ギャグ漫画と言えば天才バカボン。
天才バカボンと言えば、ナンセンスギャグ!
この記事ではギャグ漫画を「漫才型」と「ナンセンス型」にわけて、考察していこう。
そして天才バカボンがナンセンス型のギャグ漫画だということに迫っていくぞ!
ギャグ…
僕はこの深遠な言葉の本質をつかむため、研究を始めた。
そして僕は大いなる武器を発見したのである。
その名前とは…
「ナンセンス」
僕は今ナンセンスという強力な漫画の武器を発見したのだ。
そうだ、あなたにこの偉大なる「ナンセンス」の力をお伝えしよう…フフフ…ハハハ…ワーハッハッハッハ!
どうした粕川!ナンセンスにハマりすぎて狂ったか?
今の漫画に多い漫才型のギャグ
僕は有名な週刊漫画雑誌に目を通すことがある。
その時よく見るのは一話完結のギャグ、コメディもの。
長期連載漫画は途中から読むと話が分からない。
しかし一話完結のギャグ、コメディ物は一本一本のエピソードが勝負なので、漫画創作を勉強する素材として最適である。
そんなこともありギャグ系漫画に目を通すのだが、とある気づきがあった。
それは「漫才型のギャグが多い」ということである。
漫才とは主に2人組で披露される話芸で、二人の会話の滑稽な絡み合いで面白さを作る。
漫才型漫画には、ボケとツッコミがある。
ボケは話題の中で面白いことを言う役柄で、明らかな間違い、冗談やトンチンカンなことを言って笑いを誘う。
ツッコミはボケの間違いを素早く指摘し、笑いどころをお客さんに提示する役割がある。
僕が最近のギャグ漫画を見て、多いと思ったのが、ボケとツッコミによる笑いの演出だった。
漫画上で単に二人のキャラが漫才の掛け合いをするということではない。
笑いを取る手法が、誰かがボケてそれにツッコム型が多いということ。
例えばあるキャラがバカにボケると、別キャラに激しくシバかれてツッコマれるとか。
ちびまる子ちゃんという作品がある。
まる子のおじいちゃんが奇妙な発言をして、それに対しナレーションが一言入れて面白さを出す演出があるだろう。
あれなんかも、僕はボケとツッコミだと思う。
漫才が流行る今のご時世を見れば、漫才型のギャグ漫画が多いのはもっともなことかもしれない。
僕も漫才は大好きで、アイポッドなどで聴きながら笑いについて研究することがある。
僕は漫才だと横山やすしさんと西川きよしさんが演ずる
やすきよ漫才が大好きである。
しかし漫画の笑いは漫才型だけではないのだと、僕はここで声を大にして叫びたいのだ。
そう、もう一つの笑いの型が「初めから狂った世界型」にある。
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はじめから狂ってる世界観の笑い!
僕はあらゆるマンガの中で最も愛する作品がある。
「天才バカボン」だ!
僕が漫画を描きだすキッカケとなったのは、赤塚不二夫氏の「まんが入門」という本だった。
保育園の頃から今に至るまで天才バカボンの漫画、アニメをたくさん観てきたし非常に大きな影響を受けている。
赤塚不二夫氏の描くギャグ漫画には、強力な武器がある。
漫才型ではない、笑いの武器があるのだ。
天才バカボンのアニメや漫画を研究していく中で、それを発見した。
それはナンセンスだ。
実は天才バカボンにある笑いの要素は、イギリスのルイス・キャロルが描いた名作「不思議の国のアリス」にも存在する。
どちらも僕の大好きな作品である。
自分が好きな作品を探っていくと、何らかの共通点があることに気づく。
これは重要なこと。
好きな作品に共通する要素を吸収するのだ。
僕の場合、天才バカボンと不思議の国のアリスに共通する要素を発見した。
それが「ナンセンス」である。
ナンセンスとは無意味であること、意味をなさない事、バカげていること、くだらないことやその様を言う。
人が会話をする時、筋道立てて論理的に話をするだろう。
そうでない人もいるかもしれないが。
意味が分かるように話さないと、会話にならない。
しかしナンセンスを核に置く作品は違う。
意味や内容や筋道を無視して、突拍子もない展開にいざなう。
普通、意味のわからない話をされたら、理解できず話についていけないだろう。
しかしナンセンスを漫画や文学という形で表現すると、面白さに変化する。
試しにルイス・キャロル原作「不思議の国のアリス」を読んでみて欲しい。
ディズニー制作のアニメに「不思議の国のアリス」があるけど、僕はやっぱりルイス・キャロル原作の小説版にナンセンスの神髄を感じる。
ナンセンスを本当に知りたいならルイス・キャロルの書いた原作か日本語訳の小説を読むのが良いだろう。
ナンセンスとはいかなるものかが分かるはずである。
言葉の意味や論理を放棄して、破壊して、独特な世界観を作る表現が、ナンセンスにはある。
このナンセンスをギャグに応用したのが赤塚氏の代表作である「天才バカボン」だった。
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天才バカボンにはナンセンスの原点がある
天才バカボンは2017年時点で計4つのアニメが作られている。
僕が一番好きなのは1971年に放映された第一期アニメで、これは全エピソードをビデオで録画した。
1991年頃に放映された第三期の頃は小学校一年生の頃でまさに漫画を描き始めた頃。
幼い頃の記憶として赤塚氏のまんが入門や天才バカボンのアニメなどが残っており非常に縁の深さを感じる。
僕は今1975年頃に放映された第二期天才バカボンのアニメを観ているのだけど、ナンセンスさが徹底している!
意味の破壊、唐突な展開、脈絡のないキャラクター、意図したテキトーさ、…
天才バカボンの笑いには常識という前提が存在しない。
例えば漫才なら常識という前提があっての笑いとなる。
ボケの間違いを常識的観点でツッコみ笑いを取る漫才。
しかし天才バカボンの世界観には、常識という前提がない。
おかしなキャラが地中をもぐってきたり、鼻や手や体がもぎ取られたり、拳銃を打ちまくるおまわりさんがいたり…
つまり初めから狂った世界観がそこにある。
同じギャグ漫画でも例えば「こち亀」なら現実感というベースがあって、初めて両さんの面白さが際立つ。
こち亀では絵も現実をキチンと描いてるので、現実感がベースにあるのがわかる。
こち亀型ギャグ漫画は、漫才のように常識とのズレから笑いを誘う方法と言えるだろう。
しかし、天才バカボンのギャグにはナンセンスがある。
ナンセンスを象徴するのが、天才バカボンの絵柄である。
シンプルで、余計な描き込みは一切ない。
意図して手を抜いた絵を描くことで、ナンセンスという表現を強調している。
作品の世界観がすでに絵の時点で表現されている面白さが良いのだ。
絵がすでに笑いを誘うから、論理を無視した展開に説得力が増す。
天才バカボンにはコントのような展開も多い。
様々なコントを寄せ集めて1エピソードを作っているような話もある。
そこから生まれたギャグは悪ノリで進んでいき、不可思議なオチに至る。
僕は天才バカボンのアニメを観ている時、以下の考えが浮かんだ。
「天才バカボンの世界観は初めから狂ってて、コントみたいな展開の悪ノリで話が進み、おかしなオチがくる」
このナンセンスを象徴するアニメを観て、あらためて天才バカボンの素晴らしさに気づいた次第である。
そして天才バカボンのアニメや漫画を研究する中で大いなる学びも得た。
ナンセンスという学びである。
ギャグ漫画の「初めから狂っている世界型」とは、ナンセンスのことなのだ。
僕は自分の漫画にもナンセンスを取り入れようと思う。
最後に
天才バカボンがナンセンスギャグ漫画ということを見る中で、僕はギャグ漫画を二つに分類した。
・漫才型
・初めから世界が狂っている型
漫才型は現実における常識とのズレで笑いを誘う。
一方「初めから狂っている型」は、常識という世界観が初めからない。
ナンセンスという言葉通り「意味のない」「くだらない」「バカバカしい」「荒唐無稽な」ことを漫画で表現する。
僕はナンセンスに限りない未来を感じる。
ナンセンスには、まだ掘りつくされていない未踏の荒野があるだろう。
だから僕はこう宣言しよう。
ナンセンスで常識を破壊する!