。
ゴッホもやはり絵画の時代を先取り、20世紀美術の一つフォーヴィズムの先駆者となりました。
そしてゴッホが時代を先取れた最大の要因の一つに異端な程の強い個性が挙げられます。
他の人からすると非常識にも見える独特な感覚、クセ、性質…これらは天才に共通する要素です。
彼らは他の多くの人達とは違う感覚を持っているが為に異端視される傾向を持ちます。
しかし自らの異端な感覚を信じて前に進むからこそ時代を揺るがす表現が生み出せているのはゴッホやピカソやジョン・レノン達を見れば分かります。
だから表現者は、人と違う特異な感覚を大切にして下さい。
あなただけの異端さに徹底的に磨きをかけ、尖らせておくのです。
芸術家の最大の武器は、他でもない作家自身の異端な個性なのです。
その点ゴッホは凄まじい個性を持っていました。
不遇で不器用な画家という個性です。
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アントワープの美術学校を数か月で退学したゴッホ
ゴッホのデッサンを見ると分かりますが線に無骨さがあります。
それが味となっていいのですが、ゴッホの時代のアカデミックな美術教育の中ではゴッホの画力は相手にされないものでした。
実際はゴッホは短期間の間アントワープの美術学校で勉強していますが、まもなく同じクラスの生徒ともめ事を起こし、美術教師からにらまれて退校しています。
ゴッホは美術教師の言うことに従わず、自分のやり方でデッサンを描いていたことにケチを付けられ、対立してしまったのです。
しかしゴッホは、独学で絵を学んできたからこそ見える絵画の世界があると考えていました。
正式な美術教育を受けていたら決して見えなかった世界があるのだ、というようなことを言っているのです。
画家が描く絵は画家自身を正確に表している。
ファン・ゴッホの線は無骨だけど、それが激しい気性を持った彼を象徴しています。
線の無骨さはゴッホの性質であり、だから不器用である事はゴッホにとってかけがえのない芸術家としての武器だという事。
これが個性です。
個性は作家とむすびついています。
繊細な性格ゆえに繊細な線しか描けないなら、それがその人の個性なのです。
だから絵画を生みだす時大切なことは、描き方のマニュアルがどうのと言う事ではなく、「あなたは誰なのか?」という事なのです。
「あなたは誰なのか?」
これが芸術の答えです。
ここに明確な答えが出せるかどうかが重要です。
ここのない芸術家は永遠な存在にはなれません。
セザンヌもカラヴァッジョもミケランジェロもロダンも永遠になっている芸術家は皆明確に「あなたは誰なのか?」の答えを持っていました。
ピカソは以下のコメントをしたことがあります。
「画家にとって大切な事は何を描くのか?ではなく、その画家が誰か?という事だ」~ピカソ
ピカソは芸術の本質を知っていました。
そしてファン・ゴッホもその特異な人生を通して「あなたは誰なのか?」の答えを示しています。
ファン・ゴッホの絵画、人生、手紙、言葉、行動、全てが彼の芸術そのものです。
つまり作家自体がすでに芸術作品なのです。
作家は自分の生き様や人生を含めた全体で作品を作る。
僕はこれをいつも意識します。
そうする事で自分の生きてきた全軌跡が創作に生かすことが出来る。
すると凄まじい創作意欲が持続的に湧き、作れば作る程やる気が湧いてくる。
「人生全体で作品を作る」
これがアートなのです!
そしてこの考え方のヒントをくれたのがファン・ゴッホの生き様でした。
ゴッホはこう言っています。
「自らの内に炎を、そして魂を持っていれば、それを火消しツボの中に閉じ込めておく事は出来ない」
ゴッホは心の内に燃え盛るような表現欲求を持っていました。
ゴッホは押さえようのない情熱を線や形態や色彩に託して、自己の内的な魂を絵画で表現しました。
ここに僕は最大の感動を受けるのです!
ここがファン・ゴッホの絵画における革新性なのです!
絵具の厚塗りがどうのとか、色彩の対比がどうのなんて事は枝葉の話です。
ファン・ゴッホが美術史に明確に刻み込んだ革新の本質は
「自らの魂を絵画に託して強烈に表現した」という事にあります。
自らを絵で表すために自由に色彩を使い、形態を変形させ、渦巻くようなタッチで描いた。
ここがゴッホの凄い所です!
このゴッホの絵画の革新が20世紀美術に影響を与え、表現を変えていったのです。
僕はこのゴッホという男に最高の感銘を受けるのでこれからも徹底的にゴッホの事を語っていくつもりです。
それでは最後までお読みいただきありがとございました!
またの機会をお楽しみに。
僕はたくさんのゴッホの伝記を読んできましたが、この本は美しい画集とゴッホに人生が網羅されているので何度も読み返しています。
最後までお読みくださりありがとうございました♪