筆者は2002年、アート系専門学校に行きたい理由があった。
ここでは2002年当時、筆者がアート系専門学校に行きたいと思った理由と、その当時のことについて書いていこう。
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どうしてアート系の専門学校に行きたいと思ったのか?
本当のことをいえばアート系専門学校より、美術大学に行きたかった。
しかし4年間大学へ行くほどのお金を、これから貯めるのは大変だと感じたのだ。
そして地元には、良さそうなアート系専門学校があった。
それならアート系専門学校に行こう!
こう思った。
絵は学ぼうと思えば、独学でも全然いける。
しかしこの時の僕は専門学校へ行き、そこでどんなことが教えられているかを、この目でみたかった。
専門学校でアートを教わるのはどんな感じなのか?
専門学校には、どんな生徒や先生がいるのか?
ぼくは美術を学んだり絵のスキルアップなどは自分でやっていたので、専門学校に行く必要はなかった。
でも「アート系専門学校を体験したい!」という好奇心が、専門学校へ行きたい理由となったのだ。
2002~2003年当時していた創作活動は?
ここでは専門学校へ行きたいと思っていた筆者が、2002年から2003年ころにしていた創作活動について見ていこう。
絵画
デッサンやスケッチ、ドローイングをよく描いていた。
絵を学ぶなら、デッサンなどの基礎を身につけるのが優先だという認識があった。
デッサンの練習をしておくと、いろいろな絵を描くのに対応できる。
僕は様々な描き方で、絵を描くだろう。
一つの様式にずっと固執したくない。
リアルに描きたいと思ったらそうするし、落書きをするときだってある。
どんな表現であれ、描きたいものを描ける状態を作るには、デッサンが大切だと思う。
油絵は18歳から描きだした。
当時の僕は静物、自画像、風景などを描いて練習した。
以下は、当時筆者が描いた油絵。
水彩画やアクリル画なども描いていた。
好きな画家の模写をする
好きな画家の模写もしていた。
模写をすると、その画家の描き方などが分かったりする。
例えば、色や形態をどう描くか?というところに、画家の個性が出るものだ。
模写をしながら、その画家の描き方を吸収する。
そうすると絵を描くスキルアップにもつながるだろう
以下はピカソの青の時代の作品を模写した油絵。
ピカソは若い頃、「青の時代」という様式の絵画群を制作している。
ピカソがパリに出てきて貧しかったころ、大切な友人が自殺してしまった。
そのショックでピカソは、絵の色調を青で統一するようになる。
青の絵の具は安かった。
金のなかった若いピカソは、青の絵具を使うことで画材費を押さえていたとも言われている。
僕は「青の時代」という表現を知った時、素晴らしい!と感じた。
特定の色で絵の調子を作るという表現が、面白いと思った。
ぼくも緑で色を統一した絵を描いてたことがある。
「幻想の森」という油彩の連作では、画面をほとんどを緑で統一した。
ピカソの青の時代から受けた影響を、取り入れたのだ。
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大草原の小さな家との出会い
僕は当時絵や漫画の創作活動を続けるかたわら、ある海外ドラマと出会った。
2002年、とある土曜日の午後3時ころ。
何気なく回していたテレビで、それはやっていた。
「大草原の小さな家」
19世紀アメリカの広がる大自然で、木造の小さな家で生活する一家の物語だ。
そこには大自然に囲まれて暮らす、人々の温かいドラマがあった。
これが本当に素晴らしいのだ!
文無し芸術家の川での誓い
僕はある日、川辺にやってきた。
これから人生をどう進めるかを考えに来たのである。
人生の重要な転機の時、山や川など一人で落ち着ける場所へ行く。
そして、考える。
僕はこれまで、就職という言葉に嫌悪感を抱いていた。
昔から親に就職しろと言われ続けてきた。
しかし、僕と就職ほど不釣り合いなものはない。
就職は僕の生き方と合わないのだ。
なぜ決まった時間に決まった場所へ行き、皆と同じような仕事をしなくてはならない?
なぜ周りの顔色をうかがって、思ってもいないことを言わなければいけない?
なぜ他の人でも出来ることを、する必要がある?
僕にしかできないことがあるのだ。
食っていくために、お金は必要。
しかしお金は雇われるのではなく、自らの力で生み出すした方が良いと感じる。
日本人は「みんなと一緒」という価値観に、安心する傾向がある。
僕は昔から、みんなと一緒の価値観に違和感を感じていた。
普通であるくらいなら、誰よりも飛び出たクギでいたい。
多くの人は人と違うことを恐れるけど、実際は逆。
みんなと同じだと安心している心境にこそ、危機がある。
みんな一緒で安心という心理に甘んじてると、社会からの洗脳を受けることになるだろう。
他の人と違うことをすることに恐怖を感じ、思い切った行動が出来なくなってしまう。
周りがしているからという理由で、何となく自分もという選択が出てきてしまう。
この状態が、一番危険である。
なぜなら人生は、いつも未知なるものへの挑戦だから。
勇気と覚悟が、人生を切り開く。
個性が売り物である表現者にとって、みんな一緒の発想は、リスクでしかない。
みんなが同じ事やるなら、自分は誰とも違うことをやる!
この思いが、他と一線を画す発想や作品をもたらすだろう。
僕みたいな人間にとって、就職の道はありえない。
四角いものが丸い所に収まるようなもので、違和感でしかない。
僕は目の間に広がる川を前にして、こう誓った。
第一歩としてまずはアート、デザイン系の専門学校に行ってみよう!
目の前を流れる川を見ながら、心は高揚していた。
両耳のイヤホンからは、リヒャルト・ワーグナーの楽劇が力強く響き渡っていた。
筆者の次の創作人生は以下の記事に続く♪